第10話:空気くらいは読めるのです

 漆黒の帳がギャンジャの森を覆い尽くし、すべての生き物が眠りについたと勘違いしてしまいそうな静寂の夜。私とタルワールだけが唯一の例外として森に特異点を形成している。遠慮しがちな私にしては珍しく、私はタルワールと共に笑いに包まれた夕食を楽しんでいた。こんな楽しい夕食はいつぶりだろう。この夕食と同じくらいの楽しい時間なんて、いつ以来だろう。少なくともここ一年の記憶の中では見つからない。とにかく今日はそれくらい楽しい夕食だ。あんなにたくさん作ったシチューもあっという間に無くなって、最後の一杯を、今タルワールが美味しそうに食べている。折角いい雰囲気なんだし、ちょっとくらいタルワールに攻めた質問してもいいよね。折角なんだし、ちょっと大胆になってもいいよね。


「ねぇ、タルワール。聞きづらいことなんだけど、質問してもいい?」


「おぉ、いいぞ。なんでも遠慮なく聞いてくれ」


 やっぱり上機嫌、これなら色々聞いても大丈夫そう。シチューに入れた肉の量、奮発した甲斐があったというものね。


「さっき、タルワールは国を守り切れなかったとか言ってたけど、タルワールはどこの国の騎士団に属していたの?」


「おぉ、その話か。俺は都市国家シルヴァンの騎士さ」


「あぁ、二か月前まで戦争していた。あの」


 と言っている途中で、私は自分の失言に気がついた。たった二か月前のこと、タルワールの心が整理できているわけないじゃない。さっきまでタルワールはデリカシーがないとか非難していたくせに、今は私がデリカシーのないことを言っちゃってる、ほんと自己嫌悪。


「あぁ、リツ、別に気にしなくてもいいぞ」


 私がバツの悪そうな顔をしていた事に気がついたのか、タルワールは笑顔でそう応える。私はタルワールの心遣いに感謝しつつも、こういう所に必ず気が回るタルワールの察しの良さに心から感心した。でも、タルワールがそう言ってくれるなら遠慮なく、と図々しく思ってしまうのが私が私らしいといったところで、さすがに空気を読めていないと分かっているのだけれども、折角だし、ここはタルワールに甘えてしまおうっと。


「ところで、タルワールは、なんでスムカイトで護衛の仕事なんてやろうと思ったの。どこかの国に仕官したほうがもうかりそうじゃない?」


「いや、そんなこともないさ。俺は、今どこかのお嬢さまを三日護衛するだけで銀貨百枚貰える仕事にありつけているし、これはこれでいい仕事だと思うぞ」


 私の質問をはぐらかし、うまい返しを言うタルワール。まったく小憎らしいわね、もう。


「そう、その通りよ。でも銀貨百枚はいくらなんでも高すぎ。しかも夕食が美味しくなかったらさらに銀貨十枚とか、どれだけ理不尽な契約なのよ」


 私が猛烈に抗議するものの、当のタルワールはどこ吹く風。


「それはそうかもしれないが、それでも契約してくれる旅商人がいるのだから、ほんと、ありがたいよな」


 そう言ってタルワールは大きな声で笑い、私もつられて笑ってしまう。でもこの契約の内容、とても笑えるような内容じゃないんだって、本当に。って、違う違う、話を戻して。


「で、結局、タルワールは他の国の騎士として仕官するつもりはなかったの?」


「なんだ、またその話か」


 タルワールはそう言って一呼吸置くと、私の質問にまじめに答え始めた。


「そうだな、騎士という生き物は、これはこれで大変な生き物なんだ。自分の仕えていた国が滅びたからすぐ他の国に仕えればいい。そんな気楽な生き方、なかなかできるものじゃない。俺が騎士として仕えることができるのはシルヴァンだけさ。多分、それは一生変わらない。だから俺が他の国に仕官するなんてことはないと思う」


「えー、なにそれ。全然理解できないんだけど。私だったら、お金をくれる人なら誰が主人でも構わないし、同じ仕事で今よりお金を貰えるのなら、今の主人を見限って、すぐにでも新しい主人に仕えるわよ。そういう生き方の方が断然もうかるじゃない。タルワールみたいな生き方、損するだけよ」


 私はタルワールの奇妙な回答に思わず反論してしまう。いけない、いけない、今日の私、デリカシーをどこかに置いてきちゃったかも。


「ははは、確かにリツの言う通り。なんでもお金で割り切れる、実にリツらしい考え方だよ」


 私の心配をよそに、タルワールは大きな声で笑う。私はそんなタルワールを見て、なぜ笑っているのか心で理解することはできなかった。しかし、タルワールがなぜそんなことを言っているのか、知識として理解することはできた。


 つまり男という生き物は色々違うのだ。きっと私のように色々割り切って生きることができないのだ。だから苦しいのであろうし、不自由なのであろう。四年前のあの日、私はそんな不自由にしか生きられない男をたくさん見てきた。そして今でも割り切ることができず、こだわりを持ち続けて苦しんでいる男をたくさん知っている。タルワールもきっとそんな人たちと同じ種類の人間なのであろう。でも、今日のところはこの手の話をすることはやめておこう。私は空気を吸う方が得意ではあるものの、空気が全く読めないわけではない。きっと今は空気を読むタイミングだと思うから。


 しかし、私って、タルワールのこと全然知らないな。いつものくせで勢いだけで契約しちゃったけど、本当に大丈夫だったのかしら。思い返してみるとタルワールって、いろいろ意味深なこと言っていたような、いなかったような。そんなことを考え始めた私は、タルワールと初めてあった日の事を思い出すことにした。そう一日前の六月一日、スムカイトにあるドミオン商業ギルドでの出来事を。

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