第9話
さて、三又浩二の海外進出の話題に戻る。
〈N〉の構成員である彼は、海外出張の直前に〈N〉の連絡係となっている少女から、中国で活動する〈N〉の構成員とのコンタクト方法を入手することになる。そして商社マンとしての仕事の合間を縫って彼らと会い情報交換することになる。
海外では周囲の人々に話を聞かれないように留意する必要はなく、まるで子どもの教育に関する話題のようにカジュアルに野生の壺を語ることができる。それだけでも三又浩二にとっては新鮮であった。
ここでは、今回の出張中に彼が得た情報を、いくつか抜粋しておく。
実際には通訳を介した中国語でのやりとりである。ここでは、その場のジェスチャーや雰囲気も含め、三又浩二が感じたままの内容を日本語で記載しておく。
「野生の壺には触れようとするな。とりこまれる事になる。あいつらはそっと遠まきに観察するぐらいにしておくと良い」
「野生の壺はこの三次元世界には存在しない。もっと高次の存在だ」
「狩るといっても、皆見ているだけだ。だからこの分野は今、停滞しているんだ。なんとかして本当の意味で『狩る』ことができないか?」
「国によって傾向がある。最近良くブータンで見られる壺は浅い緑色が多い。だからあそこはB級以下が多く、野生の壺を狩る人にとってはいまいち魅力がないんだ」
「高次の存在、という話はよく聞く。実はあいつらには過去も現在も未来もすべて見えている、という話だ。それでいて我々人類を嘲笑っているんだ」
「中国でも一部の地域では頻繁に見られることがあるという話だ。意外かもしれないが上海や北京のオフィス街がひとつ。それから正反対に感じられるかもしれないが、まだまだ未開の奥地――それこそ内モンゴル自治区やチベットの方に近いようなある集落でも、近年は日常的に見られることもあるって話だ」
「野生の壺を狩るためには、野生の壺そのものになりきることが大事だ。いいか、野生の壺を狩るんじゃない。野生の壺に、なるんだ。そうすると野生の壺のほうからやってくる。そういうもんだ」
「いいか、やつらを上回ろうと思うな。あいつらは我々人類のやることなんざ、すべてお見通しだ。すべて、だ。絶対に勝とうとするな。ただそっと、やつらに寄り添うようにするんだ」
6
加地菜々子である。
彼女は今、混乱の極みにいるといっても過言ではない。
妊娠十二週を迎えたところだったが、まだ安定期には入っていない。また、胎児の性別がわかる時期もまだまだ先のことになる。それよりも今彼女の懸案事項は、そもそも父親がどちらなのか、というその一点である。
相談相手がおらず、また、相談したところで解決するはずもないことがわかっている内容である。産婦人科でそれが判明するとは思えない。
逆に一生わからなければそれはそれで良いのだが、それこそ、生まれてきてからの血液型検査やDNA診断などで自ずと明らかになってしまうことである。どう考えても隠し通せるたぐいのものではない。
それに、一生背負い続けるのは彼女自身としても無理である。つまりもう事がここに至ってしまっては、関係している人間を集め、皆にすべてを伝えるしかない、という帰結に至っていた。ひとりで抱えきるのはもう限界のところまで、彼女は追い詰められていた、と言い換えることができる。
まず第一弾としてわざわざ東京にまで趣いて、元恋人に問いただすことになるのだったが、その際の会話は既述の通りであった。
そこにある種の狂気を感じた彼女は早々に退散することになる。その後もメールと電話の着信が嵐のように来ているがすべて無視している。
いずれは対峙しなければならない相手だが、今ではない。今は、三又浩二である。彼女はそう思う。
最近は野生の壺のことばかりに気を取られているが、もともとは非常に知性的で常識的な人間である。彼女はどこかで、そんな彼に頼っていたのである。
とにかくすべてを打ち明けてしまおう。そう決めて三又浩二を自室に呼び出すことになる。それが彼女の妊娠十四週の頃、そして三又浩二が海外出張から帰国して約一ヶ月後のことである。
ここに、その際の会話を記載する。また登場人物が三人以上になる場合には、会話以外の情景描写も付記することで、誤解のない記録となるよう心がけた。
「産婦人科の先生とうまくいっていないって話、したじゃない?」
「ああ、うん」
「いまさらなんだけど、病院を変えてみようかと思うの。いいでしょ?」
「ああ、うん、問題ない。それよりも俺の方で探しておこうか?」
「なにかあてはあるの?」
「それは〈N〉が……いや、まあ任せてもらえると」
「ふうん……なんでもいいから、お願いしようかしら……」
後日、三又浩二が知る産婦人科に訪問するため、近くのカフェで待ち合わせをすることになる。
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