第24話:旅立ちのとき

 私たちが野営地を出発した時、空は若干の青みを帯びていた。もうすっかり朝ね。私はそんなことを考えながら何気なく空を眺めていた。覚悟はしていたつもりだったんだけど、とにかく初日からとんでもない目にあってしまった。とりあえずこの手の不幸はここで打ち止めにして、今日からゆっくり気ままな旅を楽しみたいものね。


 私はそんなことを考えながらキャロルのたてがみをそっと撫でると、キャロルは「ブルル」と小さく鼻を鳴らす。夜、あれだけの事があったのにキャロルの調子は良さそうで、私はなんだか安心した。このままキャロルにトラブルさえなければ昼にはギャンジャの森も抜けられそうだ。


「リツ、少し急ごう。この野営地から少しでも遠くに行きたいんだ」


 タルワールは珍しく真剣な顔で私に話しかけてくる。私はタルワールの言葉に黙ってうなずくと、キャロルには申し訳ないと思いつつも軽く鞭を入れた。するとキャロルは、嫌な仕草をすることなくその足を速めてくれる。


 今にして思えば、私のもうけのために狼の解体作業をしたことは失敗だったかもしれない。あの時タルワールはすぐにでも出発したかったのだと思う。タルワールは騎士だ。戦場において血の匂いがしみ込んだ大地というものが、いかに危険なものであるか身をもって知っていたのであろうから。


 にもかかわらず、私は目の前の利益にこだわって危険な場所に居座り続けた。タルワールにとって私の取った行動は、命の大切さを理解できない、業突張ごうつくばりの商人のそれとして映ったに違いない。私はあの時、たぶん間違った判断をしたのだ。


「タルワール、夜のことはごめんなさい」


 私は、恐る恐るタルワールにそう話しかける。


「ん、なんのことだ?」


 私の突然の謝罪を理解することができなかったのか、タルワールは不意をつかれたかのような気の抜けた返事を返す。


「なんのことって、ほら。昨日、私、色々あったじゃない。狼の事とか、色々」


 私がそうモジモジと言いかけると、タルワールはすべてを察したかのように話を遮った。


「リツが何の件で謝っているのか俺には理解できないが、いずれにしろもう過ぎたことだ、気にするな。それより今は少しでも早く昨日の野営地から離れ、少しでも早く森を抜ける事を考えた方がいい」


 そうタルワールが言うと私は黙ってうなずいた。タルワールが狼を全滅させてから油断しっぱなしの私と違い、タルワールは狼に襲われてから今まで一切気を抜いていない。私はその事に今さらながら気がついた。そして私が、今、自分が成すべき事は、タルワールの邪魔をしないよう沈黙を保つことだという事にやっと思いが至った。


 時は風のように流れ、今という時間はゆっくりと過ぎ去っていく。いつの間にか朝を象徴するキジバトの鳴き声も止み、森の中に少しずつ陽の光が戻り始めている。そしてこの頃には、タルワールの表情は安心感からか徐々に緩み始めていた。私は温和に戻りつつあるタルワールの表情をみて心底ほっとする。危険も遠ざかったみたいだし、キャロルも疲れているみたいだからもういいよね。そう考えた私は、さりげなく荷馬車の速度を落とす。いつの間にか空は青さを取り戻し、初夏の陽気もだんだんと戻ってきている。今日も暑くなりそうね。


「ここまでくれば、安心だな」


 タルワールは安堵の表情を浮かべ、私にそう話しかけてきた。


「今日は荷馬車で眠らなくてもいいの?昨日の夜から一睡もしていないみたいだけど」


 私がそう問いかけると、タルワールは「残念ながら、今日の俺の予定に昼寝はないよ」と申し訳なさそうに肩をすくめてみせる。


「ところで、リツ」


「なぁに?」


 私は少し甘えた声でタルワールの問いかけに答える。


「昨日聞きそびれてしまったんだが、狼に襲われる可能性があったにもかかわらず、なんでギャンジャの森を通る街道を選んで旅をしているんだ。シルヴァンで木材が不足しているという事実は変わらないんだから、安全に森を迂回する街道を通ればいいじゃないか。どうもそこら辺が腑に落ちないんだが」


 なんだ、そんな話か。私はてっきり危機を乗り越えた男女が定番でする、なにかこうロマンティックな話が始まると考えていたのでちょっと落胆した。そう、あくまでも、ちょっと、ちょっとだけだからね。でも、雇用者に正確な情報を提供するのも雇い主の役目の一つよね。そう考えた私はタルワールのもっともな質問に素直に答えることにした。


「そうね。確かにタルワールの言う通り森を迂回する街道を私も使いたかった。でも使う事ができなかった。いや、正確に言えばこの街道を通らざる得なかったのよ。契約の関係でね。でも、これはタルワールと会う前の話だから知らなくて当然よね。これから道中も長いし、タルワールさえ良ければそこら辺の話をしようと思うんだけど、つきあってくれる?」


 私がそう言うと、タルワールは「よろしく頼む」と短く答えた。

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