第4話 非公式の喫茶店

 今日は休日だ。


 文孝は商店街に来ていた。

「思ったより混んでるな――……」

 今は昼時に近い。四方八方からやってきた人々で賑わう大通りの中、ぶつからぬよう人の間を縫って歩く。昼食よりも先に本屋に向かい、お気に入りの作家の新刊を電子書籍ではなく実物として手に入れ、手で重みを感じ感触も味わう。その満足感にしばし浸った。

 肩にかけていた鞄に本を大事に入れる。歩く道の両側に立つ店から流れてくる美味しそうな匂いを嗅ぐ。通り中に満ちる活気によって体が浮かされそうになる中、進んでいると遠目にも目立つオブジェを発見した。

 柱状のモニュメントである。

 周囲の地は芝生で包まれており、人々が集まれる広さの空間が形成されている。子供達の遊び場になったり人々の待ち合わせ場所としてもよく使われる。設置されたベンチに座ってスマホをいじったり、日光浴をしながらのんびりとした時間を過ごす人々が居る空間に惹かれて文孝はそこに入っていく。スマホを取り出して陽光を浴びるモニュメントを一枚撮影する。もっと近くに寄って撮ってみようとして気が付いた。

「あ」

 モニュメントの丁度自分の目線と同じ高さの場所に、ヒビが入っていた。

 まじまじとそれを見る。それ程大きなヒビではないが肉眼で確かに視認出来た。

(いつ頃建てられたんだろう。良さそうな雰囲気だったけど少し気落ちしたな)

 軽くため息をつくと、またもや何かに気が付く。

「?」

 思わず顔の前に手を持っていく。

 何か言いようの無い感覚があった。

「んん……?」

 少しの間立ち止まって自分は一体何を感知したのだろうと考える。いつもの【ゴーストライト】が発揮された時の、眉間に近い額に来る感覚ではないと思った。それでも一応合言葉を額に感覚を集中させながら言ってみる。

「ゴースト」

 ……霊的文章は現れない。目前を注視するがいつもの縦書き文章は現れず目の前の風景が普通に見えているばかりだ。

 じゃあ他に何かあるのかと思い辺りを見回してみるも、特に変わった風は無い。陽気で穏やかな午前のひと時を過ごす人がいるだけだ。

 気のせいかなと思い頭をかきながらモニュメントから離れていく。賑やかな通りに戻り目当ての店へ足を向けていく。昨晩スマホで読書兼昼食に良さそうな店を見つけておいたのだ。

 美味しいサンドイッチとコーヒーが人気のお店に辿り着きそこに入っていく。

 時刻は11時20分。テラス席を指定し、メニュー表を取る。看板メニューを頼み待つ事数分、提供されてきた料理を見て食欲が湧いた。

 少し早めの昼食をテラスのあるカフェでとる。天気は良好で頬を撫でる微風が気持ちいい。運ばれてきたサンドイッチを味わって食べ、近くにコーヒーを引き寄せながら本を開く――。

 文章を読みそこにある情景を想像するという事をしていると先日見た雨宮詩織に関する霊的文章に沿って状況を想像していた自分が思い起こされる。

(……不思議な能力があっても本心を隠したい人に踏み込むべきじゃないのかな。折角ゴーストが示してくれた彼女に関する内容だけど、単に能力を使って何かを解決し自己満足したいという自分が何とか助けになれる内容じゃないのか)

 こんな風に自分を卑下していても、いざまた興味のある霊的文章が現れたならば、その内容を上手く利用して何かやってやろうという気になるのだろうなとも文孝は思っていた。

「……ん――」

 軽く額をさすりながら俯き、数秒後に顔を上げ気を取り直して再び本の上の文章を追い始める。今日は気分を変えて純粋に読書を、お洒落なテラスで楽しむのだと決めてここまで来たのだ。

