第70話:ごめんなさい

「姫さま、今回も派手にやってくれましたね」


「はい」


 私はフローリングの床の上に正座し、コーネットの問いに素直に答えた。コーネットは昔からどうも苦手、められた記憶が一切ない。でも、さすがに今回は言い訳ができないか。


「さて、姫さま。話さなければならないことは山ほどありますが、まずはこれからお話ししましょうか」


 怒気のこもった低い声でコーネットはそう告げると、ショルダーバッグから絹の包みを取り出して、私の目の前でその包みをあける。するとそこには、私がドミオン商業ギルドに金貨三百枚で売った青い箱ハータム・カーリーがあった。


「姫さま。あなたはこの青い箱ハータム・カーリーがどんなものなのか、ちゃんと理解できていますか?」


「もちろんです。お父さまにいただいた大切な品です」


 ついさっきまでこの件でウォルマーに怒られていたこともあって、私はとっさに返事をすることができた。ありがとうウォルマー。


「た、確かにそれも大事ですが」


 コーネットは一瞬、言葉につまる。私はコーネットのそんな複雑そうな表情を見て、しめしめ、これでお説教が少しは短くなるかもと思ったものの、どうも雲行きがあやしい。


「確かにそれも大事ですが、それ以上に大事なことがあることがわかりませんか?」


「それは箱の中身です。今回たまたま鍵がかかっていたので、ドミオン商業ギルドに先物証書の売買が成立したことを伝えただけで、中身を確認せずに買い戻すことができましたが、もし予定通りドミオン商業ギルドとクテシフォン商業ギルドが一緒に中身を確認する形で商談が進んでいったら、どんなことになっていたかわかりますか?」


「コーネット、何言ってるの?あの青い箱ハータム・カーリーには私が両親からもらった手紙と家族の肖像画が入っているだけよ。私にはかけがえのない・・・・・・・ものかもしれないけれど、私以外の人にとってはゴミでしかない」


「姫さま!」


 部屋中に響く大きな声でコーネットが一喝する。


「あなたのそういう所が問題なのです」


 コーネットは青い箱ハータム・カーリーに入れてある大量の手紙を取り出して、私の目の前にそれを突きつけた。


「姫さま。タキオン商業ギルドがこれを見て、あなたの正体に気がついたらどうするつもりだったんですか?」


「大丈夫よ。四年前に滅びた国の王族なんて誰も覚えてなんかいないわよ。私たちの悲願のために必要なのは軍事力と資金力。私は資金力でしか力になれないんだから、私が命懸けで目先のお金を取りにいくのは当たり前のことだし、今回、儲かったんだからいいじゃない」


「姫さま」


 コーネットは再びそう言うと、深いため息をついて、大きく首を横に振った。


「姫さまはどうも自分の立場というものをわかっていない。あなたの本名とあなたが理解している自分の立場というものを、今ここで私に教えてもらえませんか?」


 コーネットはそう言って私をにらみつけてきたので、私はしぶしぶ答えることにする。


「私の名前はリーディット=アライド=クテシフォン。アルマヴィル帝国に一族根絶やしにされたはずのクテシフォン王国の王族、唯一の生き残りです」


「そうですね。そして、もしあなたの正体がアルマヴィル帝国にバレでもしたら、あなたはどうなるかわかりますか?」


「すぐに捕まって処刑されるだけでなく、クテシフォン商業ギルドは私をかくまったということで取り潰しになると思います」


「姫さま、それだけではありません。確かに我々クテシフォン商業ギルドの当面の目標は、クテシフォン王国のアルマヴィル帝国からの独立です。しかし、独立を勝ち取るためには、それなりの大義名分とコアがいるのです。アルマヴィル帝国はそのコアを残さないように、将来の禍根を残さないように、王族を皆殺しにしたのです。しかし幸いなことに、クテシフォン王国の王族として姫さまが生き残ってくれました。姫さまは我々の独立運動の大義名分であり、欠かすことのできないコアなんです。姫さまに万が一のことがあれば、クテシフォン王国を復興する機会は永遠に失われるのです。姫さまはそのことを本当に理解しているんですか?」


