01.さあ旅にでかけよう!

第01話:そろそろ出発しませんか?

 六月上旬なのに真夏のような肌を刺す日差し。昼にもなっていないのに体中が火照るくらいの暑さ。私はこの天気に心底うんざりしていた。神は何を根拠に夏という季節を創造したのであろうか、私に何か恨みでもあるのだろうか。私はそんな行き場のない感情を持て余していた。


 空に浮かぶ入道雲は、空と雲の境界線をくっきり映し出し、その存在感を強く主張しているものの、肝心な陽の光を遮ることはない。そのおかげで私は針のような日差しに耐えなければならなかった。ほんと嫌になっちゃう。そんな事をブツブツつぶやきながら私はアラス川のほとりに座り込み、ひと時の涼を取っていた。


 でも、今日の天気を熱いと感じるのは人間だけじゃないみたい。愛馬キャロルもこの暑さはこたえるみたいで、そのたてがみにうっすら汗を浮かべ、小川の水をおいしそうに飲んでいる。私はそんなキャロルをぼーっと眺めながら小川に足をつけ、バタバタと動かしながら水の感触を楽しんでいた。


「おーい、リツ。そろそろ出発しないか?」


 唐突に街道から武骨な男の太い声。せっかく人がいい気持ちで涼んでいるというのに空気が読めないのかしら。私は心の中でそう悪態をつくと、その男に視線を向ける。


 この男はタルワール、私がスムカイトで雇った旅の護衛だ。気さくな男であり、私好みの美形であり、一緒にいて楽しい存在ではあるんだけれど、この陽気の中、甲冑で身を包んだ姿はいただけない。見ていて暑苦しいのだ。


 しかし、どうしてタルワールはあの格好にもかかわらず、この暑さに耐える事ができるのだろうか。これは私がタルワールと出会った時からずっといだいている疑問である。私はこんなに薄着にもかかわらず暑さに耐えきれず苦しんでいるというのに。


 それとも男という人種は、暑さに特別な耐性を持っているのだろうか。もしそうだとしたら不公平だ。私は少しの暑さも耐えられないし、少しの寒さも耐えられない。男に対し女が力や体力で劣るのは仕方がないとして、せめて耐久力くらいは平等にすべきではないだろうか。ほんと、こういうところ全然フェアじゃない。


「ごめんタルワール、キャロルがもう少し休みたいって」


 もちろんこれは嘘。なんとかタルワールから少しでも休憩時間を勝ち取ろうとする私のかわいい嘘。キャロルには申し訳ないけれど、ここは協力してもらおう。とにかく私は疲れているのだ。朝早くスムカイトを出発し、ノンストップでここまで来た。道中、荷台で惰眠をむさぼっていたタルワールと違い、私は荷馬車を御してここまで来たのだ。


 もし私が道中うたた寝でもしようものなら、馬車は道なき道を切り開き、車輪が沼や窪みにハマって身動きが取れなくなっていたかもしれない。つまり、ここまで馬車を導いてきたのは私の偉大なる功績であって、タルワールはもう少しその功労者に理解を示すべきなのだ、私をもっとねぎらうべきなのだ。


 でもそれをタルワールに求めるのは酷かもしれない。なぜなら人は人の考えをわかろうとしない。つまり私の考えをわかろうとしない。だから、タルワールが私の考えを察するのは不可能かもしれない。いや、こんな抽象的な言い回しはやめて具体的な事例をあげよう。


 例えば、言葉をうまく理解することができない男性諸兄は、私の歳が二十二歳だとわかると、とたん少女扱いをしなくなる。いや、私って結構童顔だし、見た目が少女なら少女として扱ってくれていいと思うんだけど、いやいや、その前に二十二歳は立派な少女だと思うんだけど、どうもそこら辺が男性諸兄には伝わらない。


 この事実から分かるように、いくら言葉を尽くしても、人の考えというものは分らない人には分らないものなのだ。きっと今回もそれと同じ話。分かろうとしない人への言葉を尽くした説得というものは徒労しか生みださない。つまり、ここは馬の言葉が分かる頭が少しおかしい少女のフリをして、それとなく休憩を継続させてもらう事こそベターな判断なのだ。


「そろそろギャンジャの森に入らないと間に合わなくなるぞ」


 タルワールめ、私が一番弱い時間の概念を使って催促するとはなかなかやるじゃない。でも残念、私の決意はこの程度では揺るがない。私が、じゃなくて、荷馬車を引くキャロルが疲れている。これは仕方がないことなのだ。もしここでキャロルに無理をさせ、ギャンジャの森で潰れてしまったら一大事、それこそ命に関わる大問題だ。

私はそこまで考えて判断しているというのになんと浅はかな、そう考えた私は心の中で思わずムッとしたものの、私がタルワールに向けたのは満面の笑みであった。なんというか、商人というものは営業スマイルが習慣になっていて、とっさに出る表情はいつも笑顔になってしまう。ほんとこれ、悲しい習性よね。


 まったく私が笑顔を安売りする商人じゃなかったら、この笑顔に金貨何枚かの価値が生まれたかもしれないというのに、この男、それを分かっているのかしら。私はそう心の中でグチグチ文句を言いながら、それがまったく無意味であることも理解していた。とにかくここは正攻法でもう少しだけ休憩をおねだりしてみよう。


「ごめん、タルワール。もう少しだけ休ませてくれない?」


 そう私が言いかけた瞬間、遠くから馬のいななきが聞こえてくる。どうやらシルヴァンからの早馬がギャンジャの森を抜け、こちらに向かってきているようだ。

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