紙とペン

「待たせた莉愛! ちょっと時間掛かっちゃった──ってなんだこの地獄みたいな空気は」


 諸々の準備が終わり教会の扉を開くと、そこには地獄のような光景が広がっていた。

 いつも通り表情がない衣緒お姉ちゃん。腹を抱えて笑う奏美お姉ちゃん。顔を俯かせている莉愛。呆れて頭を抱えている莉愛のお母さん。気まずそうにしているSP達。そしてその真ん中には、顔を真っ赤にさせる莉愛のお父さんを、鈴乃お姉ちゃんがこれでもかと挑発している。


 カオスだ。一目見ただけでもそう思った。

 教会内に居た全員がこちらを向く。カオスの矛先がこちらを向いた気がして、思わず体が震えた。


「あ、瑞稀くん」「瑞稀くん!」「瑞稀!」


 三姉妹は声を重ねると、途端に顔色を明るくさせた。どうやら相当待たせてしまったようだ。教会の中がカオスになったのも、俺が待たせてしまったせいでもあるか。


「瑞稀……」


 心の中で反省をしていると、今度は莉愛がポツリと俺の名前を呼んだ。昼間も会ったはずなのに、莉愛とは久しぶりに再開したような気分だ。

 莉愛は目をウルウルとさせながら、こちらに一歩二歩と歩いて来ようとする。

 だから俺の方から中央の通路をずかずかと歩いて、莉愛の元へと歩み寄る。手を伸ばせば触れ合えるくらいの距離で、俺と莉愛は顔を合わせる。


「ごめん。ずいぶん待たせたな、莉愛」


「ほんとだよ。すごく不安だったんだから」


「ごめんな。でもこれで準備は整ったから、もう莉愛を一人にはさせないよ」


 俺が微笑んでみせると、莉愛はウルウルとさせていた瞳を腕で拭った。


「ほんとう?」


 まだ不安そうな顔をする莉愛の頭に手を乗せる。


「ああ、ほんとうだ」


 だからしっかりと目を見て、頭を撫でてやる。

 すると莉愛は安心したのか、ふにゃあと頬を緩めた。まったく。コイツはいつでも可愛いな。

 さて、莉愛に癒して貰ったところだし。この状況をどうにかしようか。


「んで、どうして鈴乃お姉ちゃんはそんなに莉愛のお父さんを挑発してるんだ?」


 莉愛の頭から手を離して、いまだ莉愛のお父さんへの挑発をやめない鈴乃お姉ちゃんの方を見る。

 クズみたいな父親とは言えど、俺の好きな人のお父さんなので、出来れば怒らせたくないんだが……。


「コイツが変なこと言うから! わたしのことを処女だのアバズレだのって!」


 もう莉愛のお父さんのことを『コイツ』って呼んじゃってるよ。

 でも高校生の女の子に向かって処女だのアバズレだのと言ったのか。それはまあ、ムキになるのも仕方ないのかな。どういった経緯でそんなことを言われたのかは知らんけど。


 でも場の空気がよくないことに違いはない。俺は短くため息を吐いてから、莉愛のお父さんを無視するようにして横切り、祭壇に上がった。

 そんな俺のことを見て、お姉ちゃんたちはようやく始まるのかと期待の眼差しを向けてくる。何が起こるのか分からない白塚家の皆さんは、何が始まるのだろうかと俺の行動に注目しているようだ。


 部活もバイトもアクティブな趣味もないので、こうやって大勢の人達から注目されることなど人生でこれが初めてだ。しかもその初めてが、好きな人の両親を前にしてだなんて。ますます緊張してしまう。


 でも、ここまで来たらやるしかない。俺は大きく深呼吸をしてから、祭壇の下に立つ莉愛と目を合わせて覚悟を決める。


「初めは莉愛から告白されて、性欲がないからって理由で返事を保留にしてたよな。しかし性欲が完全に目を覚ました今、俺と莉愛を阻むものは何もなくなった。最初の告白から長い時間が経っちゃったけど、俺は莉愛のことが好きで好きで仕方がない」


 言葉にすればするほど安っぽくなるが、今はどうしても言葉にしたかった。

 それを聞いた莉愛は、どんどんと頬を赤く染める。


「莉愛はまだ、俺に恋してくれてるか?」


 俺が尋ねると、莉愛は無言のままコクコクと頷いてくれた。莉愛が俺のことを好いてくれているなら、この作戦はぐっと成功に近づく。

 それならと、俺は手に持っていた袋の中から一枚の紙を取り出す。それと胸ポケットからボールペンを取り出して、祭壇の下に立つ莉愛と目線を合わせるように、床に膝を着く。その体勢のまま、紙とボールペンをセットにして莉愛へと差し出した。


「莉愛。いや、白塚莉愛さん。まだ付き合ってもない俺たちだけど、そんなもんすっ飛ばしちゃおうぜ。特別待合室から連れ出した時みたいに、これから何があっても俺は莉愛のことを助け出してみせる。だから莉愛。俺と結婚しよう」


 俺が差し出した紙は婚姻届だった。この婚姻届には、既に俺の名前と印鑑が押してある。

 俺のセリフを聞いた白塚家の三人は、これでもかと目を大きくさせた。


「ほ、ほんとに言ってるの……?」


 莉愛は両手を口元に当てながら、また大きな瞳をウルウルさせ始めた。

 ほんと、莉愛は泣き虫だな。そう思うと、頬が思わず緩んでしまう。


「ああ、ほんとだ」


「冗談とかじゃなくて……?」


「誰がこんな時に冗談なんて言うかよ。ちょっとは俺を信用して欲しい」


「結婚なんて、お金はどうするの……?」


「そこはウチの親が協力してくれるらしいから気にすんな。まあ、ウチで一緒に住む許可も貰ってるけど、今の莉愛の暮らしからしたら何段も質は落ちるけどな。でも楽しくなると思うぞ」


「こ、子供とかは……?」


「こ、子供は……俺が働くようになるまで待ってくれ」


 さすがに自分の子供のことまで、親に迷惑をかけるワケにはいかないもんな。

 自分の子供は、きちんと自分たちで育てたい。


 莉愛は頬を薄らと桃色に染めると、キラキラとした上目遣いのまま、コクリと頷いた。


「うん。こんなあたしでよければ、結婚……してください」


 声色からでも嬉しさが溢れだしているのが分かった。莉愛はそう言葉にすると、くすぐったそうに笑ってくれた。

 その笑顔を見て、俺だけではなくお姉ちゃんたちもガッツポーズを作った。


 俺はあまりの嬉しさから、腕を大きく広げてみせる。すると莉愛は居ても立ってもいられずに、俺の胸へと飛び込んで来た。俺は胸に飛び込んで来た莉愛のことを、これでもかと抱きしめる。


 ああ、幸せだ。幸せすぎる。こんな幸せがあってもいいのか。俺は今、幸せの絶頂に居る。

 しかし、そんな幸せも長くは続かず……。


「バカを言うんじゃない! こんな貧乏な男の家との結婚など私が許すはずがないだろう!」


 突如として怒声を上げたのは、もちろん莉愛のお父さんだった。

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