 居住まいを正してページを繰っていく。

 ……。

 ――ああ。やはり読書は良い。日当たりの良いテラスで体を仄かに温めながら文章の上を目線で走り、展開していく物語の世界を駆け抜けていくこの時間――。

 浸っていると正午を知らせる鐘の音が何処かからか鳴り響く。コォォン、コォォン、コォォン……。三回程鳴ってから余韻を残してフェードアウトしていく。

 顔を上げて見回せば店内外は混んできていた。丁度時間的に切りが良い。続きを読みたい気持ちを抑えて席から立ちあがる。かきいれ時に長居していると迷惑になるので店の出口に向かった。

 会計は既に済んでいるのでそのまま店内を出る。活気がある商店街の只中、自分自身の気も上がり色んな所に足を向けたくなる。

 気の赴くままにと一歩を踏み出した瞬間に例の感覚が額に起こる。今度は【ゴーストライト】によるいつもの馴染みある感覚だった。

「ゴースト」

 そう言うといつもの通り自分にしか視えない縦書きの文章が数行に渡って現れる。それを見る度に想像力が働き、自分だけの情報を受け取っているとして優越感が起こり、頭部に興奮が集まる。背筋は自然と伸びるし口が半開きになりポカンとした表情で視る事も度々。

 活気のある商店街で何かあるのかと不安と高揚がないまぜになった気持ちで霊的文章を凝視した。

 その内容は。


【ひっそりとした裏道に入っていくと正面にうっすらと青白い扉が現れる。そこは非公式の喫茶店の入り口……】


 というものだ。

「……」

 文孝は周囲を見回す。

 非公式の喫茶店がこの近くにあるらしい。その名称からして店側に認められた人物しかお客として入店を許されないのではないかと想像出来る。加えて公に出来ない商売をしているのではないかとも。いずれにせよ非公式という言葉に興味を持った文孝はその喫茶店を探してみる事にした。

 たった今昼を済ませたカフェの出入り口付近で辺りを見回す。次々と流れる人通りのお陰で風景が見えにくく探しにくい。まずはとにかく歩いてみようと決めて動き出す。少し行った所で建物と建物の間の道の傍に立っている柱が目に入り、そこに貼ってある張り紙に注目する。

『ここから先〇〇M 森の隠れ家』

 文孝は柱から視線を外し前方を見た。森の隠れ家、という場所があるらしい。何となく名前からして静かで奥まった所にある喫茶店をイメージ出来る。そこかもしれないと思い、そこ向けて歩みを再開する。だが非公式だというのならわざわざ張り紙などするだろうかとも思ったが今の所当てが無いのでそこに向かう事にする。

 楽しそうな家族連れのいくつかとすれ違いながら通りを歩いていると文孝はそれらしき場所を発見した。通りの中で連綿と続く様々な凝った外観の店を見てきたがこの場所に立つ建物の印象はまた違ったものである。隣の店と明確に区分けしている木々や茂みに囲まれたお洒落な外観の建物だ。雑多な人混みから歩いてきた人を癒してくれそうな場所である。

「へえ、良さそうな所だな」

 文孝は見ていて早速惹かれた。

 きっと中にはメルヘンな気持ちにさせてくれる西洋風の家具が部屋を彩っていて、店員はメイド服を着ていて別の時代にやってきたのではないかと思わせられるもてなしをしてくれるのではと想像を巡らした。

 敷地内に入り可愛らしく咲く花を囲った花壇を横目に通り過ぎ、店の入り口と思われる扉に向けて歩を進める。扉の近くまで来た時に気が付いた。

 赤と緑を基調にした扉だ。

 文孝は先程の霊的文章を思い起こした。

(確か非公式の喫茶店とやらは青白い扉じゃなかったか?)

