第64話:最後の勝負②
「リツ様、我々はお互いに予定を抱える忙しい身。持って回した言い方はやめましょう」
ゲレオールは短く、強い口調でそう切り出した。
「我々が興味を持っているのは、あなたが持っている二十万トン分の先物証書だけです。これを我々のほうで買い取らせていただく。もちろん値段は勉強させていただくつもりですが、よろしいですね」
ゲレオールの紳士的だが、怒気を含んだ声に私は思わず圧倒される。しかし私は心をぐっと
「ゲレオール様。先物証書とのことでしたが、残念ながら、今、私の手元に先物証書はありません。ありがたい提案であると理解はしているのですが、さすがに持っていない先物証書をここで売ることはできません。この話は、後日スムカイトに戻ってから、ゆっくりとさせていただけませんか?」
私は、できるだけゆっくりと、丁寧な口調でゲレオールにそう告げると、再び部屋の出口に向かって歩き出した。
「リツ様、席にお座りください。これはあなたにとっても、我々ドミオン商業ギルドにとっても、とても大切な話です。そしてリツ様。あなたがこの部屋から無事に出られるかどうかという点においても、とても大切な話です。真摯な態度で聞いていただいた方がよろしいと思います。この意味、わかっていただけますね」
ゲレオールのこの冷徹な一言は、部屋の体感温度を一気に引き下げる。そして、六月とは思えない冷たい空気の中、ゲレオールは話を続けた。
「正直にいいましょう。今日、六月四日現在、我々ドミオン商業ギルドは、リツ様にお渡ししなければならない二十万トン分の木材を用意できていません。残念ながら、このまま六月三十日まで頑張ったとしても、二十万トン分の木材を集めることは不可能でしょう。つまり、リツ様が先物証書を我々にお売りいただけない限り、我々は契約不履行で破綻するのです。しかし、リツ様も同様に苦しいはずです。なぜなら六月三十日までに二十万トン分の木材を引き取ることができなければ、リツ様も契約不履行で破綻するからです」
「冷静に考えてみましょう。現実論として、リツ様お一人の力で二十万トン分の木材を引き取ることはできるのですか?」
ゲレオールはそう言って、少しの間を作ってみせた。
「万が一、それがリツ様が所属するクテシフォン商業ギルドの力を借りることによって解決できたとしましょう。しかし、その二十万トンという木材、使うあてはあるのですか?我々商業ギルドは、必要なものを必要なものだけしか買わないという暗黙のルールがあります。これは世界の流通を混乱させないための最も大切なルールの一つです。いくら調整しても多少の在庫はでます。それは仕方がありません。ところが今回の二十万トンという量はさすがに度を越しています。二十万トンといえば、この世界の二か月分の木材の生産量です。リツ様は、そんな量の木材を何に使うつもりなんですか?」
ゲレオールは淡々と事実を私につきつけてくる。
「いいですか、我々ドミオン商業ギルドはリツ様がその問題を解決しない限り、木材の引き渡しを拒否するつもりです。そして、このような無茶な取引を容認したクテシフォン商業ギルドもタダではすまさない。それくらいのことはリツ様であれば当然理解できるでしょう。残念なことに状況は私たちの方が圧倒的に有利なのです。しかし、我々ドミオン商業ギルドは寛大です。これほどの仕掛けを打てるリツ様ほどの商人を潰してしまうのはあまりにも惜しい。だからこそリツ様に敬意を表して、通常ならば千トンあたり銀貨一枚で買い取っていた先物証書を、今回に限り、千トンあたり銀貨百枚で引き取らせていただきます。このままでは破綻を避けられないリツ様にとって、銀貨二万枚、金貨二百枚というのは大変魅力的な話であると思いますが」
ゲレオールの理解は現実を正確に捉えており、ある側面でみればもっとも現実的な提案であるといってもよかった。ゲレオールの提案を受け入れれば、私は大損するけれど破綻を免れ、しかも手元に金貨二百枚が残る。充分に魅力的な話だと思う。しかし、私はここで引くわけにはいかない。この取引を仕掛けた時、ドミオン商業ギルドから大金を引っ張るために、私は自分の破綻を賭けたのだ。今さら破綻にびびって勝負を降りてどうするの。
「天下のドミオン商業ギルドが、私程度の商人を、それほどまで高く評価していただけるとは、本当に光栄です。ただ申し訳ないのですが、先物証書はスムカイトのある場所に預けているのです。そして、その先物証書の名義も、私からクテシフォン商業ギルドに変更する手続きをしている所です。ですからご要望にお応えすることはできないのです」
私は私ができる一番の真剣さをもって、私ができる一番の真摯さをもって、ゲレオールにそう返答したものの、ゲレオールは顔色一つ変えることはない。
「リツ様、もうそのような駆け引きはやめにしましょう。リツ様に時間がないのと同様に、我々もこの問題にこれ以上時間を割くわけにはいかないのです」
「まず先物証書の名義変更の件ですが、先物市場での自由売買の期間が終わった後、つまり五月三十一日以降の名義変更に我々は応じることはできません。先物取引とは信用を前提とした取引です。そして購入の権利を確定したお客様は、責任をもって権利を確定したのです。権利確定後の名義変更、つまり、責任放棄を認めてしまったら、我々は何を信じてお客様に商品を提供すればいいのかわからなくなります。申し訳ございませんが、名義変更の件は諦めてください。また私どもは、あなたがこの旅に二十万トン分の先物証書を持ってきていることも把握しています。騙し合いや、化かし合いも結構ですが、さすがにここまでくどいと胃にもたれてしまいます」
「そうね」と私はゲレオールの言葉に短く答え、ショルダーバッグから
「騙し合いや、化かし合いはそろそろやめにしましょう。私も単刀直入に言わせてもらいます。このロケットは、ドミオン商業ギルドが私の命を狙うくらい焦っている証拠になるのですが、ゲレオール様はこのロケットが持つ意味、理解していますよね」
私がそう言うと、壁にもたれかけていた屈強の男たちが急に色めきたった。
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