第2話 気になるあの子

 翌日になっていつも通り登校した文孝。


 教室に入ると――青リボンの少女、雨宮詩織は変わらず見栄えがするもので自然と目が引き寄せられる。そして昨日の下校間際にゴーストライトで視た霊的文章を思い起こした。

(任務とかって話だったけど、特に変わった風ではないな)

 彼女は変わらず目を惹く容姿をしていて人当たりも良く自然とクラスメイトと親しそうに会話をしている。いつもの光景だ。

 数秒目を通じた保養を行った後、文孝は席について近くの馴染みある生徒に朝の挨拶をしつつ授業の準備を進める。

 そっと机の上に眼鏡を置く……。

 自分と席も近く比較的話す頻度が多い小山佑太こやまゆうたという男子生徒がそれを見て言った。

「深野、お前勉強の時だけ眼鏡をかけるのな」

 小山の髪の毛は茶髪がかっていて少し遊んでいる印象を受ける外見だ。好奇心盛んな瞳に見つめられた文孝は苦笑しつつ答えた。

「ああ、気持ちを切り替えるためだよ。何となく集中できるんだ」

 文孝はそう言ったが嘘ではない。しかし理由は他にもある。

 ……。



 授業が流れていく。

 教師が黒板に記す内容をノートに書き留めていく。区切りの良い所で手を止めた。

 かけている眼鏡の淵を撫でる。

(毎日授業を受ける。いい将来の為に。でも俺は何になれるんだ?)

 自分は身内の影響があって本をよく読む。そのお陰で漢字も多く書けるし、様々な文章表現を知っている。それは自分の強みだと自覚しているがそれでコンプレックスに対処しようとしている。

 今までに出会ってきた同世代の活躍を羨ましく思ってきた文孝。

……自分よりもサッカーが上手い、吹奏楽部で全国大会に行った、生徒会長になって皆を引っ張り一つにまとめて学園祭を大いに盛り上げ大成功させた……などの情報が自分に入ってきた。それに比べて自分は彼らの様な華々しい活躍は無いと悩み、心臓に負担がかかるような苦しい悔しさを幾度となく感じてきた。

 中学生だった時、特にその傾向が強くなり、ある日自分の部屋で椅子に座り机に置かれた両腕と手を見ながら俯き続けていた。

 自分には何か無いのか……そう思いを巡らし自信を持てるようなものを自分の中に探した。全身を映す鏡を見ても特に体格が良い自分が映るわけでもなく、成績順位表を見てもトップ3に自分の名は見当たらない。

 それでも何か無いのか? 確固たる自分を探し思いあぐね。自分で自分の体をさすり抱きしめ、鬱憤が溜まり椅子に座りながら自分の膝を何度も叩いた。ドクンドクンと心臓の動きが早くなるのを感じる。全身に血液が送られているのを感じる――。

 そこで気が付いた。

 俺には血が流れている。祖父の血が。

 家を訪ねる度に優しく文孝の頭をさすり、文章による表現の楽しさを教えてくれたあの祖父の。

 いつからか自分は名の知れた作家の孫なのだという血縁的事実に縋る様になった。数多の物語を織り上げ、文法で魅せる――そんな祖父の血が流れているのだと意識するようになっていった。

 自分は今十六歳。

 体内の血が体を駆け巡ると共に、思春期真っ只中を自身の血を拠り所にして駆け抜けていくのだろうか。

 その血の源はもういない。

 祖父の遺品たる眼鏡を付けたり外したりしているのを指摘されたせいか、授業中にこんな事を考えてしまう。自分よりも運動神経が良く交友関係が広く良好な小山に指摘されたという事実も相まっている。ずっと眼鏡を付けていないのは祖父の威光に縋りつく自分を嫌悪する気持ちがあるからだ。

 悶々としているとその姿を教鞭を振るっていた教師に見つかった。

「こら深野、ちゃんと聞いているか」

 授業を疎かにして注意されてしまう始末だった。急いでコンプレックスやら将来やらについての思考を切り替えて授業に向かう。



 チャイムが鳴り皆席を立ち始める。

 昼休みになり文孝は購買でパンを買って連れの小山が買い終わるのを待っていた。

すると例の感覚が額に来た。眉間に近い場所の感覚だ。誰にも聞かれない様に離れた場所で額に感覚を集中させながら合言葉を言う。

「ゴースト」

 目前に縦書きの文章が現れる。


【黒い偽りが剥がれ落ち真実が明るみになった。その真実の光が辺りを照らすだろう】


「???」

 文孝は文章に合いそうな現象を探したが見当たらない。購買に群がる生徒達が居るだけだ。少しその場を離れて、ゴーストが提示している現象を探し始める。歩きながらも文章は常に目前に表示され続ける。廊下に差し掛かると前方に一人の教師らしき人が歩いている姿が視界に入った。

 自分と関係は無さそうだが何となく好奇心で、ゴーストがわざわざ提示してきた内容を知ろうとする事にした。

(この辺りを探してみよう)

 目の前の縦書き文章を手でおさまえその場に据え置く様にする。自分が文章をそこに固定させるような感覚になって首だけを回すと、文章はそのままで横を向いた視界にはついてこない。左右の壁に顔を向ける、天井を見回す。何か可笑しな所は無いかと上を向いたまま動こうとする。

 と、そこで何かを踏みそれで滑って転倒した。床に注意を払っていなかった。尻餅をついてしまい、その部分をさすりながら起き上がり踏みつけたものを見るとそれは黒い大きめの皿に見えた。黒いモップの先にも見える。

