第02話:お手紙、届きましたよ

「どうやら早馬が来るみたいだな」


 タルワールはそうつぶやいて、街道沿いに止めてある荷馬車を心配そうに見つめていた。どうやら、早馬が荷馬車の横を駆け抜けることができるかどうか心配しているようであった。


 大丈夫だって、私みたいな旅慣れた商人は、ちゃんとそこまで考えて荷馬車を止めているの、だから安心しなさいって。と私は心の中でタルワールにそう伝える。でも心の声だから、タルワールに伝わるわけがないんだけどね。私がそんな一方通行の心のやりとりを楽しんでいる間にも、蹄の音はどんどん近づいてきて、私の荷馬車の前で急停止する。


「私の名はウォルマー。こちらにリツさまという女性はいらっしゃいますか?」


 どうやらこの早馬、私に何か荷物を運んできてくれたみたい。タルワールは早馬に乗って来た男を丁寧にもてなすと、川辺にいる私に向けて指をさす。するとウォルマーはその指先の向こうに私の姿を見いだしたみたいで、大きくうなずいて一言礼を言うと、速歩で私の方に向かって来た。


 細身のウォルマーは、最低限の装備しか身につけておらず、無駄のない機能美さえ感じる出で立ちで、その姿は初夏という季節がらとても清々しく、見ているだけで涼を感じさせるものであった。まったく、見ているだけで暑苦しい、全身を甲冑で包んだ男とは大違いだ。


「どうどう」


 私はおびえた様子のキャロルを落ち着かせながら、ウォルマーがこちらに来るのを静かに待つ。一方、ウォルマーは荷物の中から二つの丸めた羊皮紙を取り出して、それを左手に持ちながらこちらに近づいてくる。どうやら私宛てに届いた荷物は、手紙か証書、どちらかのようだ。


「リツさま。先日コーネット様に依頼のあった契約、無事締結することができました。今日はその証書をお持ちしております。内容をご確認ください」


 私はウォルマーの丁寧な言葉遣いに肩をすくめながらも、差し出された二つの証書に目を通す。どうやら、コーネットはタイトな日程にもかかわらず、私の要望を漏らすことなく、契約までこぎつけてくれたみたいだ。私はその完璧な契約書を見てほっと胸をなでおろすと、小さく丸い息を吐いた。


「問題ないわ。すぐに署名するから、少しここで待っていてくれない?」


 私がそう言いかけた瞬間、ウォルマーは私の言葉を遮った。


「リツさま。サインをいただく前にコーネット様からの伝言があります。その顔はそれを聞いた後にしてもらえませんか」


 コーネットにお願いしていた契約があまりにもうまくいっていたため、どうやら私の顔は緩みきっていたみたい。ウォルマーに指摘されるまで気がつかない私も間抜けではあるものの、そんな思いを一切顔に出すことなく、あわてて神妙な表情を作り「もちろん」と短く答える。一方、ウォルマーは厳しい顔を崩すことなく、私をにらみつけるように話を続けた。


「本契約はコーネット様の名前ですでに締結済です。今回お持ちした契約書は、本契約をリツさまに譲渡するものです。つまり、ここでリツさまがこの契約書にサインをしなかったとしても、コーネット様が支払った契約金は返ってきません。その辺りをちゃんと理解してくださいとのことです」


 私は、契約時に必ず起こる商人同士の定型句を聞かされ正直うんざりした。そして私はそれを隠す事も忘れ、ついつい「わかったわ」と生返事をしてしまう。しまった、と思ったもののもう遅い。この生返事、ウォルマーの心情に影響を与えていなければいいんだけれど。そんな思いを胸に、私は上目遣いでウォルマーを見上げてみせる。しかしそんな思いを知ってか知らでか、ウォルマーは不機嫌そうな顔を崩すことなく、私の瞳をじっと見つめて話を続けた。


「もう一つ伝言があります。『黙ってこれにサインして、生きてシルヴァンに帰ってきてください。お説教はその時たっぷりと』とのことです」


 あぁ、やっぱりコーネット怒ってる。これ、ありがとうの一言ですましてくれない流れよね。私は思わず天を仰ぎ「了解しました」とウォルマーに言葉を伝えた。

ま、今はそんなことを考えてもしょうがないよね。私はそんなことを考えながらショルダーバッグから羽ペンとインクを取り出して、キャロルの鞍を下敷きに、手渡された二枚の証書にサインをする。


「確認させていただきます」


 ウォルマーはそう言って、証書の中身を慎重に確認していたものの、しばらくして大きくうなずき、安堵の表情を浮かべた。


「ありがとうございました、これで問題ありません。一枚は私が預かりますので、もう一枚はリツさまがお持ちください。それでは私はここで失礼します。リツさまとシルヴァンで再会できることを楽しみにしております」


 ウォルマーはそう告げると私に右手を差し出した。


「そうね。シルヴァンでまた会いましょう」


 私もそれに応じて、右手を差し出して握手をする。もちろん、その時少額ではあるものの、多少のチップを入れておくことを忘れてはいなかった。ウォルマーが手のひらの感触を確認したのかしなかったのか、私にはよくわからなかったが、ウォルマーが発したのは「ありがとうございます」の一言だけであった。


 最後に、ウォルマーは私に一瞥いちべつすると、足早に自分の馬に戻り、素早く馬にまたがって、あっという間にギャンジャの森の中に消えていった。そっか、すぐに戻らないと夕方前にシルヴァンに着かないものね。私がそう独白した瞬間、「おーい、リツ。俺たちも、そろそろ出発しないか?」とタルワールの声。


 私はその声に応えて大きく手を振ると「そうね、私たちもそろそろ出発しましょうか」と返事をする。もちろんその声は、乙女に相応しい音量で。

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