第09話:素直なことは、いいことです
太陽が沈みきった直後の宵の口。一人でいることが怖いと大騒ぎしていたにもかかわらず、ノリノリで料理を作っていた私はすべての調理を終え、キャロルと一緒にタルワールを待っていた。慣れというのは本当に恐ろしい。キャロルがいつの間にか火を怖がらなくなったように、つい二、三時間前までは一人でいることが不安で
木々の間から淡い月の光が漏れてくる。しかし月明りは、森を覆う闇に勝つほどの力を持つことができず、地面に近づくにつれ、その光は徐々に闇に溶けていく。そして私の目の前にある焚き火の赤ともオレンジともいえぬ炎の光も、月明りより格段に強く夜の闇を照らしていたが、森を覆う闇に勝つことはできず、空に上がれば上がるほど、その光もまた徐々に闇に溶けていく。
焚き火や月明りのように私の日々の営みも、悠久の時間の前ではすべて自然という闇に帰ってしまうものなのだろうか。私の故郷や、私が大切にしていたものが失われてしまったことも、こういう物差しでみれば自然に帰っただけなのであろうか、いや、さすがにそれは違っていてほしい。そうでなければ、私が必死に守ってきたものも、頑張ってきたことも、やがて自然という闇に飲み込まれる運命ということになる。それでは私の、私たちの、心に残っていた最後の光、希望の光ですら無意味なものになってしまうのだから。
いけない、いけない、私らしくもない。たとえ私の未来が闇に飲まれる定めだとして、それがなんなのだろうか、その
って、これも私らしくないか。どうも夜というものと一人でいるというものは、人の心に良くない影響を及ぼすものなのかもしれない。あ、違うか、私は一人じゃなかった、キャロルがいるじゃない。
「ね。キャロル」
そう考えた私がキャロルに話しかけようとしたその瞬間、「またせたな」というタルワールの声。おーっと危ない、危ない。これから始まるキャロルとのニコニコガールズトークを聞かれるところだった。って、キャロルは男の子だからガールズトークではないか。ごめんね、キャロル。
「おぉ、いい匂いじゃないか」
麻袋いっぱいのマキを拾ってきたタルワールは、拾ってきたばかりのマキの一部を火にくべると、焚き火の前にどかっと座り込む。
「ちょっと待ってて、今、盛り付けるから」
私は、火から下ろしていたフライパンを再び火にかけ、アスパラガスと
「ワインはどうする?」
私はタルワールに気を利かせてそう聞いてみたものの「すまん、今日は遠慮しておく、酔うわけにはいかないからな」という返事が返ってきた。どうやら酔わせて量の少なさをカバーする作戦は失敗したみたいね。
「遠慮するなんて意外ね」
私はそう笑って応えたものの、シチューの味付けに白ワインを使っていることは黙っておくことにした。ま、これもご愛敬ということで。
「さ、早く食べましょう!」
私が元気よくそう言うとタルワールは無言で
味の感想は一口食べればすぐにわかると思う、でも、もし男が考える美味しいの基準が量だったとしたらどうしよう。私は目一杯シチューをお皿に盛ったつもりだったんだけど大丈夫よね?これで充分よね。しかしタルワールは、そんな私の心配をよそに、私の作ったシチューを無言で一口、また一口と食べすすめていく。私の緊張はもう最高レベル。
「このシチューうまいじゃないか。付け合わせのアスパラガスもいい」
「あっ、あたり前じゃない。私が作ったんだから!」
タルワールがやっと発した一言に、私はとっさにそう応えたものの、
「でもこのアスパラガス、もう少し味つけが濃い方が美味しいな」とタルワール。
(はいダメダメ、さっき美味しいといったから、それノーカウントだから)
私は心の中でそう必死に抗議をする。なんというか、この男、ほんと一言多い。
「ところでタルワール。今日の料理、合格点をいただけるかしら?」
最後の一言が気になって仕方がなかった私であったが、恐る恐るタルワールに今日の勝負の結果を尋ねてみる。
私のこの質問に「うーん」と意地の悪い反応をみせたタルワールであったが、すぐに満面の笑みを浮かべ「もちろん、期待以上だ。明日の料理も期待させてもらう」と答えた。よかった、よかった。とりあえず今日の勝負は私の勝ちね。私は心の中で小躍りして喜び、あまりにもの嬉しさに「明日は、もう少し凝った料理を作る予定よ」と余計な事を言うと「それは楽しみだ」とタルワールは無邪気に笑って応える。今日の夕食は楽しくなりそうだ。
「ところで、リツ」
「ん?」
「今日の料理は、おいしい料理であることは間違いないんだが、もし野営地に水がなかったらどんな料理を作るつもりだったんだ?」
タルワールは私の目をマジマジと見ながら、そう質問をぶつけてきた。私はタルワールの真剣な眼差しに思わず
「そんなの答えは簡単よ。カピカピに乾燥したパンを差し出して、頭を下げてこう言うつもりだったの。『タルワールさま、どうかお願いです。この料理でも美味しいと言ってください』とね、もちろん目一杯すまなさそうな顔をしながら、ね」
そんな私のあまりにも図々しい返事に、タルワールは一瞬虚をつかれたものの、笑いを必死に
「そうだな。リツみたいなかわいい女性が作った料理だったら、俺はどんな料理でも美味しいと言っていたかもしれないな」
「私が作った料理をなんでも美味しいといってくれるのなら、今日の朝、必死に食材を買い集める必要はなかったみたいね。今度同じ契約でタルワールに護衛を頼む時は、頭の下げ方と、美味しいといってもらえるお願いの仕方を練習しておくね」
そう私が笑顔で応えると、我慢の限界を超えたタルワールは「ちがいない」と大きく笑い始めた。その笑いにつられ私も大きな声で笑う。とりあえず今日のところは乙女の恥じらいは心の棚にしまっておくとしよう。
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