第54話:シルヴァンにて②
入管手続きも無事終わり、私たちはシルヴァンの内門に向かい荷馬車を進めていた。その道中、私とタルワールはシルヴァンの名物料理の話題で盛り上がっていた。ヨーグルトとハーブのバタースープであるスパス、ドライフルーツをバターで炒め、刻み玉ねぎとお米で合わせたアヌシャプール、レンズ豆とほうれん草とドライフルーツをトマトペーストを混ぜ合わせ、クミンで味を調えたヴォスパープル、どれも美味しそうな料理ばかり。
私のお腹は料理の説明を聞くたびにグゥグゥと鳴り、早くお昼にならないかと真剣に考え始めたくらいであった。そこで私が今日の昼食をとるレストランについて話をふると、どうもタルワールの行きつけのレストランがあるらしく、私たちはそこで昼食をとる約束をする。ほんとこれ、楽しみすぎる。そんな和気あいあいとした笑顔に包まれながら、私たちはシルヴァンの街の中に入っていった。しかしそんな私の眼前に広がったのは、シルヴァンの変わり果てた姿であった。
正直なところ、私はシルヴァンの街を一目見て、ここがシルヴァンであることを受け入れることができなかった。昔、私が感動した壮麗な建物の多くは戦争によって焼け落ち、街の中央部に整然と整備されていたシルヴァン市民ご自慢のナラの並木は無残に切り落とされ、色鮮やかな赤みがかった美しいオレンジの
ただ、そうは言っても変わらないものも確かにあった。つまり街に住む人々は忙しそうに動きまわり、それは往年のシルヴァンと同じ活気を保っていた。特に大通りは、建築資材を運ぶ馬車で
しかし、残念であったのは、馬車や人が巻き起こした砂埃が澄んだ初夏の陽の光を奪い、シルヴァンに残されている数少ない美しい建物ですらカーキ色に塗りつぶしてしまっていたことだ。これではシルヴァンの往年の美しさを引き継いでいるものは何もないと言われても、反論することができない状態であった。そんな変わり果ててしまったシルヴァンを見て茫然と自失している私をタルワールは心配そうに見つめていた。そして、私はそんな心配そうな顔をしているタルワールを見て、得も言われぬ心苦しさを感じていた。
「タルワール、ごめんなさい。ちょっと面食らっちゃって」
私は精一杯の力を振り絞って声を喉から引きずり出す。そして私ができる限りの笑顔をタルワールに向けたつもりであったものの、私は自分の笑顔がひきつっていることに気がついた。そんな私を見かねて、タルワールは私から視線を外し優しく語りかけてくる。
「リツ、残念ながらこれがシルヴァンの現状だ。まるで開拓したての都市みたいになってしまっているよな」
そう言ってタルワールは口もとに苦々しい笑みを浮かべ、話を続けた。
「この光景を見てリツが悲しむことはないさ。なぜなら俺はこの光景を残念に思ってはいるが、心配はしていないからだ。つまり、壊れてしまったものは直せばいいし、奪われたものは奪い返せばいい、それだけのことだからな」
そう言ってタルワールは私の頭をポンポンと二回叩く。
「リツが俺たちの街のために落ち込んだり、悲しんだりする必要はない。ここで生まれ、ここで育った俺がそう言っているんだ。だから本当に気にしないでくれ」
タルワールはそう言って私に笑顔をみせる。
「ありがとう。私はもう大丈夫だから」
私はそう言って会話に間を作り、自分が立ち直る時間をなんとかひねり出した。
「とりあえず後ろの木材をシルヴァンの復興に使ってもらうためにも、早くタキオン商業ギルドに行かないとね」
私はタルワールの気持ちに応え、できる限り気丈に振舞ってみせた。タルワールの言う通り、私がここでショックを受けようが、心を痛めようが、シルヴァンの街はなにも変わることはないだろうし、ここに住んでいる人の生活も何も変わることはない。だからこそ、今、このタイミングで私にとって一番大切なことは、自分ができることを一つずつやっていくことだけだ。私は、私自身、そう心に強く刻み、並木通りの奥にむけて荷馬車を速める。
「ところでリツ、今日の予定はどうなっているんだ?」
タルワールの問いに「そうね」と私は答え、右手の人差し指を唇にあて、少し上目使いで前を見る。
「さっきもいったけど、まずはタキオン商業ギルドに行って後ろの木材を決済しないとね。そのあとはドミオン商業ギルド。そこでタルワールとの契約を満了しないとね。とりあえず今日の予定はそれだけかな。多分、夕方までにはすべてが終わると思うけど」
「そうか、リツとはそこでお別れなんだな。それはそれで何か寂しい気持ちにもなる」
私の答えに対し、タルワールはしみじみと多少の残念さを
「あの、ね、タルワール。タルワールさえ、よかったらなんだけど」
私は今にも消え入りそうな小さな声でタルワールに話かける。
「うん。リツ、なんかいったか?」
「うぅん、なんでもない」
私は慌てて前言を撤回した。私は、私自身、名残惜しいという一言では表現することのできない気持ちを抱えていることに気がついていた。しかしその気持ちを言葉に出して表現することはできなかった。そして、さっき言葉を飲み込んでしまったことを一生後悔するであろうことも私にはわかっていた。そこまでわかっていたにもかかわらず、私にはあと少しの勇気が足りなかったのだ。
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