第62話:ユリハ・キャラン

 とても美味しい昼食を終えた私とタルワールは、今日泊る予定の宿ユリハ・キャランの前に来ていた。私はもっと安い宿でいいと言ったのだけれども、タルワールによるとコーネットが、私のためにクテシフォン商業ギルド直営の宿をわざわざ用意してくれたとのことであった。さんざん恨みをかって、命まで狙われているのだから、当たり前といえば当たり前なのかもしれないけれど。


「タルワール、今日の夕食はここでいい?お昼はタルワールの故郷の味、シルヴァン料理を堪能させてもらったから、夜は私の故郷の味、クテシフォン料理をごちそうしたいの」


「おぉ、それは楽しみだ」


 私がありったけの勇気を振り絞って夕食に誘ったというのに、なにそのそっけない態度。少しは私の乙女心を理解しなさい。私は心の中でそんな悪態をついたものの、心の中がフワフワして、口もとが緩むのを隠しきれずにいた。しかしそんな私の思いとは関係なく、タルワールは私よりもユリハ・キャランの建物に興味があるらしく、珍しそうに色々な所をジロジロ見て回っている。そっか、確かにシルヴァンだとクテシフォン造りの建物って珍しいかもね。


「リツ、さっきのレストランが高級すぎると文句を言っていたけれども、ここも相当なものだぞ。コーネットとかいう偉そうな人もやたらリツのことを心配していたし、もしかしてリツは貴族か何かの娘なのか?」


「まさか、私が貴族の娘だったら、月給銀貨十枚で給仕の仕事なんてするわけないじゃない」


 そう言って、私はタルワールを煙に巻く。


 私たちはそんなことを話しながら、荷馬車を宿裏にある馬小屋に向けた。さすがというか、なんというか、ユリハ・キャランだけあって、馬小屋も清潔そのもので、私は自分の場違い感に恐縮する。そんな私は、宿泊客からあずかった馬車馬をかいがいしく世話をする馬丁に声をかけ、銅貨九枚を手渡した。これ私がいつも泊まる宿の三倍の値段。キャロルには悪いけど、さすがにちょっと割りに合わない、高すぎるわよ。


「ところで、リツ。この青い箱はどうするんだ。ここに置きっぱなしでいいのか?」


「ごめん、忘れてた」


 私がタルワールから青い箱を受け取ると、自分のショルダーバッグに丁寧にそれを詰め込んだ。私としてはこれで準備は終りなのだが、タルワールは荷馬車から必要な荷物を下ろし終わっていないようであった。女性の私より身支度に時間がかかるとは、この男、ほんと大丈夫なんだろうか。私はぶるぶると鼻をならしながら頭をすり寄せてくるキャロルの頭を撫でながら、そんなことを考えていた。陽は南を過ぎ、その陽光は一段と強さを増す。石畳からは陽炎が立ち上がり、春とはいえない日差しの強さ、もう本格的な夏なのね。


「そろそろ行こうか」


 準備を終えたタルワールがバックパックに荷物を満載し、そう私に話しかけてきた。私は「ええ」と一言いって、馬小屋と旅館を結ぶ石畳にそって建物の中に入っていく。そして私とタルワールが建物の中に入ると、そこには乳香フランキンセンスの香りが立ち込めており、一流の宿、独特の雰囲気を醸し出していた。きょろきょろ周りを見渡すタルワールを横目に、私はまっすぐフロントに向かったものの、すぐに従業員に取り囲まれてしまう。


「リーディットさま、お帰りなさい」


「今回はいつまで滞在されるのですか?」


 矢継ぎ早に挨拶と質問をするユリハ・キャランの従業員。私は営業スマイルを振りまきながら、「そうね。いつまでここにいられるかはコーネットに相談しないといけないから、今はごめんね」とだけ答え、従業員に手を振ったり、握手したり大忙しであった。そんなこんなで、私はやっとの思いで従業員たちを振り切った。


「リツ、すごい人気だな。もしかしてリツは有名人なのか?あとリーディットってのは誰だ、リツの名前なのか?」


 私は営業スマイルを絶やすことなく元気に振舞いながら、タルワールに「後で話すから、今は少し待っててね」と答える。これだから嫌なのよ、ここに来るの。私はそんな苦々しい思いを胸に、やっとの思いでフロントに辿り着いた。


「リーディットさま、お久しぶりです。心よりお待ちしておりました」


「ありがとうギスヴィッヒ、本当に久しぶりね。今日はゆっくりさせてもらうね。あと今日の夕食、ここにいる友人にクテシフォン料理をご馳走する約束をしているの。ここの食堂の予約、今からでも大丈夫?」


「もちろんです、リーディットさま。ところで、こちらの男性はどちらさまでしょうか、どこかでお見かけしたことがあると思うのですが」


 ギスヴィッヒがマジマジとタルワールの顔を見つめるので、タルワールは思わず視線をそらす。さすがに照れ臭かったのね、いい気味だわ。いつも私に同じことをやっているバチがあたったのよ。これに懲りたら私の顔をじっと見るのを控えることね、と私は心の中で溜飲を下げる。


「こちらはシルヴァン予備軍のタルワール連隊長。縁あって旅の道中、助けてもらったの。大切な人だからちゃんとおもてなししてあげてね」


「あぁ、タルワール様ですね。詳細はコーネット様から聞いております。もちろん精一杯のおもてなしをさせていただきます」


 ギスヴィッヒはそう言って大きくうなずいた。


「リツ、リーディットってのは、お前の名前でいいのか?あまりにも展開が早すぎて、ついていけないんだが」


 急に耳元でタルワールの声。私は驚いてとっさに背筋が伸びる。実際には小声であったものの、タルワールにリーディットと呼ばれたので思わず大げさに反応してしまう。


「そ、そうよ、リーディットというのは私の本名。なんか貴族っぽい名前で気に入らないから、商売上はリツで通しているの」


「でも、ここの主人は本名で呼ぶんだな」


「そうね。私が商人を始める前から知っている人だから」


 私は精一杯の作り笑いを浮かべ、タルワールの問いに答えた。


「リーディットさま」


 矢継ぎ早にギスヴィッヒが私に話かけてくる。


「クロリアナ様から手紙を預かっています。至急、読んでほしいとのことです」


「ギスヴィッヒ、至急といったって、どうせ」


 と私は途中まで言いかけて発言を止めた。なぜなら、ギスヴィッヒの瞳に私が思っていた以上の真剣さが含まれていたからだ。私は黙ってギスヴィッヒからクロリアナの手紙を受け取ると、中身に目を通し、深く考え込んだ。どうやら事態は思った以上に深刻みたい。この後のドミオン商業ギルドとの交渉、一人で本当に凌ぐことができるのか、私は不安な気持ちでいっぱいになった。

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