第72話:最後に届いたもの(完)

 ユリハ・キャランのロビー横のカフェについた私とクロリアナは、昼食、いや私にとっては朝食をとることにした。私は、羊肉とひよこ豆をサフラン水で煮込んだ大好物のピティと、オルキス・マスクラと呼ばれるらん塊茎かいけい、つまりジャガイモのように地下で膨らんだ茎を使ったお茶、サレップを注文する。


「ちょっとクロリアナ。このサレップ、朝だと銅貨三枚なのにこの時間だと銅貨五枚とか、納得いかなくない?」


 私がそうブツブツ文句を言うと、クロリアナは呆れ顔で私に返事をする。


「リーディットさま、毎回思うのですが、どうしてそんなに小銭にこだわるんですか、確か昨日、金貨三百万枚近い取引をしていましたよね?」


「そうなのよね。私って、なんというか、身近なものに変換できない金額になると大雑把なくせに、こう身近なものに変換できる金額になると妙に細かくなっちゃうのよね。ダメだと分かっているんだけど、気になっちゃうものはやっぱり気になっちゃう」


「リーディットさま、そういうところ全然変わってないですよね。なんかほっとします」


 クロリアナはそう言ってくすっと笑う。


「ところで、リーディットさま。初めてのクテシフォン商業ギルドのお供がいない旅は楽しめましたか?」


「もちろん、とても刺激的で楽しかった。でも今は、楽しかったという気持ちよりも、私がいかにクロリアナや周りの人に守られていたのかを思い知らされたという気持ちの方が強いかな」


 私のこの言葉に、クロリアナは驚いた表情を浮かべる。


「へぇ、リーディットさまがそんなことを言うなんて意外です。もしそれが本当だとしたら、いい経験をなさったんですね。これに懲りたら勝手なことは控えてくださいね」


 クロリアナにそう言われて私は思わず苦笑い。そうね、今までの私、勝手すぎたかもね。


「でもね、クロリアナ。私、今回の旅で商人というものが少し怖くなったの。現地ではたくさんの人が死んでいて、たくさんの不幸が起きているというのに私たち商人は安全な場所で、その状況を利用して、操作して、お金もうけをすることばかり考えているでしょ?まるで盤上のチェスの駒を動かすかのように。私はその事実がとてつもなく怖くなったの」


 私の言葉を聞いたクロリアナは、急に真剣な顔を見せると、小さくため息をついた。


「そうですか、リーディットさまもようやくそのことに気がついたんですね。今回の旅は、リーディットさまにとって本当にいい経験になったんですね」


 クロリアナは自分の言葉を咀嚼そしゃくするかのように噛みしめると、何度も何度もうなずいた。


「でも、リーディットさまは一つ勘違いをされています。さっき商人をチェスで例えていましたが、それは大きな間違いです。なぜなら我々にはチェスの盤上の駒を動かす力はないからです。我々にできることは、盤上のチェスの駒の動きをみて、次の手を予測して、お金をいかにもうけるかを考えるだけです。チェスの駒を動かせるのは政治だけです。我々だって、政治によって駒を動かされて大変な目にあった経験多いですよね?」


「私たち商人はそこを勘違いしがちなのです。いかに先を見通せようが、いかに巨大な商業ギルドという組織を持とうが、いかに巨万の富を持っていようが、商人には盤上の駒を動かす力はないのです。我々ができることといったら、盤上の駒を動かすことができる政治権力に口添えするくらいです。それもお金という手段を使ってです。そしてそれを理解できない商人があまりにも多い。私はリーディットさまにそんな勘違いをしてほしくないのです」


 クロリアナはそう言って静かに微笑んだ。


「あとリーディットさま。もしかして今回の取引、シルヴァン市民の犠牲の上に利益を積み上げたとか、商人はなんとあさましい職業だとか、そんなことを考えていませんでしたか?もしそうだとしたら、それも間違いです」


「先程も言いましたが、我々は盤上の駒を動かすことはできません。我々がやったことは、状況を正確に把握し、その状況を利用し、お金をもうけたにすぎないのです。それが証拠に、我々のもうけはシルヴァン市民から吸い上げたものではないはずです。つまり、その状況を作り出したのは政治の責任なのです。この事実を忘れてしまうと、この先商人として正気を保つことは難しいですよ」


 クロリアナはそう言って私の頭を二、三度軽く撫でる。私はいつも自分のことを本気で心配してくれる、そんなクロリアナの気持ちが嬉しくてたまらなかった。


「ところで、リーディットさま」


「どうしたの、クロリアナ。急に改まっちゃって」


 クロリアナはそう言って悪戯いたずらな笑顔を見せると、懐から一通の手紙を取り出した。


「これ、シルヴァンのとある連隊長から預かった手紙です。リーディットさまに渡してほしいんですって」


「ちょっとクロリアナ、それ、すぐに渡しなさいよ」


 私が慌ててその手紙に手を伸ばすと、クロリアナは手紙を持つ手を天にむけた。

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