 文孝は扉の近くで立ち止まって少し考えた。ここではないのだろうかと。

 折角ここまで来たし入ろうか迷っていると目の前の扉が開いて中から女性店員が姿を現した。窓から扉の前で立ち止まっている文孝の姿を見て声をかけたのだろう。

「いらっしゃいませ、お一人様ですか?」

 メイド服と思われる衣装に身を包んだ店員が文孝に聞いてきた。少したじろぐ文孝。

「ああ、あの」

 ――ここは非公式の喫茶店ですかと聞いて。もしそうだった場合どうして俺がそれを知っているのか聞いてくるだろうか。反対に非公式とは全く関係無かった場合可笑しく思われるだろうが――。

 どちらにせよ変に思われるかもしれないがここまで来たので聞いてみる。

「この辺りに非公式の喫茶店があると伺ったのですがここがそうなのですか? 特別な人しか入れなかったり」

 すると店員は目をぱちくりさせながら少し首を傾げながら言った。

「いえ……当店はどなたでも歓迎致します。この辺りに非公式のお店があるという事は存じません」

「ああ、そうですか。解りました。それではここで失礼致します」

「はい。又のご来店をお待ちしております」

 軽く頭を下げながら引き下がる文孝。敷地の外へ出ると店員が店の中に戻って扉を閉める音が聞こえた。その場で腕を組んで考える。

(ここじゃなかったか、この商店街は広いからな。一つ一つそれらしい建物見つけて聞いていたら時間がかかる。そもそもこの辺りにあるとは限らないが……かといってゴーストが何十キロと離れた場所を知らせるとは考えにくいな。霊文をもう一回思い起こしてみよう、どうだったっけ)

 青白い扉、非公式というキーワードが印象付けられていた為、それらが直ぐに思い浮かぶ。しかしもう一つ場所に関する重要な文章があるのを思い出した。

 ひっそりとした裏道に入っていくと正面にうっすらと青白い扉が現れる――。

「ひっそりとした裏道……」

 辺りを見回す。裏路地に入り込んでいく道は幾つかあったと思う。しかし全部調べていくというよりも――。

 文孝は元来た道を歩き出した。

 ――非公式の喫茶店に関する霊的文章を最初に視た場所に戻ろう。



 先程お昼を済ませたカフェに戻ってきた。

 出入口付近に立って辺りを見回してみる。ぱっと見た感じではひっそりとした裏道の入り口は無さそうに見える。変わらず混雑した通りを前方からの歩行者に注意しながら進んでいく。そして少し進んだところで傍の柱に目が留まる。森の隠れ家という先程の喫茶店らしき場所への案内が書かれた張り紙のある柱だ。最初来た時には柱の張り紙に注意が逸れたが、すぐ傍に建物と建物の間にある道があるのは見て覚えていた。

 向きを変えてその決して広くは無い道を見る。奥は曲がり角になっており進まないと先の先は解らない。

 ゴーストが非公式の喫茶店とやらの近くに居るからという理由で文孝に文章を見せていたとしたら、ここがそこに続く道の入り口ということになるかもしれない。

「よし」

 実際見ていると細い道だ。心まで細くなりそうな光景で少し怖くもあったが好奇心が勝った。

 その道に入る。辺りを見回し耳を澄ませた。この道からの人の気配は無く物音は特に無い。背後から聞こえてくる賑やかな通りの音を置いていく様に奥へと向かう。

 本来なら関わる事の無かった謎の店を知れた優越感で以て進む。両側が壁に囲まれているだけの狭い道をそれに沿って歩いて行くと。

 ――賑やかな通りから聞こえてきていた音量が急速に絞られていった。自分の足音だけが響く中、思わず立ち止まって後ろを振り返る。道は変わりないはずだが少し違ったものに感じた。空を見れば太陽が頂点から輝きを見せる中、この狭い道に立つ自分が隔絶された場所にいるのではないかと錯覚する。昼間の閉鎖空間かと。

「――」

 再び歩き始めると、何処となく頬に涼しさを感じた。

 進めば進むほどに思う。

(こんな場所に構えている店なんて、明るい所で出来ない商売なのではないか。喫茶店とは言っても悪い人しか入れない喫茶店だったりして。何かの漫画や映画であったような、殺し屋しか入れない店とか)