「これは……」

 まさかと思い自分がいる廊下の先を見据える。目前には霊的文章が表示され続けているが、先の先を見ようとすると調整が働き文章の存在感が薄くなり現実の光景が見えやすくなる。

 見えやすくなった前方を見る。一人の教師が先程よりも少し離れた場所を歩いている。教師の頭部に違和感を感じる。

 目を凝らし前方を注視する……。

 そこにはカツラを落とし後頭部を光らせた教職員が自分に起きた悲劇、あるいは喜劇に気づかないで先を歩いている。

 文孝が踏んだのは前を歩く教師のカツラだったのだ。

 辺りに人はいない。このままでは周囲の好奇の視線に晒されてようやく気が付き、禿がばれたショックで休職するかもしれない。

 文孝は急いで踵を返すと霊的文章は消滅した。購買に戻ると小山が丁度自分の分を買ってこっちに歩み寄ってくる所だった。

「小山、俺がお前のパン預かるよ。頼みがあるんだ」

「何だ? どうした」

 事情を説明すると小山はクックッと笑いながら現場に向かう。落ちていたカツラを掴んで少し腰を落とし、フリスビーの様に先行く教師目掛けて投げた。運動神経良し、コントロールの上手い小山の投げたカツラは丁度相手の後頭部にヒットし、床に落ちた。

 相手が振り向くまでの短い時間に廊下を走り角を曲がって隠れる。……そっと角から様子を見るとカツラをぶつけられた教師がうろたえつつ顔を赤くしながらもそれでも素早く頭にカツラをセットし直していた。終わった後、目撃者は投擲者は何処だと探しているようだったが、やがて自分の頭を抱えて足早にそこを去っていった。

 それを見届けた文孝はふうと一息ついて壁に寄り掛かり、傍の小山に言う。

「お前野球上手いんだったっけ? 丁度お前が居て良かったよ。俺が投げたんじゃ飛距離が足りなかったり明後日の方向に行ったりするかもしれなくてさ」

 飛距離が足りずに落ちてそれを拾いに行こうとしている時に相手が振り向くかもしれない。かといって影に隠れて「落ちてますよ!」と声高に言っても周りの生徒を呼び寄せてしまうかもしれない。

「はは。でもさ、学校の中の誰かが自分の禿を知っている、でもそれが誰だか解らないって心境はかなりストレスなんじゃないか? まあ、放置してて不特定多数に直に目撃されるよりはましだろうけどさ」

 そんな風にちょっとしたハプニングを超えた高揚感でもって昼休みを過ごした。そして文孝は思う。

(にしても……文章の通り本当に光ってたなあ。何者なのか解らないけどゴーストライターにもユーモアが解るのか、それとも本当に事実のままを書いて知らせただけなのか。禿を皮肉ってたならちょっと親近感湧くな)

 教室でパンの袋を小山と二人で開けていく。小山が自分の頭部をさすりながら言った。

「俺は将来ああなりたくないな。今の内に食生活見直した方がいいかな」

「でも毎日栄養ある弁当作るって手間もお金もかかりそうじゃないか?」

「そうだよなあ……」

 小山は食のバランスをあまり考えずいつも手近なもので適当にすませてきた様な口ぶりだったが、文孝にも気持ちは分かる。一人暮らしをしている身からすれば注意をしてくれる人がいないので、知らずの内にずぼらになりかけてしまうパターンはある。

 軽い、もしかしたら重い人助けをして満悦しつつ、午後の授業開始まで小山と他愛ない話をして過ごした。


 その日の授業が終わり、部活見学へ向かう小山と軽い挨拶をして別れる。

 図書館でお気に入りの作家の本が全て貸し出されてるのを見てガッカリしながら帰途につく。下駄箱にて靴を取り出そうとする。

 その途中で額に感覚が起こる。

「本日二回目か……ゴースト」

 どんな文章が来るのかワクワクした。


【屋上にて眼下を見下ろす少女。夕日が少女に惜しみない光を注ぐ。青の線が少女の背後で舞い踊る。目標に辿り着かんとする確固たるその視線】


 その様な文章が現れた。

「青の線……舞い踊る……目標、確固たる視線?」

 文孝は好奇心に駆られた。

 昨日の今日だ。夕日、屋上、少女、青いもの。そう来れば再び雨宮詩織の事が文章となって現わされているに違いないと考えた。

 踵を返して校内に戻り屋上へと至る道を進む。途中、意味ありげな彼女に合わない方が良いのかと少し怖気ついたが見てみたいという気持ちが勝った。何となく屋上から夕陽を見たくなってと言い訳すればいいと考えた。

 そして屋上の扉の前まで来た。この先に意味ありげな青リボンの雨宮詩織が佇んでいるはず。相手より先回りする様な優越感があった。幾度となく感じてきた優越感。

 密かに気になってきている異性を知る優越感――。

 任務があるというからにはそれに関して真剣であろう彼女に関わるのに引け目を感じていた。が、またもや現れた彼女に関する霊的文章を見て想像が膨らんだ。

(ただ、屋上に行くだけだ。向こうは俺が文章が視える事は知らないし、邪魔になりそうだったら直ぐに引き上げればいいだけだ)

 扉の前で体を固くする。

 緊張してきた。いつもと違うかもしれない彼女が居ると思うと何処か怖くも見てみたい気持ちがあった。ぎこちない動きで一歩踏み出しドアノブを掴む。開けたいのか開けたくないのかはっきりしない力で扉を押していく。

 ゆっくりとゆっくりと、屋上の扉を開ける。

 胸が高鳴る。

 扉は開き、前を見た。



 そこには誰もいなかった。

 只、夕日が屋上を照らしていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る