第17話:最後に出した条件は?

「さて、条件のすり合わせは終わりましたかな?」


 ふいにカウンター越しに低い声。その声の主は、つい先程まで私の依頼の受付をしていた初老の男のものだった。


「リツ様とタルワール様の条件がすり合ったのは大変めでたいことだと思います。しかし、ひとつ思い出していただきたいのは、このリツ様とタルワール様のご契約、リツ様が私どもに護衛募集の依頼を出した後、ここドミオン商業ギルドにて、両者お話合いのうえ契約が成立した。私にはそう見えたのですが、間違いなかったでしょうか。もしそうであれば、私どもには手数料をいただく権利があると思うのですが」


 確かにその通り。そう指摘され、初めて事実に気がついた私は、その男の理屈の正しさを認めざるを得なかった。でも、目の前で座っていただけの男に手数料を取られるというのは、しゃくに障るといえばしゃくに障る。私は、一応、いや必死に、手数料を払わないですむ方便を考えたものの、目の前で護衛の募集依頼を出し、その直後に目の前で交渉をした状況ではさすがに何も言えない。


「はい。その通りです」


 この状況に至っては、くやしいけど、この初老の男に対しうなずくしか術がない。そう考えた私は観念してそう返事をする。そして抗議を諦めた私は、ふと、タルワールの方に視線を向けたが、タルワールも私と同様、諦観したような表情を浮かべ、ため息をついていた。どうやらこの場の支配権を奪ったのは、この初老の男というわけね。


「さて、リツ様もタルワール様も納得していただけたのは、まことに喜ばしい。ではこの契約、このルンベルトが証書を発行させてもらいましょう」


 ルンベルトはそう低い声を発すると、おもむろに契約の内容を確認し始める。


「契約金は銀貨百枚。契約期間は明日から三日間。契約内容は、ここスムカイトからシルヴァンまでの護衛。この内容で間違いありませんか」


 ルンベルトの有無を言わさぬ問いに、私とタルワールは無言でうなずいた。もうこの場は完全にルンベルトのペースね、とほほ。


「では次に、契約金の支払いについてです。前金で銀貨五十枚、荷物が無事だった場合に限り、成功報酬として半金の銀貨五十枚を支払う。これでよろしかったですね。この内容でよろしければ前金はここで支払っていただき、成功報酬はシルヴァンに到着後、ドミオン商業ギルドのシルヴァン支部で支払う形にさせていただきますが、よろしかったでしょうか」


「そうね。それでお願いするわ」


 私はルンベルトの提案に渋々うなずいた。


「では、これで契約書を作成しようと思いますが、何かこの契約に関して言い忘れたことはありませんか」


 この質問に、今まで沈黙を守っていたタルワールが口を開く。


「冷静になって考えてみたんだが、この契約、俺の方が不利すぎやしないか。この内容だと、荷物に何かがあった場合、俺に落ち度がなくても成功報酬は貰えないわけだろ。そうなると俺の手元には銀貨五十枚しか残らない。それではこの嬢ちゃんが、最初に提案した銀貨八十枚から三割以上もの値引きになる。さすがにそれでは割にあわない」


 勢いで結構いいところまで条件を引き下げられたと思っていたんだけど、やっぱり気がつくんだ、さすがね。うーん、でもどうしよう。とにかく私が有利なこの条件、なんとか見直しは避けたいんだけど、さすがにそれは図々しいかな。私はそんなことを悩みながら、不安な気持ちでいっぱいになる。しかし私のそんな思いとはうらはらに、タルワールが提案した条件は私の予想外のものであった。


「一度はお互いに合意した条件だ。今さら内容を変えてくれというつもりはない。ただ、その代わりといってはなんだが、条件の付け足しをお願いできないかと思ってな」


「聞くだけは聞いてあげるけど、条件によるわ」


 タルワールの提案に私は即答する。これ、もしかしたら報酬を引き上げることなく、この場を切り抜けることができるかも。金銭が絡む条件追加なら断ればいいだけなんだし、もしかして私、メチャクチャ有利?そう都合よく考えた私は、タルワールに視線を向け、追加したい条件を話すように促した。