 目立たない道とはいえ侵入防止用の門があるわけではないので、あの賑やかな通りから自分の様に入り込んでくる人が全くいないとは言い切れないだろう。店側もそれは解っている筈。文孝はそう考え気を取り直して歩を進めていく。

 そして前方に見えてきた青白い扉。壁に埋め込まれたそれは、うっすらという表現が似合う色合いで何処となく儚げな印象を受ける。

(さすがゴースト。本当にあったな)

 その扉の前まで進む。この先に何があるのだろうと凝視する。存在する場所が場所なだけに、立って扉を目の前で見ていると想像がかきたてられる。

(本当にこんな所に喫茶店があるのか。これが入り口なのか。看板も無いしこんな、言われないと気が付かない様な場所に構えてるって……。いや、非公式と書いてあったからあえて目立たせず、必要としている通な客のみを受け入れる様にしてあるのだろう)

 色々考えていたがやはり気になって入店してみたくなる。どんなメニューがあるのか、そもそも繋がりの無い文孝を受け入れてくれるのか行ってみれば解ると考えた。

 扉をノックする。沈黙が返ってきた。

 そっとドアノブに手をかける。

 扉を開くと中は薄暗いこれまた道程と同じく一本の通路だ。通路は短く両側に扉は無い。靴の汚れを落とすマットが足元にあり、それとは別に奥まで続くカーペットがある。軽く靴の汚れを落とし柔らかいカーペットを踏みしめて進んでいくと一つの扉に行き着く。

(まさかこの先も同じような光景が続いていてループするんじゃ……)

 と、考えてしまう。すぐにフィクションの見すぎだと頭を振る。

 恐る恐る扉を開けると――そこは広くはない部屋だった。ループせずに済んだが今度は入ったその部屋の様相に戸惑った。

 第一印象は仕切りがある窓口が設置されている可笑しな部屋である。仕切りの向こうは全く見えない。どんな見方をしても喫茶店には見えない。音楽も流れていない、スタッフの姿も見えない。仮に喫茶店だったとしても今日は休みなのではないかと思わせる雰囲気である。

 非公式という言葉を付けているのはさすがというべきなのか。通常、テーブルと椅子が豊かな広がりを見せる部屋に置かれ、芸術性のある置物が目に入り、音楽が優しく流され、くつろぎのひと時を過ごしてもらおうと丁寧に案内する店員が居る喫茶店とは全く違う。普通でない喫茶店なのだなとは考えていたものの、ギャップの激しさに戸惑った。

