俺は文章が視える

宣野行男

第1話 入学の日

 深野文孝ふかのふみたかは文章が視える。


 そんな彼も高校生になる。入学初日となる今日、期待と不安に胸を膨らませながら家を出た。朝日で照らされた街並みを自宅であるマンションから見渡す。

 輝かしく見えた。新しい生活が始まる希望の朝だ。新しい学校、新しいクラスメイト、新しい通学路と街並み。

 文孝は今年から通う高校に何とか歩いて行く事の出来る距離にある物件を見つけて住んでいる。実家からでは少し遠いうえに自立心を養えるという事で、一人暮らしをしたらいいと家族一致で決まったのだ。

 そして今日登校する。

 学校までの道のりを覚えるために何度か行き来した事を思い出しつつ、通学鞄を握りしめてマンションの階段をドキドキしながら降りていく。

 地上まで降り切ったその時だった。

「んっ」

 額に感覚が起こる。

(入学初日に早速来たか……)

 一つ深呼吸をして姿勢を改めながら前方を見る。

「ゴースト」

 額に感覚を集中させたまま、そう一言放つ。

 それが合図になった様に目の前に自分にしか視えない縦書きの文章が数行に渡って現れる。

 その内容は。


【意気揚々と家を出る深野文孝は高校生活の第一歩を踏み出す。四月の晴れ晴れとした陽気に照らされて輝く街の光景を見て、未来は開かれていると感じた。そして家の鍵もかけずに開いたままだ】


 というものだった。

 文章を読んだ文孝は微妙な気分になった。

(もっと早く教えてくれよ。また家の鍵を閉めるために階段を登らないといけないじゃないか)

 しかし教えてくれなければ、大したものは置いてないとはいえ空き巣に入られるかもしれないので文章に感謝しつついそいそと来た道を戻るのであった――。


 これはこの様に、何者かが背後に憑いて自分を視ているのではないかと思われる男子高校生の物語である。



 入学式が終わり教室で自己紹介が始まる。黒板の前まで一人ひとり移動し、席に座る皆の前で簡潔に行っていく。元気よくするもの、はにかむもの、それぞれの姿勢で見せていく。

 自己紹介の途中で教室内の空気が変わった。


雨宮詩織あまみやしおりと言います。読書も好きですが体を動かすことも好きです。皆さん宜しくお願いします」


 そう自己紹介した女子生徒は美人だった。セミロングの黒髪に、顔の両側を流れる髪を一部だけ青いリボンの様な物で束ねている。姿勢良く立つその姿からしてスタイルの良さが際立った。そんなに声は大きくはなかったが自らの紹介は凛とした声で教室中に響き渡った。雨宮詩織は微笑を浮かべて頭を軽く下げる。整った顔立ちと目が合った様な気がして文孝はドキリとした。

 静謐な空間に一滴の水が落ちた音が聞こえた様。文孝は彼女の自己紹介が印象深く残った。

 雨宮という女子生徒の容姿に男子生徒の数々が惹かれ、女子生徒が憧れて……そんな雰囲気が漂った気がする。

 自己紹介は続き何人かの美人が過ぎていき……。

 やがて文孝の番が来た。

「深野文孝です。趣味は読書をする事です。宜しくお願いします」

 拍手が行われる中軽く一礼する。内容に嘘は無いが、自分にしか見えない文章が視えるという事は伏せた。これは家族で決めている事で、家族以外に自身の【文視能力】と呼べる様なものを持っている事は明かさない事になっているのだ。もしも能力が本当であると周りに向けて実証された場合――学校で広まりその内マスコミが来てプライベートが無くなったり、挙句の果てに怪しげな研究者たちに連れてかれて実験台にされてしまうのではないかという懸念が生じるからである。

 しかしそれにしても見た目普通の男子の、普通過ぎる自己紹介でつまらないなと自分で感じた。華のある高校生活の第一歩目だ。能力の事をちらっと仄めかして見所を作る位はいいんじゃないかと思わなくもなかった文孝だった。



