08.生きてかえってこられたら

第53話:シルヴァンにて①

 朝の肌寒さが一段落し、東から南に向かって旅を続ける太陽が、その軌道の中間に差しかかったちょうどそんな時、私とタルワールはシルヴァンの城門の前に到着した。戦後二か月以上の日が経っているとはいえ、カタパルトが撃ち込まれた城壁には無数の傷跡が残り、往年の美しい黄土色の城壁はなりをひそめている。そして一面緑に彩られた草原に佇むシルヴァンの姿は奇妙な寂寥感を醸しだし、私はそこに生気を感じることができなかった。しかし、城門で手続きを待つ商人の数はなかなかのもので、戦後の特需があるとはいえ、全盛期をはるかに上回るにぎわいを見せている。こういう光景を見ると、さすが商人の街シルヴァンだと思うし、こういう活気は、私に奇妙な安心感を与えてくれる。


 そんな街の城門の前で、私とタルワールは礼儀正しく列にならび順番を待っていた。しかし、さすがにタルワールの故郷ということもあって、多くの兵士がタルワールに話しかけてくる。やはりというか、なんというか、この男わりと人望あるみたいね。そりゃね、そうじゃないとね。これから私もいろいろ困るかもしれないしね。

まぁ、そこら辺はどうでもいいとして、とにかく一番多かったのが、私がタルワールの新しい恋人とかいう話題。「このかわいい女性は」みたいな枕詞がついていたからよかったものの、聞かれるたびに必死に否定するタルワールの姿を見て、内心、そんなに否定する必要があるのかと思わないでもない。


 また、とにかく困った話題は、入管の手続きを優先してやりますよという話題。申し出はとてもありがたいんだけれど、私はどこで恨まれているかわからない商人だし、とにかく目立ったことはしたくないし、こういうのって正直ありがた迷惑なのよね。でもタルワールは、そんな私の気持ちを知ってか知らでか、その手の申し出をすべて断ってくれていた。ただこれは、私の気持ちを察したというより、タルワールの高潔さがそう返事をさせているだけな気がしなくもない。


 振り返ってみるとこの旅、随分たくさんの行列に並んだな。でも、そんな旅もここで終わるんだな。後で思い返せば、こんな時間ですら愛おしいと思う日が来るんだろうな。そんなことを考えていると、何かこの一瞬一瞬の時間ですら、尊くて、愛おしくて、大切に思えてくる。自他共に認める拝金主義者である私が、こんな金にもならない感情に、感傷に、時間を使っていることが不思議でならない。でも、今はそんな気持ちを不思議に思うより、この時間を大切にすべきだということも分かっている。なんだかんだで、私も人間的に成長したのかもね。


「次の人」


 城門の中から若い男の声が聞こえてくる。どうやら順番がきたみたい。私たちは天高くそびえるアーチ状の城門をくぐって街の中に入ると、そこにはアルマヴィル帝国の甲冑に身を包んだ二人の兵士が立っていた。奥をのぞきこむと、さらに八人の男がせわしなく動き回っている。どうやらシルヴァンの入管審査は、この十人だけでこなしているみたいね。でも、これ明らかに人手が足りてないよね。って、なるほど、街の外の行列が今の街の姿を反映しているわけではないってことね。戦後間もないということもあって、シルヴァンという街を機能させるための人手が不足しているということか、戦争という傷跡はこういう所に確実に残るのか、そう考えた私は少し寂しい気持ちになる。


 一方、タルワールはここにいる十人とも知り合いみたいであったが、軽く会釈を交わす程度で会話らしきものをする気配すら見せなかった。忙しなく働き続ける兵士達の邪魔をしてはいけないという配慮なのかもしれないけれど、ちょっと様子がヘンね。なにか心のわだかまりでもあるのかしら、なんか苦々しい表情をしているけど。

でもその気持ち、わからないでもないな。かつての同胞が、かつての敵国の甲冑に身を包み、自分の祖国を守っている。二か月という時間は、この現実を消化するにはあまりにも短すぎると思うから。そう、時の流れというものがわだかまりを風化するまでには長い時間がかかる、私はそのことを経験として知っている。そして、そのわだかまりが消え去るまで続く地獄と思えるほどの苦しい日々も経験として知っている。でも、こればかりは自分で時間をかけて心を整理していくしかないのよね。


「この鍵がかかっている青い箱の中身を見せてもらえませんか?」


 唐突に兵士の一人が私に話かけてきた。確かに危険物とか入っていたら困るものね。私は心の中でそうつぶやきながら、懐から鍵を取り出し青い箱の鍵を開けた。そして、青い箱を私から受け取った兵士は箱を開け、中身をのぞきこむと不思議そうな顔を浮かべ、何か考えているようであった。しかしそんな時間も長くはなく、その兵士はすぐに我に返り、青い箱を私に手渡した。それから再び時間は過ぎていく。街に入るため入管手数料を払ったり、シルヴァンに来た理由を説明したり、積み荷をチェックしたり、私はそんな煩雑な手続きに追われていたものの特に問題になることはなく、手続きはつつがなく進んでいった。しかし時の残した足跡を数える退屈さにしびれを切らしたタルワールは、ついに兵士たちに話しかける。


「そろそろいいか?一週間ぶりの故郷なんだ。早く故郷のザクロ入りヨーグルトを食べに行きたいのだが」


「連隊長、申し訳ございません。時期が時期ですし、入管審査は厳しくするよう上から言われていますのでご理解ください。もうすぐ終わりますので」


 タルワールの問いに兵士は、申し訳なさそうな表情を浮かべる。私は温厚なタルワールにしては珍しいなと思ったものの、口から出たのは別の言葉であった。


「その、ザクロ入りヨーグルトってそんなにおいしいの?」


 私の問いにタルワールは目を丸くする。


「あぁとてもおいしいぞ。もしかしたらリツの料理よりうまいかもな」


「それはとても楽しみね。お昼に食べに行きましょう。でも、私の料理よりおいしくなかったら、タルワールがお金を払うのよ、いい?」


 そう言って私は、今日一番の笑顔をタルワールに向けた。

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