 文孝は入ってきた場所にそのまま立ち尽くした。

 出迎えてくれる人や、侵入者として咎める人も出てこない。こじんまりとした部屋の中はしんとしている。仕切りのある窓口とその前に置かれている椅子を交互に見る。

 何か情報を得ようとあちこちに視線を彷徨わせてみるが、勝手に入ってきているという負い目も強く感じてきたので踵を返して戻ろうとすると。

 背後から声がかかった。

「こんにちは」

 文孝は「えっ」と、驚いて振り返った。光景は先ほどと変わらず窓口の様な仕切りがあるだけだが、その向こうから声がかかったのだ。

「どんなご用件でしょう」

 声の主は初めて来て戸惑っている文孝をどうやって視認したのか。カメラでもあったかなと思いながらも返事をする。

「あ……こんにちは。ここって喫茶店なんですか?」

「…………」

 沈黙が流れた。やはり公にはしたくない店なのだろうかと思いながら気まずそうに文孝は自分の服の一部を握る。

 仕切りで見えぬ向こう側の女性らしき相手が答えた。

「ええ。非公式ですけどね」

 やはり積極的に客を呼び込む普通の喫茶店とは違う様だ。向こうの声の主はその声からして若い女性を連想させた。

 姿の見えぬ女性、窓口、非公式。

 これらのキーワードを中心にどんな店なのか短い時間考えたが答えは出なかった。だが声の主が尋ねた通りの事をまずは応えようとする。

「用というより興味本位でここに来ただけなんです。内装やメニューを見てみたいと思って」

 声の主はそう言った文孝の事を、返答だけで判断せず注視しているかのような間を作った。

 文孝はその間に少したじろいだ。

(いきなり入ってきた訳だし、怪しい奴だと思われただろうか。いや、それよりもこの店自体が怪しいもんだよ。何なのこれ、仕切りの下に手を差し入れるスペースあるけどあそこから料理を出すわけ? 変だよ。その変な店の人が俺を不審者と判断して俺通報されたらどうしよう)

 冷や汗をかきながらも窓口をじっと見つめて立っていると、向こうの主は言った。

「そうですか……ちなみにどちら様からこの店の事をお聞きになったのか伺っても宜しいでしょうか」

「あ、ええと。誰から聞いたというよりも寄り道をしてみたくなって。そしたら青白い扉があったので……少し外見が秘密の喫茶店ぽいなと自分で思って来ただけなんです」

 霊文で知って入ってきたとは言えないので誤魔化した。

「そうですか。秘密の。確かにそう見えなくもないですからね、わかりました。先程の言葉の通りここは普通の喫茶店とは違って非公式なのですが、もしかしたら何かのご縁かもしれません。折角なのでコーヒーをお出ししましょう。普段は一杯二百円なのですが初回のお客様ですのでタダにします。少々お待ち頂けますか?」

「あ、はい、すみません。ありがとうございます」

 タダにしてくれるとはいったものの、文孝は少し居心地が悪くなった。解りやすい看板を出さず非公式という所からして、今の自分は不意の望まぬ来客だっただろう……そう思ってそわそわしていたが頼んだものを取り消すのも何なので受付前の丸椅子に座る事にした。正面を見ると仕切りが立ちはだかっており向こう側はどうなっているのか全く分からない。

 店に入ると狭い一本道、辿り着いた少し開けた場所は懺悔室を思わせる構造の窓口があるのみ。文孝以外に客はいない。向こうの様子は見えないので物音で少しでも情報を得ようとする。こんな店に来たのは初めてなので緊張しながら待つ事数分。

 やがて仕切りの下の隙間から差し出されたのは香り際立つ一杯のコーヒーだ。見た事のない洒落たアンティークカップに入れてあるそれを、頂きますと一言添えてから口にする。美味いと感じる。素直な感想を言おうと顔を上げた時、一口飲み終わるのを見計らったように向こう側から切り出された。

「さて……生徒さん、ですよね」

「え、はい」

 声のトーンで若者と判断したのだろうか。

「私はここで人の悩みを聞いたりしています。貴方も宜しければ言いたくて仕方のなかった事を打ち明けてみませんか?」

「え、ええと。はは、いきなりですね。悩み事か……うーん」

 慌てて困りごとを探す文孝。

(何か無いか……あ、困り事っていうか前々からどうしようもなく気になってきた事があるな。考えるまでもない事だった)

「そうですね、強いて言うなら勘がよく働くことです。不意にこの先何が起きるのか解ったり周囲の状況が何となく把握出来たりするんですね」

 文視能力の事を伏せて当たらずとも遠からずな言い回しをした。勘が働く事は誰にでも一度くらいはあるだろう。勘が働くという言い回しなら何が起こるか解るという事にも説明がつき、相手を納得させられる。

「直感……第六感の類ですね」

 窓口の向こうの女性がそう言って言葉を切った。その代わりこちらを調べ考察するような沈黙を出してきた。仕切りがあって見えないはずなのにこちら側の姿だけでなく内部事情をも見られている様な感覚になって文孝は体を固くして背筋を伸ばした。

