だって、お金が好きだから

まぁじんこぉる

だって、お金が好きだから

00.プロローグ

第00話:朝靄(あさもや)に包まれた街の中で

 夜が明けて、朝靄あさもやに包まれた街スムカイト。そんな朝靄あさもやの中を陽の光が粉末のように一面に散らばると、街はまるで幻想的な光の劇場が開演されたかのような華やかさに包まれる。こうして街は、ゆっくりと、そして静かに、その鼓動を刻み始めるのだ。


 私は、そんな目を覚ましたばかりの街の中で、最もにぎわいをみせている朝市の雑踏の中にいた。今日から始まる、ギャンジャの森を抜けてシルヴァンに至る二泊三日の旅、楽しみで仕方がない。そして一番大切なのは、なんといっても食事。だから食材は本当に大事。ちゃんとここで新鮮な食材を安価で仕入れておかないとね。


 お金を出していい食材を仕入れる事は誰にでもできる。ちゃんと安価で手に入れてこそ一流の商人というものだしね。だから頑張らないと。私はそんな旅立ち前の謎の高揚感と、的外れな目的意識に心を弾ませながら、色々な露店の生鮮食品を見て回っていた。


「そこの長い黒髪の小さなお嬢ちゃん、一人で買い物とは感心だね。お母さんからお使いを頼まれたのかな?よかったら、うちで買い物していかないかい?特別に安くしてあげるよ」


 私の後ろから聞こえてくる知らない男の声。私は面倒くさそうに周りを見回すも、長い黒髪の小さな子供は見当たらない。まさかこれ、私のこと?まさかよね、確かに私、背も小さい方だし、髪も長いし、黒髪ではあるけれど、決して子供じゃないし、子供にも見えないし、れっきとした少女ではあるけれど、さすがに子供というわけじゃないし。


「あれ、聞こえてないのかな。そこの瞳が黒くて真っ白な肌のお嬢ちゃん。君のことだよ」


 ここまで言われると、さすがの私も気がつかないフリは苦しい。でも何かがおかしい。この漆黒を水面に映したかのような美しい瞳、高くはないけどちゃんと通った鼻筋、厚くはないけど弾力に富んだ唇、そしてなによりこの小顔。どこをどう見ても立派な少女のはずだ。子供に間違われる要素は一つもない。


 待って、待って。もし間違われる要素があるとすれば、私は心の中でそうつぶやいて、自己主張する事なく謙虚で控えめな自分の胸にそっと右手をあてる。いや大丈夫、大丈夫。そんな事はない。ちゃんと女性として認められるボリュームは確保されている。平均よりちょっと、そう、ちょっと小さいかもだけど、うんうん、大丈夫、大丈夫。問題ない、問題ない。


 だとすると、この見知らぬ男が女性というものを知らない朴念仁ぼくねんじんというわけね。であるのなら、こういう失礼な男には一言文句を言ってやらないとね。そう考えた私がその失礼な男に視線を向けると、そこはクテシフォン商業ギルドが経営している生鮮野菜の販売店であった。なるほど、この失礼な男はこの店の店員というわけね。


 申し訳ないけれど、ちょっと痛い目にあってもらった方がいいかもしれない。朝とは思えない程の暗さで見にくかった事を差し引いても、私の心を傷つけた代償はちゃんと払ってもらった方がいいかもしれない。ふと私の心の中に、そんな小さな悪戯いたずら心が芽生えてしまう。


