第15話:契約は計画的に

「リツ様、五番カウンターへどうぞ!」


 意識の外から急に私の名前を呼ぶ声。私は思わずハッとなり、思考の大海から現実の大地に引きずり戻される。


「あれ、ずいぶん早くない」


 私は思わずそんな独り言をつぶやいた。そしてそれが、独り言といっていいレベルの声の大きさであったか、ちょっと自信がない。それが証拠に周りの視線が痛い。いやいや、気のせい、気のせい。今の私の声、小さかったから、小さかったから。周りの視線は私のかわいさのせい。きっとそう、そうに決まっている。そういう事だと思うし、そういう事にする。もう決定だからね。これ。


 私は心の中でそんな言い訳をならべながら、紅潮した顔をぶらさげて指定されたカウンターへ向かうって、これ真ん中の席じゃない。これじゃあ私の声、周りの人に筒抜けじゃない、最悪。こんな席じゃ、気軽にもうけ話の一つもできやしない。


 でも、まっいいか。今回は幸いそんな事とは無縁の話をするだけだから。さて笑顔、笑顔っと。商人の基本はとにかく笑顔。私みたいなかわいい女の子は、この笑顔一つで難しい仕事が簡単に済んでしまう事もあるらしい。今日こそ、そんな恩恵が得られる展開になるに違いない。私は心でそう強く念じると、精一杯の笑顔を正面の男に向ける。


「おや、リツ様、お珍しい。今日は先物証書の件でご相談ですか?」


 えぇ、またその話。私は心の中で大きなため息をついた。まったくドミオン商業ギルドの人は、私の顔を見るたびに先物証書、先物証書って。私の顔に先物証書とでも書いてあるのかしら。でもおあいにくさま、今日はその件ではありません。ごめんなさいっと。


「えっと、申し訳ございません。今日はその話ではないのです」


 私は、私のできる精一杯のにっこり笑顔でそう返事をしたものの、カウンター越しに座る初老の男の表情は冴えない。


「そうですか。なにやら急ぎの用という事でしたので、てっきり先物証書の件だと思い期待をしていたのですが、残念です」


 なるほど、私の順番がやたら早く回ってきたのはそういうことね。つまりクロリアナが、先物証書の件で焦っているドミオン商業ギルドの心理を逆手にとって、私の順番を早めたというわけか。でもクロリアナ、こんなのひどいじゃない。私は確かに急いでいたけれど、こんな事をされたら余計に話しにくくなっちゃう、どうしてくれるのよ。って、だめだめ、いつもの悪いくせを出しちゃダメ。今はこの商談に集中しないと。


「ごめんなさい。今日は二つ用件がありまして、まず取り急ぎお願いしたい件からお話をさせてもらってよろしいでしょうか」


 私はそう言って、ショルダーバッグから封蝋ふうろうされた手紙を取り出すと、この手紙を何とか今日中にシルヴァンのクテシフォン商業ギルドに届けてほしいとお願いする。


「今日中にですか」


 私の手紙を受け取った初老の男は、手紙の封蝋ふうろうした部分を手で軽くなぞると、少し困ったような表情を浮かべる。


「リツ様、わざわざろうで封をしていらっしゃるからには、これが大切な手紙であることはわかります。であるのなら、自分が所属するクテシフォン商業ギルドのスムカイト支部から手紙を出した方が安全ではないですか?」


「私も、最初はそう考えたのですが、クテシフォン商業ギルドが今日使える早馬の枠がもう無いみたいでして、途方に暮れていたのです。こちらで引き受けてくれると嬉しいのですが」


 私の思わぬ粘り腰に、初老の男は「うーん」と少し困った表情を浮かべるも、その表情も一瞬で、すぐに気を取り直し「わかりました、引き受けましょう」と返事をしてくれた。


「時間的な余裕はたっぷりあるのですが、問題は私たちの早馬に空きがあるかどうかです。最大限の努力はしますが、間に合う保証はできません。また、かなりの無理を通す仕事になりますので料金は少し余分にいただきます。それでよろしければ引き受けましょう」


「ちょっとまって、間に合わなかった場合も割増料金というのはさすがに」


「さすがに?」


「いえ、なんでもありません」


 私は愛想笑いを浮かべて、そううなずいたものの、間にあわないかもしれないのに割増料金を取られる事に納得できずにいた。でも、この手紙は急ぐものだから文句は言えない。ほんと、こういう抜け目のない所、さすがドミオン商業ギルドといったところね。私じゃ太刀打ちできそうにないもの。


「ところでリツ様。もう一件の依頼というのも聞かせてもらえませんか」


 初老の男は私の手紙を他の事務員に渡しながら話を続けた。


「えっと、もう一つの要件はですね、私を明日から三日間、護衛してくれる人を探しているというものです」


「護衛、護衛ですね。わかりました。それで、護衛の内容はどのようなものになりますか。詳しく教えてもらえないでしょうか」


 そう問われてはじめて、私は今回の旅の目的を、護衛が必要となる理由を必要最低限の情報に絞って話はじめた。つまり明日から三日かけ、ここスムカイトからギャンジャの森を抜けてシルヴァンに木材を運ぶこと。そしてギャンジャの森を抜けるとなると危険を伴うので、身を守るための護衛が欲しいということ。この二点のみ私は初老の男に正確に伝えた。


