むらさきくゆる

一度結論が出てしまうと、疑問に思っていた行動の一つ一つがすとんと腹に落ちた。今になって気がついたのが不思議なぐらいだ。


谷口さんもあの戸田に毎回応えているから、まんざらでもないのかもしれない。二人が一緒になれば、他の男共も落ち着くだろうし、戸田がこの部屋に居座ることもきっと少なくなる。


悪友としてからかってやるのも良い、良き友人として恋路を応援してやるのも良い。


まずは強情な戸田の口を割らせる方法を考えなければ。それから、谷口さんの方にもそれとなく声をかけて、好みや恋人の有無等々の情報を集めようか。デートの場所やプレゼントを一緒に考えてやろう。


作戦というには浅はかなアイデアを並べるのは楽しかったが、何か違和感があった。


想像上では、恋人となった戸田と谷口さんが腕を組んで笑い合っている。良い光景だ。なのに、どこか釈然としない。


絵の具セットの絵の具全部をごちゃまぜにして作ったような、濁った色のもやが腹の底に溜まっていく。妙に落ち着かない心地で、側にあった缶チューハイの残りを一息に飲み干した。


炭酸が抜けかけたチューハイは、しつこい苦味だけがやけに際立っている。


多少は気が紛れたような気がしたが、再び背中に走る衝撃でうやむやになった。

振り返れば、戸田が私の背に足を押しつけていた。


「……何だよ戸田」


「それは俺の。お前のは冷蔵庫」


「ハンパに残ってたんだから良いだろ、別に」


「そういう問題じゃない」


「はいはい悪かったな」


人のタバコを我が物顔で吸っといて、という小言は胸にしまっておく。こいつに舌戦を挑んだところで体力を消費するだけだ。

舌にこびりついた苦みを押し流すため、テーブルの隅っこのミネラルウォーターに手を伸ばして、口をつける。自分で思ったよりも喉が渇いていたらしい。


一口、二口と飲むうちに、ペットボトルの中身はあっという間に半分ほどになった。

レースのカーテン越しに見える空は薄明るくなってきている。体は休息を求めているはずなのに、目はいやに冴えていた。


背後からベッドがきしむ音がして、戸田が動く気配を感じ取る。戸田は短くなったタバコを空き缶に落とすと、俺の横に腰を下ろした。


「寝ないのか?」


「誰かさんに寝床を占領されたおかげで寝るに寝れない」


「へえ。それは気の毒に」


戸田は全く気の毒だと思っていない顔で呟いて、狭いテーブルの上にひじをつく。


「お前さ、何かあった?」


「何かってなんだよ」


「さっきから様子がおかしいから。また面倒事にでも巻き込まれたか?」


どうした、と再度戸田に聞かれて目をそらす。

こいつは人のことなんてお構いなしに行動するくせに、時折やけに鋭くなる。

先程までお前と谷口さんのことを考えていたとは言いづらい。


適当に別の話題でも探そうかと、テーブルの下に目を向ける。そこにはちょうどよく、サークル旅行に向けて購入した旅雑誌数冊が転がっていた。


「……いや、次のサークル旅行のことを考えてたんだ」


歴史文化研究会では、例年夏休みと春休みに“研究合宿”と称したサークル旅行を行っている。

史跡巡りや発表会といった活動もやるにはやるが、もっぱら飲み会やBBQなど娯楽の意味合いが強い。

行き先は部員皆の話し合いで決めることになっている。

しかし、皆がばらばらに行きたい場所を挙げては話し合いが一向にまとまらない。


そこで、サークル長の僕と会計係があらかじめ候補地を調べて、予算内に収まりそうな場所を絞ったうえで、皆の意見を聞くようにしている。

既に候補地はあらかた絞り終わり、後は多数決を取るばかりになっていた。


毎度説得されて嫌々合宿についてくる戸田のことだ、この話題はすぐに興味を無くすかと思ったが、意外にも話にのってきた。


「この中から選ぶのか」と、旅行雑誌の一つを手に取ってめくり始める。


賑わしく華やかな誌面と、ぶっすりとした戸田という組み合わせが珍妙で少し面白い。


「西の方はどうだ。去年は近場で終わらせたろ。で、その前は東北の温泉地だった」


「うん。その通り、候補地は関東と西側に寄せる予定。茨城か栃木か、京都か沖縄辺りかな」


「なんだ。もう候補地は大体決まってるんじゃないか。他に何を悩むことがあるんだ」


「色々あるんだよ。食事の場所とか、宿泊場所とか、移動方法とか」


「たとえば?」


「去年でいうと、夕食はBBQにして、泊まる場所はコテージ、移動方法はレンタカーだった」


「ああ」


「今年はそういうわけにはいかないだろ」


「なんで」


「なんでって、そりゃ」


戸田に尋ねられて押し黙る。

去年以上に気を使っているのは、今年から我がサークルに入会した、紅一点の谷口さんのためだった。


夕食はさておき、1つのコテージで雑魚寝、ぎゅうぎゅう詰めのレンタカーでの移動は、とてもじゃないが女性に勧められたものではない。

せっかく入部してくれた貴重な存在には、なるべく不快な思いをさせたくはなかった。

谷口さんに好意があるんだったら、戸田だって少しは感付いて良いだろうに。


思わず非難がましい目を向けると、ようやく戸田は合点がいったらしい。


「……ああ、あいつか。谷口」


戸田は本当にたった今ひらめいたみたいに声をあげた。

大げさな反応は、彼女を意識していることを僕にばれないようにしているからか。

「そうだよ」と認めれば、戸田は皮肉るように口角を歪める。


「あの女は好きで研究会に来たんだ、それも一人きりで。下手に気を使わずに放っとけばいいのに」


「ひどいこと言うなよ。大体僕は谷口さんだけひいきしているわけじゃない。他の部員からも色々と要望は出てるし、なるべく皆の希望を通したいってだけ」


「ふーん。うちのサークル長はずいぶん優しいらしい」


「含みのある言い方だな」


きっと睨みつけると、戸田はわざとらしく肩をすくめた。

旅行雑誌をぱらぱらとめくりながら、ぽつりと言う。


「谷口、お前に気があるんじゃないか。取る授業もほぼ同じ、ゼミも同じで、ついにはサークルまで揃えてきたもんだ」


「なに言ってるんだ、そんな訳ない。専攻が同じだからたまたまだ」


相変わらず突拍子もないことを言うやつだ。

思わぬ方向に話が行きかけて、声がうわずってしまった。


「へぇ。不思議な偶然もあるんだな」


「やけに噛みついてくるなぁ、もう。戸田こそどうなんだよ」


「どうって」


「いや、だから、谷口さんのことをどう思ってるのかって。よくお前ら二人で話してるだろ」


「いちいちしゃくにさわる奴。愉快犯。ウサギの顔をしたトンビ」


「あんまりだ」


留まらない戸田の暴言にげんなりする。

こいつはやっぱり谷口さんのことが好きなんかじゃないのかもしれない。

戸田はふんと鼻を鳴らして、ベッドサイドに置かれたタバコに手を伸ばした。血管の浮き出た手が2本目のタバコを掴み、先端に火が点けられる。


糸のように細い煙が甘く漂い、鼻をかすめてとけていった。

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