「なぁに、条件といってもそんな難しいことじゃない。これから二日間の道中、嬢ちゃんに俺の夕食を作ってもらいたいんだ。俺は嬢ちゃんと同じで育ちがいい。だから料理にはうるさくてな。もし嬢ちゃんが作った夕食が俺の口に合わなかったら、銀貨十五枚を支払うという条件を追加してほしいんだ。この条件であれば、道中二回の食事の味次第で、俺には銀貨三十枚得られる可能性が残る。そうであれば、たとえ俺以外の責任で荷物が奪われたとしても、俺には銀貨八十枚を得られるチャンスが残るというわけだ。どうだろう、これこそフェアな契約というものではないか?」


「ちょっと待って。その条件だとあまりにも私が不利だと思うの。私が可哀想だと思うの。これって、たとえ私がメッチャおいしい料理を作ったとしても、まずいと言われたら銀貨十五枚払うってことでしょ。さすがにこれは理不尽じゃない?」


 私はそう反論したものの、すぐに意見を百八十度ひっくり返す。


「でも、わかった。その条件を飲んであげてもいい。だけど銀貨十枚。それが私の譲れない一線よ」


 この条件さえ飲んでくれれば、荷物が奪われた時、出費は最大銀貨七十枚。荷物を無事に届けた時の出費は最大銀貨百二十枚。つまり、最初にタルワールが出した条件と同じ。これならギリギリ妥協できる一線だ。とにかく今は時間がない。これ以上、護衛の件で時間を使うことは得策ではない。って、この土壇場で最初の条件以上の報酬を得られるように交渉してくるとは、この男なかなかやるわね。


「俺はそんな卑怯な事は考えていないが、初対面ではそう思われてもしかたがないな。いいだろう、銀貨十枚。その条件を飲もうじゃないか」


 タルワールはそういうと私に右手を差し出した。しかし私はすぐにその右手を取ることができず、申し訳なさそうに一言付け加える。


「ごめんなさい。私からも二つ条件があるんだけれど、いいかしら?」


「なんだいそれは?」


「一つは、私のことを嬢ちゃんと呼ぶのはやめて欲しいの。できればリツと呼んでほしい。そしてもう一つは」


私はそこまで言って、言葉に詰まる。


「さすがに口では言いにくいから、木札に書かせてもらえない?」


 私がタルワールにそう告げると、ルンベルトは黙って私に木札と羽根ペンを差し出した。私は木札に文字を書きながら、自分自身の顔が真っ赤に染まるのを感じていた。だいたい書いているだけでこんなに恥ずかしいのだから、口に出して言えるわけないじゃない。


 しばらくして、木札に文字を書き終えた私は黙ってそれをルンベルトに渡す。そしてルンベルトは木札に書かれている内容を確認すると、困惑した表情を浮かべた。


「リツ様。この木札、本当にタルワール様に見せてもよろしいのですか」


 そう問われた私は一瞬躊躇ちゅうちょしたものの、意を決して無言でうなずいた。するとルンベルトは申し訳なさそうな表情を浮かべながら、タルワールにその木札を渡す。そして木札を受け取ったタルワールは、虚を突かれた顔をしていたものの、急に大きな声で笑い始めた。


「なんだよ、この貞操を保証するって。俺は騎士だ。契約書に書かれてなくてもこういう事はちゃんと守る。安心してくれ、この剣にかけてな」


 そう言ってタルワールは腰にぶら下げていた剣を叩くと、それをきっかけに、私たちの会話に聞き耳を立てていた趣味の悪い商人たちが「どっ」と笑いだす。


 「仕方がないじゃない。ほら、私って結構、かわいいから」と私は小声でつぶやいた。どうやらこれが私にできる精一杯の抵抗であった。

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