「ありがとう、おじさん。私、お母さんからジャガイモをたくさん買ってくるように頼まれているの。だからお腹いっぱいになるくらいジャガイモを買いたいな」


 私は、私自身が思わず吹き出してしまいそうな声色で、その人を見る目が皆無な店員に話しかけると、その店員は私に目一杯の笑顔を見せる。


「お嬢ちゃん、一人でお使いとは偉いね。おじちゃん感動したよ」


「そうだ、いつもはジャガイモ一個を銅貨一枚で売っているんだけど、そういうことなら、今日は特別にジャガイモ六個を銅貨四枚で売ってあげるよ」


 私の言葉にそう返した店員に、私は「いきなり原価まで値引きとか、ほんと大丈夫なのかしら」と心の中でつぶやいた。でも引っかかったのは別の点。すなわち、これだけ近くで話しているというのに、私が子供でないことにまだ気がつかない。私が可憐かれんな少女であることにまだ気がつかない。これはいよいよ本格的に痛い目に合ってもらわないといけないみたい。


「え!私、六個もジャガイモ食べられるかな。四個だと値段はどうなっちゃうの?」


「四個ならオマケはできないね。こっちも商売だから許しておくれ。ジャガイモ四個だったら銅貨四枚だよ」


 私の言葉に店員は残念そうにそう答える。まったく、この店員の頭の中はどうなっているのだろうか。それとも私のことをバカにしているのだろうか。だいたいジャガイモ六個で銅貨四枚と言っておいて、それが四個に減っても同じ銅貨四枚で売ろうとする。この時点で自分の言っている事がおかしいと気がつかないのかしら。


「おじちゃん。私、ここで他のお買い物もするから、銅貨十枚以上のお買い物をするから、じゃがいも四個で銅貨二枚にしてくれない?」


 私が上目遣いでそうおねだりすると、店員は仕方がなさそうにうなずいた。


「わかったよ。かわいいお嬢ちゃんの頼みなら仕方がない。ジャガイモ四個を銅貨二枚で売ってあげる。但し、ちゃんとこの店で銅貨十枚以上のお買い物をするんだよ」


「わーい、おじちゃんありがとう。じゃあジャガイモを四千個ください。これでちょうど銅貨二千枚、つまり銀貨二十枚。これでいいでしょ?」


 そう言って私はふところから銀貨二十枚を取り出した。


「あなた、さすがに甘いわよ。今の相場だとジャガイモ六個で銅貨四枚が仕入れ値なのに、最初から仕入れ値の値段を言うなんて。しかもジャガイモ四個を銅貨二枚で売ったら原価割れじゃない。おおかた他の物を割高に売って利益を出そうとしたんだろうけど、原価割れはやりすぎ。だいたいこんなやり方、私には通用しないわよ」


 私が口調を変え、その店員にせまると、店員は呆然ぼうぜんとその場で立ち尽くしてしまう。


「おい、どうかしたのか。新人」


 奥から聞きなれた男の声。


「ちょっとアーベルト、この新人はなに?私のことを子供扱い、じゃなくて、商人のくせに私の策に簡単に引っかかっちゃって、ほんと大丈夫なの?もう少しでこの店、大損するところだったのよ」


「これは、リツさま。申し訳ございません。うちの新人、何かやってしまいましたか?」


「そうよ、とんでもない事をやってしまっているわよ、この男。私の口車にのせられて、仕入れ値以下の値段でジャガイモを売ろうとしたのよ。いったいどんな教育しているのよ」


「申し訳ございません。なにぶん一ケ月前に入ったばかりの新人でして」


 アーベルトは私に対して恐縮しっぱなしだ。


「ま、いいわ。とりあえずジャガイモを六個ちょうだい。仕入れ値の銅貨四枚でいいから」


「はい、わかりました」


 アーベルトはそう言って私にジャガイモ六個を手渡してくれた。


「あとアーベルト。私、しばらくスムカイトを離れるから、後のことはよろしくね」


 私がそう言って朝市の雑踏に向かって歩き始めると、後ろの方からアーベルトと新人の会話が聞こえてくる。


「先輩、あの女、何者なんですか?」


「俺たちクテシフォン商業ギルドに所属する有名な旅商人さ。お前じゃ歯が立つわけがない相手だ。これに懲りたら人を見た目で判断する事はやめておくんだな」


と。

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