 緊張の沈黙が数秒程続いたかと思うと窓口の女性が口を開く。

「直感はその人個人の松果体に依るものもありますが、この世の者でない存在からメッセージを受け取っているという場合もあり得ます」

 文孝は少しドキリとした。ゴースト、霊、この世でない……文孝がゴーストライトと呼ぶ能力の事がバレたのではと。

「貴方の勘がよく働く様になったのが生まれつきではなく、とある時期を境に、との事でしたならば」

 文孝は首肯して続きを促す。

「はい」

「何か霊的なしがらみのある品を手に入れた結果、それに影響されて勘が働く様になった可能性もあると思います」

 向こう側から女性が静かにしかしはっきりと聞こえる声で語る。無駄な力を入れていない真摯な態度を想像出来る声。

秘密の窓口、非公式の喫茶店――という怪しげな肩書の只中で胡散臭さは無く、正式に司祭にでも助言をもらったかに思えた。

 文孝は霊的なしがらみのある品と聞いて今はかけていない眼鏡を思い浮かべる。

「どうでしょう、何か変わった品をお持ちの覚えは?」

「あ、いえ。ちょっとすぐにはわからないですね……どうだったかな」

 霊的なしがらみ……その言葉を基に前々から自分の中で組み立てては寝かしてきた憶測を頭の中で引き揚げていく。

 

 ――俺に文章を見せている存在は祖父なのではないか。祖父は文章と縁の深い生活を送ってきたし、その祖父は自分が亡くなった事であの世と繋がった。あの世では現世に留まった状態では知る事の出来ない情報を知れると聞く。そうしてあらゆる情報を知ったあの世の祖父がこの世の孫である自分を助けてくれているのでは? という憶測である。

 自分と血の繋がった者だし自分の眼鏡という遺品を持っているし……だから文孝にしか視えない文章が視える。

「…………」

 引き揚げた憶測を吟味する。一見して道理が通っていそうなありえる憶測である。しかし納得いかない面もあった。

 一旦思考を止め顔を上げて窓口の向こうを見て言う。相手の姿は仕切りで見えないが目を合わせるつもりで相手の姿を思い浮かべて前に集中する。

「霊的な品についてはあるかどうかは今ははっきりしません。でもお聞きしたいです。霊的と言われるからにはあの世が思い浮かびます。あの世とはどういう場所なんでしょうか? そこに繋がった人は世界観や価値観が変わると聞きます。臨死体験をした人の話では多幸感に包まれたり宇宙のあらゆる事が知れるといった話があります。あの世と繋がった人は心境や常識がこの世の人と比べて大きく変化してしまうのでしょうか」

 文孝の疑問は最もだった。

 ――もし血の繋がった祖父が本当に自分を視ていて助けようとしているなら、もっと具体的にはっきりとした文面で状況を教えてくれる筈なのだ。最近では気になるあの子の任務の内容とか、カツラを落とした人がいるから拾ってやりなさいとか、あの子はこれこれこういう事を考えているのでその事について上手く相談に乗ってやりなさいとか。そして今日だってそうだ。貴方がお昼を済ませたカフェのすぐ傍に細い道があるから、そこに入っていって見えてきた扉を開けなさい、そこの人が悩みを聞いてくれるから……などだ。

 高校に入る以前もそうだ。事象がはっきりと掴みにくくよく考えてみてもわかりにくかった霊的文章は数多くあった。

 やはりゴーストは祖父ではなく、別の何かなのだろうか。その何かは文章と縁のある存在であり、作家だからという理由で祖父に憑いて眼鏡にも影響した。その眼鏡を文孝が受け取った。だから文孝は文章が視える――。

 そうでないならあの世に繋がって変質した祖父の霊が、超越した価値観を以てそれまでの気配りや良心を手放しながらも孫の助けになるという微かな想いを手放せずにいる。だから必ずしも解りやすい訳ではない、助けとなる文章を送ってくるのだと思うのだ――。

