第21話:震えることしかできていない

「くるぞ!」


 タルワールが発した鋭い一言が森の闇に吸い込まれると、その言葉に呼応するかのように闇の中から八つの影が飛びだして、タルワールに襲いかかった。私は生まれてこの方、狼という生き物を見たことはなかったが、その影を見た瞬間、それが狼であることを理解した。私は思わず「きゃ」っと小さく悲鳴をあげるも、タルワールは冷静であった。


 タルワールは影の一つに狙いを定めると、すばやく剣をなぎ払い、一瞬でそれを仕留めると、隣の狼の腹部を強く蹴り上げた。タルワールに蹴り上げられた狼は「キャン」と悲痛な声をあげ宙に舞い上がり、次の瞬間、地面に強く叩きつけられてピクリとも動かなくなる。信じられない事だが、タルワールはこの一瞬で二匹の狼を仕留めてみせたのだ。


「グルルル」


 残った六匹の狼は唸り声を上げて態勢を立て直すと、タルワールを半円状に取り囲む。一瞬のうちに目の前で二匹の仲間を失ったにもかかわらず、狼の群れは戦意を失うことなくタルワールと対峙していた。


 私はその様子を視線の片隅に置きながら、キャロルと共に荷馬車の影に隠れると、そこから頭一つ出してタルワールと狼の戦況をうかがう。


 狼達は、先程よりも大きな唸り声をあげると、徐々にタルワールとの距離を詰めていく。時間が徐々に圧縮され、ジリジリとした時間が流れていく。そして、あと半歩でタルワールの剣が狼に届くと思ったその瞬間、タルワールは狼に向かい大きく一歩踏み込んで剣を振るった。そしてその刹那、一匹の狼が血しぶきを上げて地面に倒れこむ。


 しかし、それでも狼の機先を制することはできない。つまり狼は、タルワールによって縮められた間合いを利用し、一気に襲いかかってきたのだ。もうだめだと私が思わず目を覆いたくなったその瞬間、目の前には信じられない光景が描かれていた。


 すなわち、タルワールにみついた狼の牙は、すべて甲冑によって妨げられ、タルワールに一切傷をつけることができなかったのだ。それどころか、タルワールは甲冑に噛みついた狼に狙いを定め、剣の柄を狼の頭部に叩きつけると、狼は大きな悲鳴をあげてその場から動かなくなる。


 瞬く間に数を半減された狼であったが、残った四匹の狼もバカではない。先程の攻撃で、自分たちの牙ではタルワールの甲冑を貫く事ができないことは理解しているはずで、これからますます手強くなることは容易に想像ができた。そして、狼は再び距離を取り、半円状になってタルワールを取り囲むと、先程よりもゆっくりと、より正確にタイミングを計るかのように距離をつめていく。先程とは比べものにならない緊張感だ。


 残った四匹の狼は、タルワールが先程踏み込んだ距離に入る寸前、一斉に襲いかかってきた。それは甲冑で守られていない足首や手首を狙ったものであった。私がもはやこれまでと思った瞬間、タルワールは横に大きく飛んでいた。そう狼が飛びかかって来た瞬間、つまり狼の足が地面から離れた瞬間を見計って、大きく側面に飛んで移動したのだ。


 さすがの狼も空中で軌道を変えることはできない。狼の攻撃は当然のように空を切る。しかし空中で軌道を変えられないのはタルワールも同じ。狼は初段の攻撃がかわされると同時に、再び大地を蹴ってタルワールに襲いかかった。甲冑をまとったタルワールが俊敏さで狼に勝てるわけがない。今度ばかりはよけられないと思ったその瞬間、タルワールは再び大地を蹴り、狼に剣を突き立てて突進する。そして狙いを外された三匹の狼の攻撃が空しくタルワールの甲冑に弾かれると、残った一匹の狼は、タルワールの剣によって喉を貫かれ絶命した。まさに電光石火の早業であった。


「やった、あと三匹!」


 私が思わず歓声をあげると、その瞬間「このバカ!」とタルワールが叫ぶ。その刹那、一匹の狼が私に向かって襲いかかってきた。私はあまりにもの恐怖に足がすくんで動けない。もちろん足だけではなく手も震えて動かない。もう駄目だと観念したその瞬間、ビュッと空気を切り裂く音が狼に向かって飛んでいくと、次の瞬間「キャン」という狼の断末魔が森の中に響きわたる。暗くてよくわからなかったが、タルワールの投げたナイフが狼の急所に突き刺さったのであろう。


「バカ、声を出すな、死にたいのか!」


 タルワールが私に向かって大声でそう叫ぶと、私は両手で口を押さえ、素早く、そして大きく何度も何度も首を横に振った。そして危機一髪で死を回避した私は、この瞬間をきっかけに一気に冷静さを取り戻し、キャロルと共に荷馬車の裏から焚き火の前に移動する。いくら狼とはいえ、野生の動物は火を怖がることを今更ながら思い出したのだ。


「よし、いいぞ。そしたら、その狼の首に突き刺さっているナイフを引き抜いて構えるんだ。それで多少は身を守れるはずだ」


 タルワールは残った二匹の狼と対峙しつつも、まるで背中に目がついているかのように私の動きを洞察し、この場でもっとも適切な指示を出した。しかし私はその指示に従う事ができなかった。


「タ、タルワールごめんなさい。こ、怖くて手が震えちゃって、ナイフを抜くことができないの。それどころか腰にかけているナイフすら、まともに抜くことができないの」


 いくら心が冷静さを取り戻したとしても、臆病な性格を克服できるわけではない。足はなんとか動くようになったものの手は震えっぱなしで、まともに何かを持つことすらできない。震えた声を喉から引きずり出すのが精一杯だ。


「わかった。なら黙ってそこで待っていてくれ。すぐかたづける」


 「は、はい」と私が震え声で答えると、タルワールは小さくうなずいた。

タルワールと対峙している二匹の狼は、さらに慎重にタルワールとの距離を詰めていく。今度こそ確実にタルワールの射程の外で攻撃を仕掛けてくるのは間違いない。そしてタルワールと狼が互いの射程に入ったその瞬間、一匹の狼がタルワールに襲いかかり、もう一匹の狼が私に向かって走り出す。


 とっさのことに私は悲鳴にもならない声を上げて尻もちをつく。完全に腰が抜けてしまった。もう立ち上がることもできない。もうだめだと私は観念したが、タルワールは冷静であった。自分に襲いかかってきた狼に向かって剣を一閃すると、次の瞬間、持っていた剣を私に襲いかかってきた狼に投げつけたのだ。まさに一瞬の出来事、投げられた剣は最後に残った狼の体を貫き一瞬で絶命に至らしめた。タルワールはまたしても一瞬で二匹の狼を仕留めてみせたのだ。

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