09.最後の勝負

第60話:恋人なんかじゃない

「タキオン商業ギルドの件、リツはあれで良かったのか?」


 そう涼し気に語るタルワールに対し、私は取り乱し平静を保てずにいた。

「ちょっとタルワール。こんな高そうな店、私、料金払えないわよ」

トルコ石ターコイズを用いたモザイクタイルで覆われた内壁、床一面の大理石、もう明らかに私、場違いじゃない。それになに、このコーカサス文様の絨毯みたいなテーブルクロス。私は木目むき出しのテーブルで全然構わないのに、こんなムダなところに贅沢ぜいたくしちゃって、ここの経営者、コスト意識が低すぎるんじゃないの。


「あぁ、金のことは気にしなくていい、ここは俺が払うから。さっき、なぜか大量の金貨も手に入ったしな」


 タルワールはそう言ってニンマリ笑う。


「とにかくここのシルヴァン料理は絶品だ。堪能していってくれ」


「あのね、そういうことじゃないの。なんというかね、私の服装がね、この場に相応しくないというか、なんというか」


 私は、自分が持つ伝える力をすべて使って、タルワールにそう訴えかけた。タルワールみたいな騎士であれば甲冑も正装になるかもしれないけれど、私はあきらかに普段着、周りから浮いているの、気がついて。


「あぁ、なるほど」


 よかった、伝わった。私、タルワールのこういう察しのいいところ大好き。


「服装のことが気になるのなら、今から個室を取ろうか?」


 だめだ、こういう思いって、ほんと男には伝わらない。コーネットとかウォルマーとかと違って、タルワールは察しがいいから伝わると思っていたのに、こういうところの男女の壁ってほんと大きい。


「じゃあ、料理の方は俺が見繕つくろっておくから」


 タルワールはそう言って給仕を呼ぶと、勝手に料理の注文をしはじめる。ちょっとちょっと、料理頼んじゃったらもう店を変えられないじゃない。いくらなんでも気が早すぎる。


「ふぅ」


 私は心の中で大きなため息をついて天井を見上げる。そこには、青いタイルをふんだんに使った夜空と星をモチーフにした立派なモザイク画が広がっていた。しかもそのタイル一つ一つが、ほのかな虹彩ラスターを作り出し、キラキラと輝きを放っている。まったく、これのどこが街外れにある行きつけの店よ。こんな高そうな店が行きつけの店なワケないじゃない。夕食までこんな場違いなところに連れてこられちゃたまったもんじゃない。夕食の店は絶対私が決める、決めるんだから。私はそう強く決意をした。そして、未だにタルワールを夕食に誘えていない事実については、あえて気がつかないフリをした。


 しばらくすると大量の料理を給仕が運んでくる。所狭しと並べられた目を見張らんばかりのシルヴァン料理、確かにこれはおいしそう。こんな最高の料理を見せられたら服装のことなんか気にしている場合じゃない。そう考えた私は、我を忘れて食べることに全力を尽くす決意をする。


「あら、タルワールさん。来てくれたんですね」


 料理を運んできた一人の給仕が、ふいにタルワールに話かける。


「やぁヴェロニア。久しぶり」


 え、店の給仕がタルワールの名前を覚えている。タルワールって本当にこの店の常連なんだ、こんな高そうな店なのに。私はそう驚いたものの、すぐに他の気持ちが私の心を支配する。すなわち、こんな高そうな店の常連になるくらい羽振りがいいのなら、私との契約料もっと安くしてくれればよかったのに。いや、今はそんな些細なことはどうでもいい。私はホロヴァツと呼ばれるコショウで味付けされた羊肉のグリルにすべての注意を向ける。こんなにコショウが効いた料理を食べるのは久しぶり。さすが高級レストラン、この店に来て本当によかった。


「タルワールさん、今日は珍しくお酒を注文していないのね」


「おいおいよしてくれよ。それでは俺が、毎日昼間から酒を飲んでいるダメ男みたいじゃないか?」


「あら、違ったかしら?」


 タルワールとヴェロニアはそんな感じで小気味いい会話を楽しんでいる。しかし私にしてみれば、そんな身内ノリはどうでもよくて、小さな餃子みたいなものが入ったヨーグルトとハーブがたっぷり効いたマンティ・タナフロープと呼ばれるスープを堪能することが最優先。これ、ハーブの香りが鼻から抜けて、ほんとおいしい。