 高校での学びが流れ始める。

 登校し、席に座って教師と向かい合う。時に外に出て体を動かす。初めは遠慮がちにしながらも、徐々に共通の話題を見つけて仲を深めていく生徒達。

 文孝も席が近かった男子生徒と話し始め、その者と近い者と更に繋がりが出来た。彼らと話していて一日に一回はクラスの女子生徒の話題になる。

 授業と授業の合間である今の時間、席が近い者同士で話していた文孝。女子の中で誰が好みかという話になり……ちらりと席の前出の方を見る。数人の人だかりに囲まれて談話の花を咲かせているのは青いリボンの少女。

 雨宮詩織は自分で紹介していた通り休み時間に時々本を読んだり、体育で体を上手く動かしていた。座学も運動もこなし人との交流も上手くやっている姿を見ていて文孝は彼女に対する好感度が知らずの内に上がっていた。他の男子もそうなのか目の保養として失礼にならない程度に見ているらしい。

 人付き合いに関して彼女は人当たりがいいと文孝は感じた。物腰が柔らかく安心感を与えられるような接し方で、初対面でも心の垣根を感じさせずに丁寧な対応が周囲の生徒を引き寄せているのだと思う文孝。他の生徒の彼女に対する感想も文孝と大差ないだろうと思われた。

 漫画や雑誌の感想を述べ合ったり、美味しいスイーツのお店にクラスメイト達と共に行ったり、他愛ない話で盛り上がったり。

 

 この様に青リボンの女子生徒が目立つ一年A組の光景……。



 座学をし、運動をし、席の近いものと雑談し。家と学校の往復をする日々が流れていった。ある日の放課後、文孝はいつもの通りクラスメイト達と短い談笑を繰り広げた後彼らと別れ校舎を出た。

 すると額に感覚が起きる。

「ゴースト」

 お決まりの言葉を言い放ち文章を目の前に表示させる能力を使う。

 自分と周囲の状況が解る利点を持つこの【文視能力】を、何年か使ってきて自分の得になる情報も知りたくなかった情報も文章として視てきた。何故この能力に目覚めたか、どんな存在が自分に文章を視せているのか未だに分からないが高校生になったこれからも使っていくつもりである。誰も知りえない事に辿り着く優越感に浸れるのだ。

 目前に表示される縦書きの文章を見る。夕日に体が焼かれるのを意識しながら見入る。

 内容はこうだ。


【青のリボンを握りながら少女は屋上に一人立つ。遠く地平線に沈んでいく夕日の光を浴びて自然の尊さを心身で感じている。残照を受けた美しい顔が輝く。任務を遂行しようとする毅然とした姿勢……】


 文孝は顔だけを後ろへ向け上を仰いだ。聳え立つ校舎の威容がそこにある。名指しはしていないが青リボンと来れば彼女、雨宮詩織が思い浮かぶ。自分の青リボンを握る雨宮詩織がいるであろう屋上はここからでは見えない。

(任務……)

 高校生らしからぬ言葉だ。その内容がどうなのかはともかく自分の成すべきことを思いながら、夕日を一身に浴びる美少女というのは相当絵になる。彼女がどの様な事をするのか知らないがきっと自分とは縁遠い事だろう。彼女は大自然の夕日を眺め、自分は道を下っていき街で庶民な生活に気を惹かれていく。

 幾ら特異な能力と言えるものを持っていても自分の気にする事と言えばお気に入りの作家の続刊や自分で書いてネットにアップした短編集の評価をチェックするなどの類。この夕方も、一日の勤めを終えてほっとし趣味に時間を当てられる高揚感をもたらしてくれるものだ位に思っている。

 文孝が道を帰り始めようとすると霊的文章は空間に溶け込むように消えて無くなった。視えない霊が文章で何かを知らせようとしてくれていると解釈しているため、この能力は【文視能力】、或いは【ゴーストライト】と呼んでいる。どちらの呼び名もこの奇特な現象をまあ的確に表していると文孝は思っている。

 これから先、高嶺で神聖思わせる彼女と特に関わる事は無いのだろう。そう思って下校し始める文孝。上に居るであろう彼女のイメージを思いながら道を下って進み街に入る頃にはそれを忘れて雑踏に紛れていく。

 

 二人が別々の場所で、別々の思いで見ていた同じ夕日もやがて沈んでいった。

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