第63話:最後の勝負①

 とうとうここまできた。この旅の目的地ドミオン商業ギルド、シルヴァン支部。この旅の最大の難所であり、私が命をかけた先物証書をめぐる最後の戦いの場。これから三時間たらずですべてが決着する。私の商人としての死か、もしくは、本物の死か。どちらにしても最後の勝負に差し出す賭け札として相応しい。


 ドミオン商業ギルドが最初に切るカードは決まっている。それは、私とタルワールの一刻も早い契約解除だ。スムカイトであればともかく、ここシルヴァンにおいては、タルワールがシルヴァン自治政府の公人であることくらい把握しているはずだ。公人と一緒にいる私に無茶をすることはできない。そこを突き崩さない限り、法的な土俵で話す限り、ドミオン商業ギルドに勝ち目はない。


 今回の件、強い法的根拠を持つ先物証書を押さえている時点で、私が圧倒的に有利なのだ。もし相手がその状況をひっくり返すとしたら、法的根拠に基づかないもので状況をひっくり返すしかない。それを法的根拠で立場が保証されている公人のタルワールの前で実行することは不可能だといってもいい。つまり、私としては公人のタルワールと一緒にいる限り、今回の勝利は約束されているのだ。敵は、ドミオン商業ギルドは、そこら辺どう計算しているのだろう。間違いなくそこが勝負所になると思うんだけど、今にして思えば私がタルワールと護衛契約ができたことって偶然にしてはできすぎなのよね。契約金は高すぎるけど。


 その件は置いておくとして、ドミオン商業ギルドは、私と公人であるタルワールを引き離してからが勝負だと考えていると思うし、私としては、タルワールさえ近くにいてくれれば身の安全と勝利は約束されている。間違いなく勝負所はここよね。

私は心に決意を満たし、ドミオン商業ギルドの扉をくぐる。するとエントランスホールからは、いつもの大きなどよめき、まさに有名人。でも、こんなのに負けてなるものですか、私はそう独り言をつぶやいて心を強く持つ。そして、私は極力どよめきに気がつかないフリをしていたものの、自分の足がガクガクと震えていることに気がついた。これもクロリアナが直前でよこした手紙のせい。クロリアナめ、今度会ったらタダじゃおかないんだから。


「リツ様、三番の部屋にお入りください」


 待ち時間などほとんどなく、あっという間に私の順番が回ってきた。しかも個室、スムカイトの時とは大違い。予測していたことではあったんだけど、突然のVIP待遇に苦笑しかでてこない。さぁここからが正念場、この旅最後の勝負所だ。

私が待合室から遠く離れた意味深な個室に入ると、そこには、壁に持たれかけている筋骨隆々の男が四人。椅子に座った中肉中背の男が一人。私と話すだけにしては随分仰々しい人たちが待ち構えていた。こんな状況に置かれれば鈍い私でもすぐわかる。この雰囲気では、まともな交渉をするのは厳しいであろう。私は無意識にゴクリと生唾を飲みこんだ。


「私はドミオン商業ギルドのゲレオールです。リツ様、長旅お疲れさまでした。まずはお座りください」


 私が部屋に入ると椅子に座っていた中肉中背の男がすっと立ち上がり、私に向かって右手を差し出し握手を求めてくる。私はそんなゲレオールの右手をしっかりと取り、握手を交わすと、勧められるままに着席した。


「さて、リツ様。我々からもいろいろお話がありますが、少し長くなってしまいそうです。ですから、まずはリツ様の用件を先に済ませてしまいましょうか」


 ほらきた、私はすぐに反論をしようとしたものの、ゲレオールの話出しの方がはやい。


「リツ様とタルワール様との契約はここで満了になりますね。では、この証書にサインをしてください。そしてリツ様は契約金の銀貨五十枚、タルワール様へお支払い願います」


 まずい機先を制された。予定通りこのままタルワールをこの部屋から追い出すつもりね。そう思い通りにいかせるものですか。


「いえいえ、気になさらなくても結構です。じつは、私、この男とこの後夕食の約束をしていまして、夕食を一緒にとるということは、お互いそういう関係ですから、護衛契約の話は後回しにしていただいて、そちらのお話を先に進めてもらっても問題ありませんよ」


 私の答えは多少たどたどしかったものの、なんとか笑顔を用いて言い切った。


「そうはまいりません。リツ様もタルワール様もドミオン商業ギルドの大切なお客様。我々の話がお客様のお話より優先順位が高いわけがございません。お客様を常に最優先に考える。それがドミオン商業ギルドの大方針です。それではリツ様、証書の確認をお願いします」


 ゲレオールは、静かに低くりんと通った声で私にそう詰め寄った。そしてゲレオールの話し方は敵意を感じさせないものの、善意も全く感じさせない話し方であった。この場に至って、当たり前のことではあるのだけれども、私は、自分が歓迎されていない客であることを充分に理解することができた。これはもう穏やかな交渉を期待することは不可能であろう。


 私は黙って証書を受け取り、中身に目を通してサインをする。そして手数料としてゲレオールに銀貨一枚、タルワールに銀貨五十枚を手渡した。


「これにて、リツ様とタルワール様の契約は満了になります。タルワール様、ありがとうございました。あとは私どもとリツ様のお話です。ご退席願えないでしょうか」


 ゲレオールは、感情など一切こもらない冷たい声でタルワールに退席を促した。タルワールは心配そうに私の方を見つめていたが、私は一言「大丈夫だから」と小声で伝えると、タルワールは納得できない表情を浮かべ「外で待っているから、何かあったら大きな声を出せ」とささやいた。


「さて、リツ様。今回、我々が話したいことがなんなのか察しはついていますよね?」


 タルワールが扉の外に出ていったことを確認すると、ゲレオールは静かに私にそう問いかける。「はて?」ととっさに答えてみせたものの、ここからは私だけでなくドミオン商業ギルドにとっても、一歩間違えれば死に繋がるタイトロープ。どちらかが壊滅的な損害を被る、お互いに生き残りをかけた命がけの交渉。そう考えた私は、いつの間にか背中にびっしょりと汗をかき、その一滴が背中をゆっくりと滴り落ちるのを感じていた。


「ゲレオール様。申し訳ないのですが私には心当たりがありません。何かの勘違いかと思われます。先程も申しあげたとおり、私はこの後、食事の約束をしております。御用がそれだけでしたら、そろそろ席を外させていただきたいのですが、よろしかったでしょうか」


 私はそう告げて席から立ちあがった。このまま立ち去ることができれば、私にとっては最高の展開。呼び止めないでくれと私は心で強く念じながら、部屋の出口にゆっくりとした足取りで向かう。しかし、そんな思惑が通るほど現実は甘くない。

私が二、三歩出口に向かって歩き始めたその瞬間、「お待ちください」というゲレオールの低くて落ち着いた声。この一言こそ、これから私を死地にいざなう死神のつぶやきであった。

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