「ところでタルワールさん。一緒にいるこの女性はタルワールさんの新しい恋人さん?」


「うっ」


 急なヴェロニアの言葉に、私は思わず口に含んでいたスープを勢いよく吹き出しそうになる。私はあわてて冷静さを取り戻し、落ち着いて口の中に入ったスープを飲み込むと、何度も何度もゴホゴホと咳払いをした。


「もちろんさ、と言いたいところだがそうではない。まぁこれだけかわいい女性がそばにいてくれるんだから、今のところはそれで大満足さ」


「ちょ、ちょっと、今のところってどういう意味よ」


 さすがの私も我慢ができずに反論する。わ、私は、べ、べつに今からだって、ね。

そんな私の反応を見たヴェロニアは、しばらく私の顔をまじまじと見つめると、何かしら自分の中で納得したものがあったのか、ウンウンと何度も笑顔でうなずいた。


「そうね、タルワールさんは元気のいい女性がお好みだったものね。私は結構お似合いだと思う、だから頑張って」


 ヴェロニアはタルワールに一言そう告げると、手を振って仕事に戻っていった。私はそんな思いもよらないヴェロニアの言葉に、思わず頭が真っ白になってしまい、ちょっとだけ、そんな未来に思いを馳せていた自分に気がついてしまう。ダメダメ、今はそんなことにほうけている場合じゃないってば。


「さて話はもどるが、タキオン商業ギルドでの話、リツはあの結論でよかったのか。ってリツ、俺の話、聞いているか?」


 タルワールの言葉で我に返った私は、その問いに慌てて何度もうなずいた。


「も、もちろんよ。私が欲しかったのは、タキオン商業ギルドの意識。私たちのメインストリームに気がつかせないための陽動が」


 と言いかけて慌てて咳払い。さっきのヴェロニアとかいう給仕が変なことをいうから、動揺して変なこと言っちゃったじゃない、せっかく命を賭けたブラフを張ったのに、こんな大衆の面前で何言っているの、ほんと、しっかりしなさい、リーディット。


「もちろんよ。私が欲しかったのはギャンジャの森を安全に抜ける保障、これだけだもの。そして、タルワールはそれ以上のものをつけてくれたじゃない、だから大満足よ。でも、あの狼の金貨百枚の件、あれはさすがに暴利だと思うけどね」


「そうか、それならそれでいいんだが、しかし、タキオン商業ギルドに行かないという方法はなかったのか、山賊を」


 タルワールは、私の初めの失言に一切気がつかないように言葉を続けたが、さすがに急なことで上手く返事ができなかったのであろう。そして、この後に続く言葉は、きっと山賊を殺しているのだから、命を狙われる可能性だって充分にあったと続けたかったのであろう。しかし、ここは公の場だ。私と違う理由で、タルワールは発言することをためらったのであろう。でも、せっかくだから、優しい私は、この部分をちゃんと補完して、理解して、タルワールの質問に答えてあげることにしようっと。


「そうね、それも考えなくもなかったわ。そうすれば、木材を売れなくなって、タルワールに成功報酬の半金、銀貨五十枚を払わなくてすむしね」


 私のこの一言に、タルワールは思わず苦笑い。


「ま、そんな冗談は置いておいて、今回は仕方がなかったのよ。売買契約をすでにしてしまっているから、山賊に奪われたみたいな、もっともらしい理由がない限り契約を破棄することなんてできないもの。正確には契約を破棄することもできないわけじゃないんだけど、それをしてしまうと大きく信用を損なって、商人として新たな商取引ができなくなっちゃう。でも、それって商人としての死を意味することなの。あと、そんなことしたら、もう一つ大事なことができなくなっていたしね」


「なんなんだ、もう一つの大事なことって」


「そんなことしたら、せっかくのシルヴァン料理をここでタルワールと一緒に食べることができなくなっちゃうじゃない」


 そういって私がテーブルの上に置かれた料理を指さすと、タルワールは大きな声で笑うのであった。

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