第07話:私を一人にしないでね

 木々の間から透ける光がほのかに赤みを帯びると、初夏の陽気は和らいで、少しの肌寒さを感じさせるそんな頃合い、私たちは無事、今日の野営予定地に到着した。ギャンジャの森に入る前、私が多少のワガママを言っていたこともあって、予定時刻より少し遅れてしまったものの誤差の範囲内、という事にしておこう。タルワールが選んだ野営地は、鼻腔をくすぐる澄んだ水の香りと、小川のせせらぎの音で満たされていて、どう考えても水を好きなだけ使える環境であった。


「な、これで文句ないだろ?」


 ここぞとばかりに得意げなタルワール、無言で小さくうなずく私。今の私とタルワールの表情の差を絵画で表現することができるとしたら、きっと白と黒以上のはっきりとしたコントラストが出ているに違いない。とにかくこれで水がなかったからという言い訳ができなくなったというわけね。もし男が考えている美味しいという定義が、味ではなく量であった場合、私が用意していた言い訳の一つが奪われてしまったというわけか。ま、これはこれで仕方がない。ここはタルワールが一枚上手うわてだったのだと素直に認め、気を取り直して全力で料理をすることにしよう。うーん、私ってば前向き。


 さてさて、予定より遅れていることだし、準備を急がないと。私は荷馬車から調理器具と材料を取り出すと、さっそく料理の準備に取り掛かる。火を使う時はともかく、野菜を洗ったり、切ったりする時はどうしても最低限の陽の光がいるのよね。松明のたどたどしい明かりの中で刃物を扱えるほど器用でもないし。


「タルワール、私は先に食材を洗ってくるから川の方に行ってくるね」


「おう」


 私の言葉にタルワールはそっけなく返事をして、荷馬車に向かった。荷馬車から炭と焚き木を取り出している所をみると、どうやらタルワールは火起こしをしてくれるみたいだ。こういう空気が読めるところ、ほんと感心する。


「リツ、俺は火を起こしたらマキを拾ってくるから、ここで料理を作っていてくれないか」


 タルワールが火口ほくちとなるチャークロスと火打石を左手に持ち、火打金でそれを打ちつけながら大声で私に話しかけてくる。しかし私は、この言葉を理解することができなかった。


「ちょっと待って、マキなら持ってきたものがあるじゃない。こんな森の中で私を一人にしないでよ!」


 私はまるで知らない場所に一人で置いていかれそうになる子供のような必死さで、タルワールに強く抗議する。しかし、タルワールはいつもの軽い口調でそっけない返事を返してきた。


「リツ、すまん。何かのトラブルで、もう一晩この森で過ごすことになったら、マキが足りなくなると思う。念のため、もう少しマキを集めておく必要があると思うんだが」


「念のため?念のために備えるために、私をここに置いていくなんてひどいじゃない。タルワールがいない時、私が狼に襲われたらどうするつもりなの?そんなことになったら私が可哀想じゃない。私はナイフを料理以外で使ったことはないのよ。頼むからここにいて!」


 私も私でもう必死だ。とても理路整然とは言えたものではない屁理屈を並べ、タルワールにここにいてほしいと懇願する。だいたいタルワール、私はあなたを護衛として雇ったんだから、私の元から離れるなんて明確な契約違反じゃない。そんな思いをいだいた私は、必死の形相でタルワールをにらみつけると、タルワールは困惑した表情を浮かべた。


「なぁに大丈夫さ、狼は夜行性だ。この時間なら、よほどのことがない限り襲われることはない。ちゃんと火も起こしておくから安心して待っていてくれ」


 しかし、そんな言葉では私の困惑は収まらない。とにかくこの流れはよろしくない。タルワールの意志は固そうだし、このまま私が一人ここに取り残される流れだ。もし、そんなことになろうものなら、さすがの私も怖い。ではなくて、タルワールが私との契約を守れなくなってしまう。迷惑をかけてしまう。商人にとって契約は神聖で大切なものだ。それを汚してはいけない。そう、ここでタルワールに契約の大切さを学んでもらうためにも、私は心を鬼にして、毅然とした態度で挑むべきなのだ。これはタルワールのためなのだ。そう考えた私は意を決し、ありったけの言葉と理屈をタルワールにぶつけようとしたその瞬間、タルワールが私の機先を制する。


「ところでリツ、何かのトラブルで、森の中でもう一泊することになったら、どうするつもりだ?明らかにマキは足りなくなるのだが、あっそうだ。この荷馬車にある木材をマキにするのはどうだ?この木材なら乾燥しているし、よく燃えそうだ。これはいいマキになるぞ」


 タルワールのこの言葉にさすがの私も鼻白む。さすがにそれは困る。この木材の売り先はとっくに決まっている。そして、その契約を履行できないと私はとても困る。そもそもこの木材、燃やされてしまったら木材として売れなくなるし、私が愛してやまないお金を手に入れることができなくなる。


「さて俺はどうすればいい?今ここに残って、万が一の時は、荷台の木材をマキとして使うのがいいか、万が一に備えて、今からマキを拾いに行くのがいいか?リツが決めてくれ」


「マキを、マキを拾ってきてください」


 しばらくの沈黙の後、私はしぶしぶタルワールがマキを拾いに行くことを了承した。どうやら、ここでも私よりタルワールの方が上手うわてのようだ。もしかしてこの先やられっぱなしになるのでは?そんな不安が私の心をよぎるのであった。

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