連合軍の逆襲

 11月、英米連合軍がトーチ作戦を発動。


 スターリンから第二戦線構築要請に応える形で行われた史上最大の威力偵察であるディエップの戦いは、事前に作戦が漏れていた為失敗。


 面子を取り戻す為に北西アフリカに上陸した連合軍は現地フランス軍のささやかな抵抗を跳ね除けた後、上層部間の交渉で停戦が成立。


 その後数日と経たずに在アフリカヴィシーフランスが自由フランス他連合軍に合流した事は伊独両国に衝撃を与えた。


 現地のイタリア軍はエジプト=スーダンから列車砲を呼び戻すと共に、これ以上の東進を阻止する為サルデーニャ島の対岸チュニジアに進出。


 東部を除いた欧州本土やコルシカ島も維持している事から本土〜アフリカ間の航路は保持出来た

 が、敵の地上兵力は元ヴィシーフランスが数の上では主力となり拮抗。


 砲兵火力及び兵站、機動力ではこちらが劣っていた。


 東部戦線ではソ連軍の大規模反攻が行われ、脆弱なルーマニア軍は大損害を蒙ったが全体には然程波及しなかった。


 史実よりゴムに余裕があった為、パンクが理由で行動に支障が出た輸送車両及び航空機の復帰が早く、陸空でTM40砲兵トラクターやSM.82、91等の輸送が功を奏し陣地や火力が強化されていた事や、空中で迎撃に成功したのである。


 ただ輸送機のエンジンや復帰した機体、車両が増えた為燃料不足に陥り取り残された第6軍は降伏したものの、スターリングラードに展開した33万人の内19万人の兵士を撤退させる事に成功。


 南部の他の戦線では機甲部隊による敵の追撃が弱く、統制を維持したまま撤退出来たのでスターリングラードからの撤退時には掩護の為陽動すら可能だったのである。


 東西で挟撃の危機が迫っていたが、シーレーンの喪失を何よりも恐れていたイタリアは停戦成立と同日にロシア戦線への兵器提供を打ち切ると北アフリカへ戦力を投入。


 この頃の連合軍は米英仏間及び自由、ヴィシー間の派閥抗争やヤード・ポンド法とメートル法等単位も統一出来ていないので、地上では本国フランスからの補充も細々としか行えなかった現地フランス軍が規格の異なる車両に慣れるまで動きが鈍っており、年明けまで戦力の強化、蓄積に努める事が出来た。


 だが海では仏艦隊を米国に回航する事で問題を減らした米英艦隊がシーレーン攻撃を開始。


 真っ先に行われた航空戦では、相手の数が少なく防衛戦だった事もあり、新人と中堅のペアでも優勢に戦う事が出来た。


 初見のシーファイアは陸上機型に比べ着艦フックの取り付けや制動に耐える為に機体を強化したので重量が増え、翼の折り畳み機構を設けて同じく自重が増加したF4Fの動きも急降下以外鈍かった事も大きい。


 地中海では制空権を確保出来たがインド洋ではマダガスカル島が再度攻撃を受け、日本はソロモン諸島の戦いにかかりきりの為、空母を欠いたイタリア軍は動けなかった。


 






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