「わかりました。ギャンジャの森を抜けるための護衛ですね」


 初老の男にそう問われ、私は大きくうなずいた。


「しかし、あの森を抜けるとなるとかなりの危険を伴います。夜は狼が出ますし、最近では山賊まで出ると聞いています。報酬はかなり高額なものになると思いますが、ドミオン商業ギルドとして最大限の努力をすることを約束させてもらいましょう。では、まず予算の上限額を教えてもらえませんか」


 私はそのもっともな問いに銀貨十枚と答える。すると初老の男は再び困ったような表情を浮かべ、しばらくお待ちくださいと告げると、奥のオフィスに消えていった。この態度、もしかして銀貨十枚だと少なすぎるということかしら。でもこれって酒場の給仕の月給と同じ額なんだし、さすがにこれで大丈夫よね。私はそんな一抹の不安を感じながら、初老の男の帰りを待つ。


 初老の男が去ってからしばらく経った。周りの商人が早口でけたたましく商談を進めている。ドミオン商業ギルドの事務員が忙しそうに周りを走りまわる。それとは対照的に、独り席に残された私の時間は、静かに、そしてゆっくりと流れていく。まるで死を直前にした病人が、死に抗うため何かをしなければならないという焦燥感にかられるも、何もできない現実に途方にくれるかのような時間の流れだ。


 つまり私は、今、時間がないと焦る気持ちを抱える一方、具体的に何をしたらいいのかわからず、ジリジリと過ぎる時間に耐えなければならなかった。このまま護衛が見つからなかったらどうしよう。そんな不安が膨れ上がり、それが爆発寸前に至ったちょうどそんな時、初老の男が席に戻ってきた。


「リツ様。申し訳ございません。今日の明日ということでしたので、さすがに」


 初老の男はそう言うと、申し訳なさそうに話を続ける。


「依頼のタイミングが遅すぎました。残念ですが、今すぐ斡旋できる護衛の方は見つかりませんでした。本当に申し訳ございません」


「そうですか」


 私はそう言って残念そうにうつむいた。しかし、そんな私の表情とは対照的に、初老の男は笑顔で話を続けた。


「リツ様、諦めるのはまだ早いです。なんといっても三日で銀貨十枚の大仕事。今からすぐ求人の案内をエントランスに張り出します。今は午前十時ですから、もしかしたら今日中に護衛の方が見つかるかもしれません。夕方にもう一度、尋ねてきてもらえませんか?もしかしたら、もしかするかもしれませんよ」


 初老の男はそう言い終えると、ぎこちないウインクを私に向ける。私はその仕草に、私の依頼を成就してあげたいという気持ちが込められていることに思いが至ると、思わず嬉しい気持ちになる。


「はい」


 私は、そう言って屈託のない笑顔を向けると、初老の男も満足そうに大きくうなずいた。


「それではリツ様。至急求人を出す手続きをしますので、商人としての身分証明書を見せてもらえませんか?」


 そう問われた私は、懐からクテシフォン商業ギルドに所属していることを証明するロケットを取り出し、その中身を見せた。そしてそのロケットの中身を見た瞬間、初老の男は目をかっと見開くと、その後大きくうなずき、感心したように言葉を続けた。


「リツ様はクテシフォン商業ギルドの特別会員だったのですね。先物証書の件といい、どおりで大胆というか。少し変わった方だと思っていましたが、なるほど、なるほど」


 そう、確かに私はクテシフォン商業ギルドの特別会員の資格を持っている。じつは私が所属するクテシフォン商業ギルドは、ここスムカイトでは規模の小さい支店しか持たないものの、大陸全体という視点でみると、大陸一の規模を誇り、大陸一の影響力を持つ商業ギルドなのだ。


 そして、クテシフォン商業ギルドに所属する会員は特別会員、正会員、準会員という三つのクラスに分けられる。そして一番上の特別会員になると、クテシフォン商業ギルドが所有する財の最大一%を自由に借り入れすることができる特権が与えられる。そう、この特別会員は、クテシフォン商業ギルドの中でも文字通り特別な存在なのだ。


 しかし、その資格を持つことは容易なことではないらしい。つまり正会員になって、かなりの実績を積むか、ある一定以上の能力を備えているか、もしくは強力なコネでもない限り、特別会員になることは不可能だと言われているのだ。ちなみに私はコネ組なので、そこら辺のことは詳しく知らないんだけど。


 とにかく、私以外の特別会員の努力によって、クテシフォン商業ギルドの特別会員という肩書は世間においてバツグンの信用度を持つ。だから今回みたいに、急な求人をする時には役に立つのよね。私はそんな不埒な事を考えながらロケットをふところにしまいこんだ。

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