第5話
ここで一度、野生の壺の話をしよう。
まず特徴的なのは、その色目である。緑を基調とはしているのだが、光沢があり半透明であることを特徴とする。
光沢、と一口に言ってもいろいろな種類がある。ただし野生の壺に関しては半透明であるという点から、ダイアモンド光沢やガラス光沢に近いと考えられている。ただし光沢の強さや質は金属光沢に近く、それについては多くの議論がされているが結論には至っていない。
次に、形状の話に移る。
よく似たものに「かめ」と「はち」がある。正式な規格などがあるわけではなく一般論にはなるが、これらとの違いはその首の部分の太さにある。
目安ではあるが、首の直径が胴や口などもっとも太い部分の三分の二以下の容器が壺である。三分の二以上になるのが「かめ」もしくは「はち」である。
余談ではあるが、そのなかでも蓋があるのが「かめ」で蓋がないのが「はち」である。おそらくは食料などの備蓄に利用する「かめ」と花を活けるなどに使う「はち」というその用途上の差が、蓋の有無として表現されていると推察される。
ここまではただの人工物としての容器の話である。次に野生の壺と人工の壺の見分け方の話をしたい。
――と言いつつ、またすこし余談で恐縮ではあるが「野生のかめ」や「野生のはち」は存在せず、容器のなかで野生に存在するのは壺のみである。
なぜ、野生の壺だけが現存しているのか不思議に思う必要はない。移動手段という同じ用途であっても野生の馬は存在するが、野生の電車は存在しないのと同じで、そこには理由などはない。そういうものなのだ。
話を戻す。野生の壺と人工の壺の見分け方である。
ここには、壺と「かめ」のような定量的な基準はない。しいて明確な基準を挙げるとすると、その製造工程に人の手が入っているか、それとも自然のなかで形成されたものか、という違いとなる。
ただしこれは、壺自体になにか違いが反映されているとは言い難く、目の前に壺があった場合の見分け方という観点で言えば、おすすめできない方法である。
中身が違う、という主張もできよう。当然、人工の壺のなかには人工物が入っているはずである。ただしこれは、壺を捕獲しその中身を目の前にさらけ出すことができた場合のみ確認できることである。
そもそも捕まえることが困難な野生の壺に関しては成立しない方法である。今議論しているのは、あくまでも見た目での人工物と野生のものの判別方法である。
誤解されているふしもあるため敢えて補足すると、日本人が認識できていない壺のなかには、人工物もある一定数が含まれている、と言われている。
容器を構成する素材に、なにか違いを見い出せないか。
そんなことを考えていた野生の壺研究家も、昔はいたのだという。ただ、ガラス、陶器、金属等、いずれの素材も元々は自然のものである。人工の壺と同様、野生の壺の材料として使われていたとしても不思議ではない。
ゆいいつ、プラスチック製の容器のみ、人工のそれであると判断できる。いずれにしてもその程度の基準になってしまうため、現在この見分け方は廃れている。
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