第59話:タキオン商業ギルドでの攻防⑤

「外まで声が丸聞こえだぞ。大切な話をする時はもっと小さな声でした方がいい。最近物騒だ、どこで誰が聞いているかわからないからな」


 なんともタルワールらしい太々しい台詞を吐きながら、タルワールはのっそりと部屋の中に入ってきた。


「リツ、危機一髪ってところだな」


 タルワールの声を聞いた瞬間、私の瞳からは涙がこぼれでる。そして私は声さえ出せずボロボロと涙を流し、ただ静かに泣き続けた。まるで私の中で抑えつけていた感情が、タルワールの一言で大爆発を起こしたかのように、一度流れ出した涙は留まることを知らなかった。そして私は、これからしばらくまともな思考ができないであろうことも同時に理解していた。


「さてお前ら、俺の雇い主を泣かせるとはそれなりの覚悟ができているんだろうな」


 そう言いながらタルワールは抜剣し、私の前にゆっくり歩み出ると、五人の兵士と対峙する。狭い部屋の中が再び異常な緊張感に満たされていく。ふいにそんな緊張の糸を切ったのは一人のアルマヴィル帝国兵であった。


「もしや、お前、シルヴァン六番大隊長のタルワールか?」


 その言葉を聞いたタルワールが「あぁ」と短く答えると、その返事を聞くやいなやアルマヴィル帝国兵は取り乱し、オスヴィットに嘆願しはじめた。


「オスヴィット様、我々ではこの男に勝つことはできません。ここで全員殺されるのがオチです。降伏しましょう」


 一人の兵士がオスヴィットにそう告げると、他の四人も口をそろえてオスヴィットに降伏を嘆願し始めた。そんな取り乱した兵士の様子を見て慌てたのはオスヴィットであった。


「お前ら何を言っているんだ、五対一で負けるわけがないだろう。構わず殺せ!」


 オスヴィットがそう怒鳴りつけても、五人の兵士は震えあがり、いっこうに動こうとはしない。そんな様子を見たタルワールは、口もとに太々しい笑みを浮かべる。


「どうやら俺は有名人らしいな。オスヴィット、お前の部下は俺と戦いたくないみたいだが?」


「お前ら、どうしたんだ、いけ!」


 オスヴィットは大声で叫び、アルマヴィル帝国兵に指示を出したものの誰一人動こうとしない。それどころか、一人、また一人と剣を鞘に納め、両手を上げ、タルワールに降伏の意志を示しはじめた。


「何をやっているんだ。お前ら」


 必死にそう叫ぶオスヴィットの首元に、タルワールはゆっくりと剣先をつきつける。


「さて、形成逆転ってやつだ。そこのお前ら、死にたくなければ剣を鞘ごと床に置き、俺の方に向かって蹴ってよこせ、今すぐにだ」


 タルワールがそう一喝すると、五人のアルマヴィル帝国兵は、タルワールに言われた通り剣を鞘ごと床に置き、タルワールに向かって剣を蹴ってよこした。これがオスヴィットが連れてきたアルマヴィル帝国兵の降伏であることは、誰の目にも明らかであった。


「よし、素直なお前らの命は助けてやる。このまま両手を上げ続けろ。少しでも手を下げたら、どうなるかわかっているだろうな」


 そう言ってタルワールが五人のアルマヴィル帝国兵をにらみつけると、五人は黙って何度も何度も首を縦に振った。


「さて、オスヴィット、次はお前の番だ。お前はここで選ぶことができる。ここで俺に殺されるか、シルヴァンで法の裁きを受けるかだ。俺はどちらでも構わないが、お前にとっては大切なことだ、慎重に選べ」


「まってくれ」


 剣先を突きつけられたオスヴィットは、必死にタルワールに嘆願する。


「取引はできないのか? 最初に提案のあった、そちらが雇った商人には手をださないという条件を飲もう、飲むから今回の件は不問にしてくれ」


「だそうだが、どうするリツ」


 そう言ってタルワールは私に話を振ったものの、私はパニック状態をいまだに抜け出すことができずにいた。私はただ声を出さずにひたすら泣き続け、タルワールに対して返事をすることができなかった。


「残念だったな。俺の依頼主は一度泣き出すと止まらなくなるメンドクサイやつなんだ。俺の依頼主が判断できない以上、お前が選べる選択肢は二つだけだ。どちらにするんだ。ここで死ぬか、法の裁きを受けるか、はっきり答えろ」


 タルワールはそう言って目の前の机を蹴りあげると、次の瞬間、不幸な机はものすごい轟音ごうおんと共に砕け散る。そのさまを見たオスヴィットは、先ほどまで残していた少しの余裕すら失ってしまう。


「頼む、なんでもするから、今回ばかりは見逃してくれ」


 オスヴィットは、必死に何度も何度も同じことを叫び、タルワールに哀願した。


「そうだな。そこまでいうのなら、この件、俺の一存で不問にしてやってもいい。不問にしてもいいんだが、リツが出した条件に加え、新たに二つの条件を飲んでもらう必要がある」


 そうタルワールが言うと、オスヴィットは無言でうなずいた。


「一つは、今後リツの命を狙わないこと。もしそれを破ったら、どうなるかわかっているだろうな?」


 タルワールのその言葉に、オスヴィットは恐る恐る「証書に残した方がよろしいでしょうか?」と尋ねるも、タルワールは鋭い眼光をオスヴィットから逸らさない。


「証書が必要だと思えば勝手に作ればいい。しかし俺はそんなものとは関係なく、事が起きれば、事が起こる兆候があれば、お前の命を狙うということだ。商人特有の言葉での言い逃れは俺には通用せん。俺が判断し、俺が行動するんだ。わかったな」


「わかった、その条件は飲もう。もう一つの条件はなんだ」


 オスヴィットは震え声でそう返事をするも、タルワールはオスヴィットの首に剣の腹を押し付けたまま離さない。


「お前ら、リツの荷馬車の中身を確認していたな。その時、狼の肉と毛皮があったことを覚えているか?」


「あぁ、確かに覚えている。それがどうかしたのか?」


 そう聞かれたタルワールは、「ふっ」と微笑してこう続けた。


「俺たちはこのあと昼食をとる予定なんだが財布の中身が少し心もとない。だからあの狼の肉と毛皮、金貨百枚で引き取ってもらいたいんだが」


 タルワールがそういうと、オスヴィットは何度も首を縦に振った。

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