第10話

 二年ほど前に出来たチェーン系の店だ。三十程度は座席が設置されており、同じ系列の店舗よりは席の間があいているため、ゆったりと座ることができる。


 先に三又浩二が丸テーブルの席をとってコーヒーをすすっている。会社帰りでスーツ姿だ。その手にはスマホが握られており、せわしなくスクロールを繰り返している。


 加地菜々子が店に入ってくる。こちらは有給休暇を取得していたため、私服での登場となる。ただ、グレーのシャツとゆったりした紺の膝丈スカートというやや地味なコーディネイトだ。それでも彼女のプロポーションの良さは見てとれる。


 その加地菜々子の隣には、男がひとり。言わずと知れた、円谷義実である。もちろん意を決した加地菜々子が呼んだのだが、今回三人が集まることは双方には伝えていない。


「そちらはどなた?」


 この問いは、三又浩二、円谷義実から同時に発せられた。当然である。


 すでに覚悟を決めていた加地菜々子は、三又に対しては円谷が学生時代の元恋人であることを伝え、円谷には三又が現在の恋人であることを伝えることになる。


「どうして一緒に?」と「現恋人?」の言葉がかぶる。


 立ち上がる三又浩二と青天の霹靂のような目で加地菜々子を見つめる円谷義実。


 いったん静まるようにジェスチャーで伝えた加地菜々子は、ちゃんと説明するから、とふたりに対して席に着くように促す。


「まずはちゃんと聞いて欲しいの。今の私の恋人は三又浩二さん。これは間違いのない事実。そして、近いうちに結婚もする。これも、動かしようのない事実。――それでいいわよね? 浩二さん?」


 三又浩二、無言で頷く。


「円谷君がそんな顔する理由もわかるけれど、もうずいぶんと前になるけど、私言ったわよね、別れましょうって。そりゃあ、特別になにかあったわけじゃないけれど、やっぱり長距離は物理的に無理があるの。それなのにあなた、ドクターコースに行くって平気で言うものだから」


 円谷義実は無言だ。ただ両手を自分の膝に置き、微動だにせずにテーブルのコーヒーカップを見つめている。瞬きもほとんどしていない。


「だけどそんなことはもうどうでもいいの。終わったことだし……今日の目的はそこじゃないの。今日は産婦人科に行くの。予約はしてくれているのよね?」


 三又浩二、無言で頷く。


「それで」とひと呼吸だけ間をあける。


「父親候補となるふたりに、来てもらっているってわけなの」


 ぴくり、と隣席で自習をしていると思われる学生の肩が反応する。不穏な会話をする三人の様子をちらとだけ横目で確認して、自分の問題集に戻る。


「そう。父親がどちらか、わからない。もちろん、生物学上の、ということだけれど……ただ、私にとっての結婚相手はもう三又浩二さんしかいない、と決めているの。だから、そういうことだと了解してもらいたいの」


 言い終わった加地菜々子は、この数ヶ月間の重圧から解放され、それと同時にじわじわと現実が押し寄せてくるのを感じている。


 ただ一点を見つめなにやらぶつぶつと呟いている円谷義実はそのままにして、加地菜々子は三又浩二に目を向ける。


 三又浩二は、無言だ。


「もちろん、勝手なこと言っているのはわかっているの」


 加地菜々子は、大声にならないように、それでも力強く搾りだすようにそう言うと、三又浩二に体を寄せる。


「もう言っている意味はわかっていると思うけど、……一度だけこの円谷君と体の関係があった。それは事実。だけど、それはあなたが仕事もおろそかにして変な組織のことばかり言うから……それで、ちょっと私も参ってたの。そう。あのときは、おかしかったのよ。本当なの。ただの一回だけの過ち。気持ちはなにも変わらない。……最近、いろいろと噛み合わなかったりしているけど、それでも結婚したいと思っているし……」


 と、うう、と押しつぶすような唸り声を発する円谷義実が、自らの右手と左手を恋人つなぎに組み合わせ目の前に持ってくると、突然自らの額を殴りつけはじめる。ばぐん、ばぐん、と店内に響き渡るようなけっこうな強さだ。隣の自習学生だけでなく、店内にちらほらと座っている客たちが会話をやめて三人の様子を伺いはじめている。


「ひょっとしたらあなたの子供ではないかもしれないけれど、まんがいちそうだったとしても、父親として接してほしい。そう思っているの」


 言い切った、と前傾姿勢だった加地菜々子はいちど姿勢をもとに戻すと、背もたれに体を預けた。

 ばぐん、ばぐん、と一定のリズムを刻むように自分の額を叩きつけている円谷義実のことはこの際いないことにして、彼女はただ、三又浩二の言葉を待っている。


 一方、三又浩二である。


 彼は今、黙って加地菜々子の話に耳を傾けているようでいて、ただ隣席のテーブルの足に視線を合わせてじっと見つめている状態だった。


 なぜならそこに彼は、野生の壺を発見したのだ。しかも今まで見たことのない色目だ。緑を基調としていながらも、少し赤みがかっているのだ。彼はこの壺が超野生の壺である可能性が高いと判断。そっと席を立ち、その壺へ手を伸ばすことになる。

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