 という考察をしながら窓口の向こう側に問いかけた。

 少しの間の後、窓口の向こうの人物が返してくる。

「あの世に関わると人生観が変化する事は珍しくありません。そしてそれについてはある意味身近な事と言えます。人間が疲れると眠りに入るのは一旦自分の一部が体を離れ、この世とは別の領域に入りエネルギーを補充する為とも言われています。だから起きると元気になっている」

 文孝は首肯し、続きを促す。

「人によってあの世の接し方も見えてくる世界も変わるとも言われていますが……無暗にあの世に関わろうとするのは止めた方が良い。もたらすのは良い変化ばかりではありません。もし霊的な品に心当たりがあったら触れずに離しておくのがよろしいかもしれません」

 仕切りの向こうの女性は釘をさすように重みのある口調で言った。

「あ、はい……」

 注意を受けて少し体を強張らせた文孝は視線を下に落とした。先程のコーヒーが残っている。湯気を少し出してまだ熱はある様だ。

「私の意見をご参考までにどうぞ。コーヒーを飲みながらでも」

 そう言われたのでカップを手に取る。まだある熱が失われぬ内に黒々とした液体を口に運ぶ。

 苦さ、旨味。それらを感じながら今しがた言われた事を頭で反芻させていく――。


 長居するのも何なので相談のお礼を言って風変りの喫茶店を後にした。来た道を戻っていきメインの通りに出る。

 文孝は、今の喫茶店は何だったのだろう、どういうつもりで開いたのだろうと考えていたが、ふと無意識に視覚と聴覚を通じて入ってくる情報に気が付く。

 通りの人々の話し声が聞こえない? 視界がスッキリしている?

 静寂。

「え」


 ――静かだと思ったら辺りに人が居ない?

 文孝は人々の姿を求めて彷徨った。

 そうしてある場所に差し掛かった時大きな人だかりを発見した。待ち合わせ場所として使われている柱状のモニュメントがあるスペースである。

 商店街から人が居なくなったというよりも、離れた所で一か所に集まっていたのだった。何をやっているんだろう――そう思って眺めていた時、人だかりが驚きの声を上げる。文孝は慌てつつもそちらの方へ走っていると原因がすぐに分かった。


 商店街に建てられた先程自分が撮影した柱状のモニュメントが大きく傾いている。


 辿り着いた現場に群がる人々の群れに近寄って話を聞いてみると、モニュメントが少し傾いているのに気が付いた人が通報し、どんどんと人が集まってきている内に急に倒れかかるようにモニュメントが角度を変えていったというのだ。そして先程の軋む音と共に更に傾いて今のような状態になったらしい。

 口を開けてうろたえる人々と文孝。近づかない様にと注意する行政職員、スマホのカメラで只管撮影する人々。倒れてきたらどうしようという不安を抱く人々に注視されるモニュメント。


 自分を囲む人々に向かって頭突きでもする様に――商店街の有名な柱状のモニュメントは地面に倒れこみ盛大な音と共に激突した。

 そして破砕音を轟かせながら多くの破片に分かれた。倒れる際の轟音と飛び散った破片に人々はパニックになり慌てて距離を取る人達でこの場は混乱した。



 ――騒ぎと離れた場所の喫茶店にて。

 森の隠れ家という名がついたこの喫茶店の中には幾人かの客がくつろいでいる。その客の中に静かに何かを待ち続けている様な少女がいた。

 顔の両側を流れる髪の左右一部を青リボンで束ねた少女は静かで暗がりの席に、アンティークに囲まれて鎮座している。机の上のティーポットは既に空。両手で包んだ残り僅かな紅茶に映った自分の顔を見つめていたが、何かを感じたのか傍に設えられた窓へ顔を向ける。

 そう遠く離れてはいない場所で騒ぎが起こったらしく、近くの通りを人々が足早に移動していくのが傍の窓から見える。

 少女は瞑目し一呼吸した後……ゆっくりと立ち上がった。

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