第58話:タキオン商業ギルドでの攻防④

「カチャ、カチャ、カチャ」


 明らかに不穏な金属音が扉の奥から聞こえてくる。これは間違いなく甲冑がこすれる音。どうしよう、タルワールは間に合いそうにもない。万が一の時、私、絶対に対処できない。一歩ずつ近づいてくる死神の足音に、私の恐怖と絶望は大きくなるばかりであった。


「バン」


 乱暴に開けられた奥の扉から、アルマヴィル帝国の甲冑に身を包んだ五人の兵士と共に、オスヴィットが部屋の中に入ってくる。オスヴィットの表情は先程とは打って変わって真剣そのもので、目の奥にほのかな殺意さえ忍ばせていた。


「さてリツ様、ここからはリツ様お得意の商売の話ではなくなります。是非とも慎重な発言を心がけてくださるようお願いします」


 この雰囲気はまずい。そう感じた私はできるだけ明るい口調でオスヴィットに話かける。


「オスヴィット様、私が何か気に入らないことを言いましたか?こんな状況になってしまったら、私が先程言ったことをタキオン商業ギルドが認めたことにしかならないのですが、そういう理解でよろしいのですか?」


 私がそういうよりも早く、一人の兵士が剣を抜き、私の首元に剣先を突きつけた。思わず私の首元から冷や汗がしたたり落ちる。


「リツ様、先ほど注意したはずです。これからの発言は慎重にお願いしたいと」


 ごくり、私は思わず生唾を飲み込んだ。この状況、オスヴィットは、つまりタキオン商業ギルドは本気だということだ。私はこの状況も予想していたとはいえ、頭の中で想像していたことと現実では密度が全然違う。この旅で何度も思い知らされた教訓を、私は再認識する。


「さてリツ様。私はこれから二つの質問をします。先程も注意しましたが、もしリツ様が自分の命が惜しいと考えられているのであれば、慎重にお答えすることをお勧めします」


 オスヴィットはそう前置きすると、恐ろしいほど低く、冷淡な声で質問を始めた。


「まず一つ目の質問です。リツ様は先ほどシルヴァン予備軍を雇ったと言いましたが、それは事実ですか?先程いただいた手紙によれば、リツ様はここ六か月スムカイトにいたはずです。常識的に考えれば雇用契約を結ぶことは不可能だと思うのですが?」


「じ、事実よ。スムカイトのクテシフォン商業ギルドの仲介で、シルヴァンのクテシフォン商業ギルドに契約してもらったの。ちゃんと契約書もある」


 そう言って私は、首元に突きつけられた剣を慎重に避けながら、ショルダーバッグから六月二日の昼前、アラス川のほとりでウォルマーから手渡された契約書を取り出して、オスヴィットに手渡した。


「いいでしょう。確かに、ここに書かれている通り、エルマール騎士団とちゃんと契約をしているみたいですね。しかし今日一緒にみえたのはタルワール連隊長。エルマール騎士団長ではありません。これはどう説明するつもりですか?」


「そ、それは、そこの契約書に書いてある通り、エルマール騎士団との契約はギャンジャの森を出るまでだったからよ。タルワールとは別の契約で、この旅の間、私の身の安全を守ってもらうため、スムカイトのドミオン商業ギルドで契約したの。詳しくはこの契約書を見てちょうだい」


 そう言って、私はショルダーバッグからタルワールとの護衛契約書を取り出してオスヴィットに手渡すと、それを見たオスヴィットは大きくうなずいた。どうやら私の言っていることは信じてもらえたようだ。


「タルワール連隊長とエルマール騎士団についての状況は理解しました。では二つ目の質問です」


 オスヴィットはそう言うと、先ほどの質問以上に冷たく、冷淡な声で再び問いかける。


「シルヴァン予備軍、つまりエルマール騎士団が山賊を捕らえたというのは事実ですか?」


「それも事実よ。ギャンジャの森近くの詰所にエルマールが連れて行ったはずよ。もしそれを疑うのなら、シルヴァン予備軍に直接聞けばいいじゃない。もっとも、そんなことをすれば、自分たちがやってきたことを自白するようなものだけどね」


「どかっ」


 私がそう言うや否や、一人の兵士が私のお腹を蹴り上げる。私はあまりの痛さに嗚咽の声を洩らす。


「言ったはずです。発言は慎重にしてくださいと」


 オスヴィットは冷徹にそう言い放った。


「いいでしょう、状況は正確に理解させていただきました。このような状況であれば、我々がしていることをこれ以上隠し立てすることは不可能ですね」


 そう言ってオスヴィットは一呼吸おく。


「では結論を申し上げましょう。ここシルヴァンは自治政府とはいえ、独自の法をもつ法治国家です。そしてこの件、シルヴァンの法に従えば、リツ様が被害届を政府に届け出ない限り、事件として処理されることはありません。そして我々は、この件が事件にならないことを望んでいる、つまり」


「つまり?」


「リツ様、残念ですが、あなたにはここで死んでもらうしかありません」


 オスヴィットはそう言って右手を上げると、部屋にいる五人の兵士は一斉に剣を構え、剣先を私に向けた。


「ちょ、ちょっと待って。私がここに来る前に、シルヴァン自治政府に被害届を出しているかもしれないじゃない?そうなったらあなた達どうするつもりなの、罪に罪を重ねるつもりなの?」


 私の必死の反論に対し、オスヴィットは失笑する。


「リツ様、あなたがそんなことを言う時点で、被害届を出していないと自白しているようなものなんですよ。そしてなにより今の時間です。シルヴァンの開門時刻から二時間も経っていない。そこから考えれば、あなたが被害届を出す時間的な余裕はないのです。つまり、この場で不幸な事故が起きれば、この件はなかったことになる。この程度の理屈、聡明なリツ様に説明する必要はありませんね」


 オスヴィットはそう言って、顔に凍りつくような冷たい微笑みを浮かべる。


「最後になりますが、リツ様。さすが大陸一の商業ギルドであるクテシフォン商業ギルドの特別会員だけあって、あなたは聡明でユーモアがあるとても魅力的な商人でした。もし我々がこのような形でお会いしなければ、こんな不幸なことにはならなかったはずです。だから私は、あなたとこんな形でお別れするのが残念でならない。そして、これから我々はあなたのことを過去形で話すことになるのですが、残念ながら我々商人にとって時間は貴重なものです。これ以上過去の偉大な商人のために時間を割くわけにはいきません。それでは」


 オスヴィットはそう言い終わると右手をゆっくりと振り下ろした。それを合図に五人の兵士が私に一斉に襲い掛かってくる。


「約束を守れなくてごめんね、タルワール」


 私が心の中でそうつぶやいたその刹那、後ろの扉の外から「待て」と大きな声が響く。タルワールの声だ。まさに危機一髪、なんとか間に合ってくれたみたい。

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