第11話
ここで一度、野生の壺の評価に関する事項を、まとめておかねばなるまい。
通常の場合において、A級、B級、C級という評価軸があることはすでに触れている。また、できるだけ光沢が強く、また、原色よりも深い緑色になるほど評価が高く、A級とカテゴライズされる可能性が高いことも述べている。
ちなみに、評価の高い野生の壺は、意外にも人が多く生活している街中で見つかることが多いことをここで付記しておく。それなりに人通りが多い道端や、今回のようなカフェ、またはファーストフード店などである。
A級を超える価値を持つと言われる超野生の壺のことを述べる。
正式な定義や分布の傾向などは、現段階では明らかになっていない。それらをしっかりした統計学をもとにして議論するには、まだいささか目撃例やそれに付随するデータが不足しているのだ。
現状では光沢が明らかに強いこと、もしくは若干赤みがかっていること、が超野生の壺を見分ける目安にはなっている。ただし感覚的な判断基準であり、野生の壺狩りの初級者には見分けることは困難と言われている。
三又浩二はある一定数、野生の壺狩りの実績を積み上げており、このときすでに中級者の域には達していた。その彼が下した判断は、やはり妥当であった。現在彼ら3人の前に佇む野生の壺は超野生の壺である。それは間違いない事実である。
外観以外にも違いがある、とする説もある。
通常の野生の壺には、姿が消える液体が貯蔵されている、と言われている。これは現物が確認されていないが、定説となっている。しかし、超野生の壺には『もっと消える液体』が入っているのではないか、と言われている。根拠はないが、これもなぜか複数の証言がもとになっており、業界ではそれなりの信ぴょう性があるとされている。
ではここで言う『もっと消える』とは何か。それはつまり、姿だけではなく、その存在が消える、ということだ。社会的に見てその存在はもともとなかったことになる、とそういうことなのだ。
もし仮に超野生の壺に貯蔵されている『もっと消える液体』を飲んだ人間がいたとする。そうするとその人間はもともと存在しなかったことになる。自分だけでなく、周りの人間の記憶からも抹消され、そして生まれたことすらなかったことになる。そうなると『もっと消える液体』を飲んだ、という事実も存在しなくなる。つまりは、仮に超野生の壺のなかの液体を飲むことができたとしても、それは飲んでいないことになる。そんな事実は存在しなくなる。つまり『もっと消える液体』を飲むという行為は、論理的に不可能なのだ。
余談ではあるが、似て非なるものに半野生の壺という存在がある。これは一見して明らかに赤い壺であったりはするのだが、超野生の壺の特徴とは根本的に異なり、ただの野生の壺になる成長過程であると言われている。
つまりまだ半人前の野生の壺である。また、この半野生の壺のなかには『姿が消えた気になる液体』が貯蔵されている、とされている。これを飲むと、周囲からは完全に視認できている状態にも関わらず、本人としては姿が消えているような気がしてしまう。
自分は消えていると誤解して行動した場合に発生する社会的諸問題は容易に想像できる。そういう意味では半野生の壺には注意が必要である。ちなみに、この半野生の壺は比較的多く目撃例がある。
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