「もしかして、ギャンジャの森を通ったことを怒ってる?」


 私は恐る恐るコーネットに質問する。


「当たり前です。確かにタキオン商業ギルドの話に乗って、ドミオン商業ギルドが幅をきかせるスムカイトから出るという作戦は見事なものでした。あれならばドミオン商業ギルドに怪しまれずに街の外に出ることができます。そして街の外に出てしまえば、我々の手でドミオン商業ギルドから姫さまを守ることができます。だから、それはそれでいいでしょう」


「しかし、なぜ我々が途中で荷物を引き取ることを拒否して、ギャンジャの森を自分で抜けようとしたんですか。しかも手紙で直前にキャンセルしたいとか、なんなんですか。あれから姫さまの荷物を受け取るために雇っていた商人と連絡を取るのは大変だったんですよ」


「だって、私だって、自分で契約したことは最後までやりきりたかったし、一人で旅をしたかったんだからいいじゃない。いつも私の周りは人ばかりで嫌になる気持ちもわかってよ」


「だってじゃありません。貸倉庫の件といい、森を一人で抜けたいと言ったり、姫さまは勝手すぎます」


 コーネットは私の目をじっと見つめ、私の次の言葉を待っている。コーネットの目は真剣そのもの。それは王宮で執事をしていた時から何も変わらない、ほんと生真面目なんだから。


「ごめんなさい」


 私は下を向いたまま、喉から声を絞り出すようにそう答えた。


「姫さまが最初からそう言ってくれればいいのです。そうであれば私も余計な説教をしなくてすみますから。何度でも同じことをいいますが、もういい歳なんですから、いい加減に大人になってください」


「そうね。ありがとうコーネット」


 そう私が答えると、コーネットは意外そうな顔を私に見せる。


「姫さま、いつもの少女だからってやつ、言わなくていいんですか?」


 私が無言でうなずくと、コーネットの表情が意外な表情から驚きの表情へと変化する。


「そうですか、姫さまもこの旅で成長したのですね。そうであれば私として、これ以上いうことはありません。教育係としての今日の私の役割はここまでです。立ち上がってこちらにお座りください」


 コーネットはそう言って私が座りやすいように椅子をひく。


「では、次は商人としての注意をします。この青い箱ハータム・カーリーは金貨三百枚なんていう端金で買える代物ではありません。私がこれをいくらで買い戻したか知っていますか、金貨二千枚です。ほんと姫さまの金銭感覚は一体どうなっているんですか」


「だって、私、そういうの苦手だし」


「だってじゃありません!」


「はい、ごめんなさい。これからはちゃんと勉強します」


 私はコーネットの言葉にしおらしく従った。


「とりあえず、今日のところはこれくらいにしておきましょう。ドミオン商業ギルドも、この青い箱ハータム・カーリーの価値を姫さまがわからないのを見て油断してくれた側面もありますから」


「とりあえずこの青い箱ハータム・カーリーは私が預かります。あと今回みたいなことにならないよう、姫さまには今後もお目付け役をつけさせてもらいます」


「今後も?」


「あれ、タルワール殿から聞いていなかったのですか?タルワール殿は、我々が姫さまを護衛するために雇っていたのですが」


「なにそれ、聞いてない」


 なるほど、私たちとシルヴァン独立派は繋がっていたというわけね。だからタルワールの前でギスヴィッヒが私のことをリーディットって呼んだり、タルワールがシルヴァンの独立派が集まるレストランに私を連れて行ったりしたというわけね。って、タルワールのやつ、私からも料金を取っていたから報酬の二重取りじゃない。


「わかった、じゃあタルワールにもう一度お願いして。事情も分かっているし、これであれば問題ないでしょ?」


「いいえ、こんな危険な取引をした直後です。申し訳ないですが姫さまは目立ちすぎです。ですから、姫さまにはしばらくシルヴァンを離れていただきます。だからシルヴァン予備軍の連隊長殿にお目付け役は頼めません」


「ならいらないわよ。一人でできるから」


「本気ですか。タルワール殿から狼や山賊に襲われた時の姫さまの様子を聞いていますよ」


 それを言われるとぐうの音もでない。


「とりあえず、しばらくはクロリアナに姫さまのお目付け役を担ってもらいます」


「ちょっとまって、そんなことしたら、男の視線が全部クロリアナに取られてしまうじゃない。そもそもクロリアナと一緒にいたら、目立ってしまって、目立たなくしろという言葉と矛盾するわ」


「なら私が一緒についていきましょうか?」


「いえ、クロリアナでお願いします」


 私は、私ができる一番速い速度でコーネットの問いに即答した。

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