第56話:タキオン商業ギルドでの攻防②

「お待たせいたしました」


 奥の扉がゆっくりと開くと、再びオスヴィットが私たちの前に戻ってきた。

「ご依頼のありました貸倉庫契約の名義変更の件、証書ができあがりました。中身のご確認をお願いします」


 私はオスヴィットから二枚の証書を受け取ると、さっそく中身を確認する。よかった、これなら問題なさそう、きっとうまくいく。そう確信した私は、黙って二枚の証書に署名し、オスヴィットに手渡した。


 二枚の証書を受け取ったオスヴィットは、しばらく書類に不備がないか慎重に調べていたが、やがて満足そうな笑みを浮かべると、そのうち一枚を私に手渡した。私はその証書を受け取って「ありがとうございます」と短く礼を言って、それをタルワールに手渡した。


「ところでリツ様。質問があるのですが、よろしいでしょうか?」


「はい、なんでしょう」


 私は極力自然に返答したものの、私は私の中の緊張感が異常に高まっていくのを感じていた。


「お伺いしたいのは、先ほどの貸倉庫契約の証書の件です。あの証書には、我々が預かる木材の総量が書いてありませんでした。あの契約の内容であれば、我々としては木材が多ければ多いほどありがたいので気にはならないのですが、ちょっと引っかかりまして。もしよろしければ、どういった経緯であのような契約になったのか、教えてもらえませんか?」


「あぁ、その件ですか」


 そう言って私は、私の今できる一番の余裕の表情を作る。


「簡単な話でして、私が持っている木材の総量を確認する時間がなかっただけです。ほら、手紙を三日で届けるなんていう契約、あれって日程的にギリギリじゃないですか。そのため、すぐに出発の準備をしなければいけないと伝えましたところ、今回は木材の量を書かずに私が持っている木材全部という形で契約しましょう、みたいな話になりまして」


 私はそう言って頭をかきながら、照れくさそうに笑ってみせた。そんな私の様子を見て、オスヴィットは納得したように見えなかったものの「なるほど」と短く言ってうなずいた。


 とにかくこの話、深く考えられるのはマズイ。私はタキオン商業ギルドに、少なくとも二十万トン分の木材の八割、つまり十六万トン分の木材を、世界の月間生産量十万トンを超える木材を押し付けようとしているのだ。この事実に気がつかせてはならない。なんとか強引にでも話題を変えないと。


「ところで、私が持ってきた木材の確認はまだかかりそうですか?」


「そうですね。もう少し時間がかかりそうです」


 とオスヴィットが答える。そしてこのタイミングで、私はタルワールに話しかけた。


「ねぇ、タルワール。少し時間がかかりそうだから、私のお願い聞いてもらえないかしら」


 タルワールは私の意図を理解してくれているかのように、黙って静かにうなずいてくれた。


「じつは、今日泊まる宿、まだ確保できていないの。もうこんな時間なのにね。シルヴァンは慢性的な宿不足だと聞いているから少し不安なの。だからこの時間を使って、今日泊まる宿を探してきてもらえない?」


 私がそう言い終わると、今日一番の緊張感が私を包む。できる限りさりげない言葉でいったつもりだったけど、疑われていないだろうか?いや、大丈夫。私は疑われるような言動はしていない、会話の流れも自然だったはず。私は何度も何度も心の中で自己肯定を繰り返す。ここで貸倉庫の証書と、名義変更の証書と、タキオン商業ギルドの貸倉庫の使用を許可する証書をクテシフォン商業ギルドに届けられないと、今までの苦労は水泡に帰してしまう。


 タルワールもここが勝負所だと察してくれたのであろう。「わかった」と短く答え、緊張した面持ちでゆっくり立ち上がり、部屋の出口に向かう。お願いだから、はやくタルワールをこの部屋から外に出させてあげて。そう私が強く念じれば念じるほど、時間の流れは徐々に遅くなっていく。まるで私の周りの時間だけ粘度がどんどん高まっていき、溶けた鉛のようにドロリと流れ、そのうち止まってしまうのではないかと錯覚を覚えるほどであった。私は、そんな連なった時間と緊張の一瞬一瞬にひたすら耐え続けるしかなかった。


「リツ様?」


「はひ」


 唐突なオスヴィットの問いかけに、私は思わず間が抜けた返事をしてしまう。まずい、さすがに様子がおかしいことに気がつかれたかも。まるで弓の弦のように張り詰めた緊張感が私の全身を覆う。しかし、そんな私の気持ちなどお構いなくオスヴィットは話を続ける。


「リツ様、ご用件はこれだけでよろしかったでしょうか?もしそうであれば、そろそろ私も自分の仕事に戻らせていただきたいのですが。ちょっと仕事が立て込んでいまして」


 よかった、大丈夫、気がつかれていない。これならうまくいくかもしれない。私の心に少しばかりの余裕が戻ってくる。


「はい、今日はお忙しいところ本当にありがとうございました。そういうことでしたら仕方がありません。私に遠慮することなくお仕事にお戻りください。ただ、私の運んできた木材の件、どうしましょうか?私といたしましては確認が終わり次第、すぐにでも料金をいただきたいのですが」


 私が申し訳なさそうにオスヴィットにそう告げると、オスヴィットは急に思い出したかのような表情を浮かべた。


「そうでした、そうでした、申し訳ございません。それでしたら確認が終わり次第、私か別のものに料金を届けさせることにしましょう。お手数を取らして申し訳ないのですが、しばらくここでお待ち願えないでしょうか」


 オスヴィットはそう私に告げると、足早に部屋の外に出ていった。そしてその時、タルワールの姿は部屋の中から消えていた。


「よかった、なんとかうまくいきそう」


 私はそう独り言をつぶやくと、大きな安堵のため息をついた。

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