マジックアワー

ビリヤニ

むらさきくゆる

戸田はタバコの先に火を点けた。


もちろん、戸田が自分の金で買ったのではない。


僕の金で僕が買ったタバコを僕の懐からいつの間にかくすねて、勝手に吸っている。


それでいてこいつは、人の買ったタバコに「風味が安っぽい」だの「パンチが足りない」だのと一々注文をつけてくるものだから腹が立つ。


こいつの美点といえば、人の作った食事にだけはケチをつけないことぐらいだろう。


「煙草の煙って、なんで“紫煙“って言うのか知ってるか」


煙を細く深く吐き出して、戸田が言う。


家主そっちのけでソファベッドに座り、ずいぶんくつろいでいる様子だ。


戸田が真面目そうな顔をするのは、決まって下らない話をする時だ。どうせまたしょうもないうんちくでも話すに決まっている。

そんなことをしている余裕があるのならば、さっさと僕にタバコ代を返してほしい。


戸田の問いに「さあ」とだけ返せば、彼は呆れたように眉をひそめた。


「つまらない反応だな」


「こっちは眠いんだって。今何時だと思ってるんだ」


「ったく。それでも史学科生なのかよ」


戸田は空のビール缶を灰皿代わりにして、くわえていたタバコを置いた。

煙はゆらゆらと宙をただよい部屋に満ちていく。

バニラフレーバーとタバコ葉の香りが混じり合い、深く柔らかい甘さが立ち込めた。


「いいか。紫煙っていうのは、”紫の煙"と書く。紫というのは、昔から貴族や偉い人が使う高貴な色とされてきた。あの聖徳太子だって、一番位の高いやつに紫色のかんむりを被せたっていうだろう」


「……それで?」


「煙に”紫煙”なんて名前を付けるくらいだ。昔、タバコを吸えるのは偉い奴だけだったはずだ」


「ふうん」


「そう考えると、今こうして自由にたしなめることのありがたみが身にしみてな」


戸田が話したのは、こじつけなのかそうでないのか微妙に分かりづらい仮説だ。


しかし、ちょっと考えてみれば、戸田が考えなしに思い付きを言っていることはすぐに分かった。


「……こないだの発表会で谷口さんは『タバコは江戸時代の庶民の娯楽品』とかなんとかって言ってなかったか?男女問わず、武士も庶民もたしなんでいたとかって」


戸田はいじけたように鼻を鳴らして、再びタバコに手を伸ばした。

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