第65話:最後の勝負③

「皆様、落ち着いてください。これと同じものを外で待っているタルワールも持っています。皆様もご存知の通り、タルワールはシルヴァン自治政府直轄のシルヴァン予備軍の連隊長の職にあるものです。つまりシルヴァン自治政府の公職にあるものです。これが何を意味しているか、賢明な皆様なら当然理解していますよね」


 私がゲレオール達に笑顔で語りかけると、部屋は水を打ったかのように静まり返る。


「わかりました。そこまでリツ様がご理解しているのなら話は早い。我々ドミオン商業ギルドは、すべての契約を履行することを良しとします。そしてその信念を達成するためには、なりふり構わない手段に出る時もあります。それは商人としての常識です。当然リツ様もご存知のことだと思います。さて今回の木材の取引、今のままでは我々が契約を履行するのは不可能でしょう。しかし一つだけ問題を解決する方法があります。それがどのような手段であるか。賢明なリツ様にはわかっていただけると思いますが」


 つまり契約そのものを無くすと言いたいわけね。要するに、私が殺されるか、先物証書を渡すか、どちらかを選べという訳ね。


「我々も手荒なマネはしたくはありません。そのショルダーバッグに入れてある青い箱、素直に私たちに渡していただけませんか?」


 ゲレオールの口調は今まで通り冷静なものであったが、怒気を押さえる努力はもうやめたようだ。顔つきも明らかに怒気を含んでいる。これ以上の抵抗は命にかかわる。そう判断した私は、しぶしぶショルダーバッグから青い箱を取り出した。


「ゲレオール様は、なにか勘違いされていると思います。なぜなら、この青い箱の中には先物証書は入っていないのです。中身を言うことはできませんが、この中には私の最も大切なものが入っています。残念ですがお売りすることができないものが入っています。くどいようですが、ゲレオール様が欲しがっている先物証書はスムカイトに置いてきているのです」


 私はできる限りの誠意をもって、必死にゲレオールにそう返答したものの、私の態度や言動がしゃくに触ったのであろうか、ゲレオールは苛立ちを隠そうともせず語気を荒らげた。


「仕方がありません。それではその青い箱にも金貨百枚の価値をつけて、先物証書と合わせて金貨三百枚で引き取りましょう。それを拒否するのなら我々はこの場での武力行使も辞さない」


 もう限界、この状況では相手の言い分を飲むしかない。さすがの私も覚悟を決める。


「わかりました、ゲレオール様。そこまで言うのであれば、この青い箱と中身を金貨三百枚でお譲りしましょう。しかし条件があります。もし中身が先物証書で無かった場合、中身は返していただきたいのです。その条件を飲んでいただけるのなら、この青い箱をお譲りしましょう」


 私のこの一言で、周りに緊張感のある沈黙が流れる。部屋の中にいる五人すべての視線がゲレオールに集中する。皆、息をのみ、ゲレオールの返答を静かに待つ。


「よろしい。条件を飲みましょう」


「ふぅ」と私は大きなため息をついた。どうやら命だけは助かったみたい。


「ゲレオール様、この契約をするにあたり多少のお願いがあります。聞いてもらえば納得のいく話だと思いますので、最後まで聞いていただけると助かります」


「伺いましょう」


「この青い箱は、私がいつも肌身離さず持っているものです。ただ残念ながら、今は鍵がかかっていまして、その鍵も宿に預けています。今から宿に鍵を取りに行くことも可能ですが、もうすでに陽は暮れています。ランプの暗い光では手元が暗すぎて、隠し蓋などがあった場合、それを見逃してしまう可能性があります。この箱は、今日、そちらにお預けしますので、中身の確認は、明日正午。もっとも陽の光が強く、一番ごまかしがきかない時間に、お互いの立ち合いの元で実施する形にさせてもらえませんか」


「よろしいでしょう」そう言ってゲレオールは大きくうなずいた。


「ただ、私自身の身に万が一のことが起こる可能性に恐怖を感じています。そのため、明日、代理人を立てることをお許しください。しかし、私がそんなことを言うと、皆様は私が鍵を持ち逃げするのではないかと心配されると思います。そこで皆様がそういう心配をなされないように、代理人が必ず鍵をもってくることをお約束する証書を書かせていただきます。その証書をクテシフォン商業ギルドのコーネットに届けてもらえませんか、これであれば皆様も安心していただけるのではないでしょうか?」


「あと、ここが一番大切な点になるのですが、代金の金貨三百枚、この場で即金でいただきます。明日何かあった場合、どさくさに紛れて、うやむやにされては困るからです。このお願いを聞いていただけるのなら、今日、ここに青い箱を置いて帰ることをお約束します」


 そこまで言って私は立ち上がり、ゲレオールに右手を差し出した。その刹那、商人同士の商談時にありがちな独特の沈黙が辺りを包む。私が心の中で決裂を覚悟したその瞬間、私の右手に冷たい感触が伝わってきた。ゲレオールが私の右手を取ってくれたのだ。


「わかりました。それで契約させていただきましょう。リツ様が提案された証書の件、すぐに準備させます。しばらくお待ち下さい」


 そのゲレオールの言葉に、私はほっと大きな溜息をついた。

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