M3の墓場

 2月、キリンディニでジュリオ・チェーザレがコマンド部隊の攻撃を受け着底。


 同時にチュニジアで米軍が攻勢に出た。


 年明けからイタリア本土へB−24等の爆撃が始まっていたが、サルデーニャ島に設置されていたレーダーと共に地中海をカバーしているアトラス山脈のレーダーが邪魔だったのである。


 同地では米軍の空挺降下に先立ちチャフによる電波妨害を受けたものの、高所かつ気候上視界が良好な為陸空の立体迎撃が機能し防衛に成功。


 運命を知ってか知らずか列車砲の射界外から侵入してきた米軍の存在を空軍からの通報で知ったイタリア軍は、構築していた陣地まで後退。


 陣地が従来と異なる点は、東部戦線でマンシュタイン他ドイツ軍の薫陶を受けた本土からの増援によるアレンジが加わっていた事。


 重量がある為山に持ち込めなかった高射砲やリビア及びサルデーニャ島から飛来する航空機が空を制し、事前砲爆撃や歩兵との連携が不十分な状態で新米が罠に飛び込んできたのである。


 突っ込んできた敵戦車は十字砲火を浴び、次々に炎上。


 真っ先に犠牲となったM3スチュアート軽戦車は、東部戦線からの転戦組にとってはただの的でしかなかった。


 続いてやってきたM4戦車は火力、防御力、速力のバランスが取れておりP40シリーズと互角に戦ったが、陣地に衝突し歩兵の掩護を欠いた為に側面を抜かれる事があった。


 戦車の中で一番悲惨だったのはグラントⅠで射界が狭い上に人数が多い事が祟り、死亡率は歩兵の次に高かった。


 皮肉な例としては空挺部隊から回収したバズーカで撃破された例も記録されている。

 

 五月雨式に突っ込んだ米機甲部隊は大損害を受け、この戦い以後M4中戦車が主力となる。


 相手が北アフリカで戦っていた英軍であれば、完全ではないにせよ陣地に気付かれてここまでの戦果は挙げられなかっただろう。


 だが伊軍の癖を学んでいた部隊はシナイ半島に在り、ジブラルタル艦隊が嫌がらせ砲撃をリビア沿岸西部に行わなければ第6軍が築城の重要性を体感する事もなかった。


 舞台となったのは山脈の内陸側とはいえ、詰めた兵の中には重砲やカチューシャの洗礼を浴びた者も居たので、陣地はより地上戦に向いていたのである。


 イタリアは守勢に転じつつあったが、東部戦線に於いて既にダウングレードしているとはいえ米国製兵器と遭遇していた事や、敵の練度と運用が拙かった為敵の攻撃を破砕する事が出来た。


 自走化されたDa 75/18はマチルダⅡに比肩しうる前面装甲厚を持つグラントⅠやM4の砲塔は無理でも、車体であれば前面を1000m先から撃破出来た。 


 だがフランス戦以後独から供与された20㍉砲弾では──従来のブレダ社より高性能でイソッタがライセンス生産していた──は軽戦車や装甲車以外には効果がない事も判明する。


 実際に目視するまでは英軍だとばかり思っていたので、弾かれてからは敵歩兵をアンテナ毎無力化する筈だった重擲弾筒を戦車の進行先に向け直射。


 履帯を切断するか、重量がある為嫌われていた25㍉対戦車砲を進路上に慌てて展開させる有様で、手榴弾を纏めて投げようにも自国のそれは赤い悪魔と呼ばれる程危険で、機動、通信能力を削ぐのが精一杯だった上記の各手段より有効とされたバズーカは効果を実感する頃にはほぼ枯渇していたのである。


 イタリアは戦闘終了後に鹵獲した兵器を見分中、M116榴弾砲の性能に驚嘆した。


 現地で実施された簡易テストでは射程は8.9kmと自軍の75/18の9.6kmより短かったが、戦闘重量が650kgと自軍の物より400kgも軽く、分解も容易だったのである。


 第6軍は報告書の中でバズーカやM116榴弾砲を国産化するようにとの要望を末尾に綴り、実物と共に本国へ空輸。


 報告書は他に米陸軍を兵器の質は良いが運用はお粗末と評し、好例として弱装甲なのに攻勢作戦に於いて、支援砲撃ではなく最前線で戦車的な運用をされたM3対戦車自走砲を挙げた。

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