むらさきくゆる
谷口さんは僕達が所属する文化研究会のマドンナ的存在である。学年は僕と戸田の1つ下。
テニスサークルや委員会を掛け持って活躍するほか、文化祭ではミスコン準グランプリに輝き、昨年度には学業成績優秀者にも選ばれた。
まさに文武両道・才色兼備の、非の付けどころのない女性である。
そんな華やかな女性が、決して華やかとは言いがたい我が文化研究会になぜ入会してくれたのかは誰にも分からない。「日本文化史の研究に興味があって」とのことだが、それだけで入会を決めたとは考えづらい。
サークル棟の地下にある部室でむさくるしく活動を続けていた男達は、今年度の谷口さんの入会の際、それはもう色めきだった。
これまでろくに活動に参加せず、来ても駄弁ったりゲームをしたりしていただけの部員が、人が変わったように真面目に活動し始めたのだ。月一でやる発表会の参加率も大いに上がり、谷口さんに良い所を見せようと皆が躍起になっている。
僕が参加を呼びかけた時とはまるで違う反応だ。
サークル長の立場としては、嬉しいような空しいような不思議な気持ちになる。
ああも部室がにぎやかになると、僕と戸田の二人きりでさもしく活動をしていた頃が少しだけ懐かしい。
かくいう僕も、谷口さんに惹かれていないとは言えないのだが。あの美人に微笑まれたら誰だってどきっとくるだろう。
彼女と一緒に部室掃除をした時のやり取りを思い出していると、背中にどすんと衝撃が走った。
ベッドでくつろいでいた戸田が、寝そべったまま足を振り下ろしてきたのだ。
横柄に「何だらしのない顔をしてんだよ」と言われて、つい言い返してやりたくなる。
「うるさいな。大体、さっきのタバコの話だけど。谷口さんの話だと、紫煙っていうのは科学的な根拠があるって言ってたぞ。光の当たり方で色味がかって見えるとかどうとか」
「ああ、そういう意見もあるな」
戸田はあっさりと受け流したが、続けて「そして奴と俺とはとことん意見が合わない」と付け足した。
そう。なぜか戸田は、我が文化研究会の華である谷口さんのことを目の敵にしている。
戸田の愛想が悪いのは元々だが、谷口さんの前だとそれがいっそうひどくなる。それに戸田は、彼女の発表となるとやたらと専門的な質問をぶつけては、議論を闘わせようとするのだった。
戸田が尋ねると谷口さんがにこやかに返し、反対に谷口さんが質問をすると戸田が不機嫌そうに返事をする。
成績優秀者同士がしのぎを削るさまを、僕含む他の部員達はただ眺めることしかできず、立ちつくすだけだ。
かたや学生達の羨望を集めるご令嬢、かたやふらふらと人の部屋に上がり込んでくるような無遠慮で無愛想な男。
対照的な二人の争いは、いまや文化研究会の密かな名物の一つとなっていた。本当はなるべく穏やかに活動をしてもらいたいのだが、そういうわけにはいかないらしい。
戸田はなぜこうも谷口さんと張り合いたがるのだろう。純粋に研究を深めたいというには行き過ぎている気がする。才能豊かな谷口さんに嫉妬して……という線も考えたが、戸田に限ってそれはないだろう。
本来の戸田は現金で合理的で、関心のないことはすこぶる避ける質だ。皆に慕われているマドンナに喧嘩を売るなんてこと、避けるのが妥当だろう。
現に、谷口さんと肩を並べて競い合う戸田を見て、他の部員達は嫉妬をあらわにしていた。
「ちょっと頭がいいからってずるい」と嘆く部員達の姿を思い浮かべて――はっとする。
まさか、戸田の横柄な態度は、谷口さんへの愛情表現の一種ということはないだろうか。
付き合い下手な戸田のことだ、わざとへらず口を叩くことで彼女の気を引こうとしていたのかもしれない。記憶の欠片が結びついていき、一つの確信に繋がった。
戸田は谷口さんに好意を抱いている。
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