第52話:流通、滞っています

 私とタルワールが主催した酒宴の輪は、いつの間にか大きく広がり、最初十名ほどで始まっていたものが、今では五十人を超えるものになっていた。テーブルの上の料理も、最初は狼肉のステーキしかなかったにもかかわらず、あれよあれよという間ににぎやかになってゆき、まるで街の酒場のテーブルのように、所狭しと料理が並べられ、どれを食べるか目移りしてしまいそうなにぎわいを見せている。私は、このにぎやかな雰囲気に若干飲まれつつも、当初の予定通り多くの商人に話かけ、引き続き様々な情報を取る事に余念がなかった。特に今の木材の値段についての話題は、私の格別の興味をひいた。


 今日、シルヴァンを出た商人の話によると、シルヴァンでの木材の小売価格は一トン当たり銀貨三千二百枚を超えているとのことであった。そして、シルヴァンに入ってくる木材の量はあまりにも少なく、木材不足は慢性的な問題になっているらしい。そのため、シルヴァンの復興は遅々として進まず、アルマヴィル帝国、シルヴァン自治政府ともに困り果てているとのことであった。


 それもそのはず、いままでシルヴァンに入ってくる木材のほとんどは、ランカラン王国を経由したものであったにもかかわらず、ランカラン王の勅令で、ランカラン王国からシルヴァンに木材を売る事が禁止されてしまっているのだ。つまり、木材がシルヴァンに潤沢に入ってくる道理はない。そしてアルマヴィル帝国側からの供給も、シルヴァン付近の新都市建設計画に大量の建築資材を取られてしまっているので、こちらも期待できない。つまり木材が、アルマヴィル帝国側からシルヴァンに入ってくる道理もない。そうなると、シルヴァンに入ってくる木材が少なくなるのも必然で、復興のため木材を欲しているシルヴァンの業者は、たとえ信じられない高値であったとしてもその少ない木材を買わざるをえないのだ。


 ただ、ランカラン王国の木材の取引を牛耳っているドミオン商業ギルドもバカではない。常識的に考えれば、ドミオン商業ギルドがシルヴァンに売る事のできない木材を大量に仕入れるわけがない。そうなれば、ドミオン商業ギルドが買う予定だった木材が市場に出回るはずで、それをタキオン商業ギルドが代わりに市場から買い入れればこの問題は解決するように見える。しかしことはそう単純ではない。なぜなら、ドミオン商業ギルドがシルヴァンに売る事のできない木材を大量に買わざるを得ない状況に追い込まれているからだ。もちろんそれは、私が持っている二十万トン分の先物証書のせいなんだけど。


 ここで聞いた噂が正しいとすれば、ドミオン商業ギルドのスムカイトの倉庫は、木材であふれており、これ以上の木材を保管することは不可能とのことであった。そのため、近くの湾口都市の船には、大量の木材が乗せっぱなしで保管されているらしい。木材は湿気に弱いにもかかわらず。


 そこまで木材が不足しているのであれば、それこそ目の前にあるギャンジャの森の木を切り倒して木材にすればいい。そんな安直な発想ができないわけでもない。しかしこのタイミングで、その方法を取る事は不可能なのだ。なぜなら木材は、木を切り倒して加工すればすぐに使える、そういった代物ではないからだ。つまり切り倒した直後の木材は、多くの湿気を含んでおり、変形しやすく、建築資材として使うには不適切なのだ。そのため、切り出した木材を建築資材として使うためには、天日で充分に乾燥させなければならない。しかし、その乾燥期間こそが問題で、約一年という時間を要するのだ。シルヴァンとアルマヴィル帝国が戦争を始めたのが十一月。めざとい商人がその特需を期待して木材の生産量を増やしたとしても、その製品が市場に出てくるのは早くても九月頃。今日、六月三日の時点では間に合うわけがないのだ。


 そう結論に至ると、私の背筋に冷たい汗が流れる。つまり視点を変えれば、私のせいでシルヴァンの復興は遅れているわけで、私のせいで多くの人が困っていることになる。私は、私利私欲にまみれ、そんな事さえ見逃していた自分がそら恐ろしくなる。


 そう、私はそんな酷いことをしているにもかかわらず、ここで呑気に酒宴にかまけ、あろうことかシルヴァンの人々が困っているという情報を聞いて、嬉々として喜んでいるのだ。まともな人間がこの状況を見れば、間違いなく激高するであろうし、そう考えれば、私は命を狙われても仕方がない人間なのかもしれない。


「リツ、顔色が悪いが、大丈夫か?」


 自己嫌悪にさいなまれていた私にタルワールが優しく声をかける。私はその声に救われたような気がしたものの、私個人がシルヴァンの人々を苦しめている現実は変わりようがない。私が先物証書で木材を買い占めることによってシルヴァンの木材は不足し、高い木材を買うことができない人々は、夜露をしのぐ家もなく苦しんでいるに違いないからだ。私はそんな罪悪感に再び潰されそうになっていたものの、タルワールにこれ以上心配をかけるわけにもいかない。なんとか返事をしなくっちゃ。


「大丈夫、大丈夫、だから安心して」


 そんな私の心を見透かしたかのように、タルワールは私の顔を心配そうにのぞき込む。


「とりあえず情報収集はこれくらいでいいだろう。今日は色々ありすぎた。リツも疲れていると思うから、今日は早く寝て明日に備えてくれ。この場は俺がなんとか収めておくから」


「ありがとう、タルワール」


 私は感謝の言葉をタルワールに伝えると、酒宴の場から少し離れた所で毛布に包まって横になった。しかし、私の心の中に生まれた罪の意識と自責の念は、決して消える事はなく、私の心の奥底に深く刻み込まれるのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る