第22話:涙、枯れるまで

「リツ、大丈夫か、ケガはなかったか?」


 タルワールが大声で叫びながら、血相を変えて私に走り寄ってくる。

「大丈夫なわけないじゃない。怖かった、すごく怖かった」


 私は、私の中に抑え込んできた感情が一気にあふれだし、思わず号泣する。いい歳であるにもかかわらずと思う冷静な私もいないわけではなかったが、この状況、冷静な私が感情的な私に勝てるわけもなく、私は感情にまかせ泣きじゃくった。他人の前で泣くという経験は何度もあるけれど、今回は極めつきだ。とにかく私の人生において最も感情が揺さぶられた経験といっても過言ではなかった。


「いいから、顔を見せろ!」


 タルワールは大急ぎで右手の手甲を外すと、懐から真っ白なハンカチを取り出して、涙で染まった私の顔を乱暴に拭き上げて私の顔をのぞきこんだ。しかし私は自分の感情を抑えることができず、タルワールのハンカチを払いのけ、両手のひらで両目を覆い泣き続けた。


「えぇい、めんどくさい」


 タルワールはそう言って私の手を強引に払いのけると、泣きじゃくる私の気持ちなんてお構いなしに、両手で私の顔を無理やり挟みこみ、丁寧に私の顔をのぞき込む。そしてタルワールは、私の顔の傷を確認するためか、何度も何度も私の顔をハンカチで拭き上げるも、私の瞳から涙はあふれ続け、留まることを知らなかった。


 どれだけ時間が流れたのだろうか、それとも一瞬であったのだろうか。感情に心を支配された私は、時間の経過を正確に理解することはできなかった。しかしタルワールが「ふぅ」というため息とともに冷静さを取り戻していたことを、私は理解できていた。


「よかった、顔に傷はないみたいだ。リツご自慢の顔に傷をつけてしまったら、寝覚めが悪かったからな。あやうくリツの未来の旦那に叱責されるところだった」


 タルワールはそう言って軽く笑うと、もう一度ハンカチで私の顔の涙を丁寧に拭きとった。私はその言葉を聞いて少しの冷静さを取り戻せたものの、顔に傷がついていないという言葉が私の心に安堵感を与え、その安堵感が再び私の押さえつけていた感情の泉の栓を抜いてしまうと、私は再び号泣した。


 どうやら感情というものは無理やり押さえつけると跳ね返ってくるものらしい。まるで私のお腹の駄肉みたいに、押さえつければ押さえつけるほど恐怖の感情は跳ね返り、私は涙を止めることができなかった。そしてそんな私を見たタルワールはますます困惑し、どうしてよいかわからないようであった。


 私の泣き声だけが森に響くというバツの悪い時間がしばらく続き、そんな私を複雑そうな表情で見ていたタルワールは、急に立ち上がり、自分が仕留めた狼の方に向い歩き始めていた。どうやら狼に刺さったままになっているナイフと剣の回収に向かったようだ。ただ、その歩みは非常に遅く、私が冷静さを取り戻すために、少しでも時間を作ってあげようとするタルワールなりの心遣いがひしひしと伝わってきた。


 しばらくして、私の泣き声が一向に小さくならないことを心配したのか、タルワールは自分のナイフと剣を回収した後、私の方に振り返り、微笑みを浮かべて話かけてきた。


「リツ、すまない。ナイフと剣についた血が思ったより多くてな。ここにある水だけでは足りないんだ。ちょっと川に行って水を汲んでくるから、少しここで待っていてくれないか?」


「何言ってるの、私がこんな状態なのにどこにいくつもり、怖いからまだここにいて!」


 最悪だ。タルワールは、私が少しでも早く冷静さを取り戻せるように一人にしてくれようとしていることを頭の中で理解できていたのに、感情に支配された私の心は素直にタルワールの善意を受け取ることができなかった。


 さすがにこの状況はまずいと私は頭の中では理解できていたので、何度も何度もごめんなさいと頭の中で復唱したものの、乱れた心が邪魔をして、謝罪の言葉が喉から出てこない。それがまた悔しくて、さらに涙があふれてしまう。もう自分でもどうしていいのかわからない。まさに感情の負の連鎖だ。


 私自身が、私自身のことを理解できなくて悩んでいるのだから、私でないタルワールの混乱は、ますます拍車がかかっていたのであろう。周りが暗かったため、タルワールの顔を詳しく観察することはできなかったけれど、タルワールが今日一番の困り顔をしていることは、容易に想像することができた。


「わかった。俺はしばらくここにいるから安心してくれ」


「ただ、俺の願いも一つ聞いてほしい。申し訳ないが、俺はこれ以上リツが泣いている姿を直視することができない。だからリツが泣きやむまで後ろを向いているから、落ち着いたら俺に声をかけてくれないか」


 私はタルワールの言葉に素直にうなずくと、タルワールはほっとした表情を浮かべ、私に背を向け、かまどにかけていたお湯を使ってナイフと剣についた血を洗い始めた。すでに声を出して泣くことを終えていた私の耳には、水の流れる音とタルワールが剣を拭く音がとても大きく感じられた。そして剣の手入れを終えたタルワールがナイフの手入れに取りかかったちょうどその時、私はある程度の平静さを取り戻すことができていた。

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