教会は顔パスで

 移動中の車内に会話はなかった。

 普段はお喋りな奏美も、後部座席に座る莉愛の両親の無言の圧力を感じて黙っていた。

 そんな最悪の雰囲気のまま、衣緒の車は目的地に到着した。


 四人で車を降りて、目の前にそびえる建物を見上げる。


「教会か」


 莉愛のお父さんがポツリと呟く。

 彼の言う通り、四人の目の前には綺麗な教会があった。屋根にある大きな十字架が近寄りがたさを醸し出しているが、窓からは明かりが漏れているので恐怖心は煽られない。


「この中に莉愛が居るの?」


 莉愛のお母さんが首を傾げながら、衣緒の顔を見た。


「うん。この中に居る、はず」


「『はず』なのね」


「そう。はず。だいぶ待たせちゃったけど、莉愛ちゃんなら中で待っててくれてると思う」


「そう。莉愛は信頼されているのね」


「莉愛ちゃんはいい子だから」


 衣緒が自信を持って頷くと、莉愛のお母さんは嬉しそうに微笑んだ。

 やはり莉愛のお母さんは、お父さんに比べて雰囲気が柔らかくて優しそうだ。きっと莉愛はお母さんに似たのだと、衣緒と奏美は確信を持ってそう思った。


「ここで足踏みしてるのもなんだし、さっさと中に入ろうよ。みんな待ってるかもしれないし」


「瑞稀くんから連絡あった?」


「いや、アタシの方にはないな。衣緒お姉ちゃんのスマホには?」


「私にも連絡来てない」


「ってことは、中には莉愛ちゃんしか居ないのか。だったらなおさら早く入ってあげよう。一人で教会で待たされるのはキツいと思う」


「そうだね。入ろう」


 衣緒と奏美は顔を合わせて頷くと、教会に向かって歩みを進める。その二人を莉愛の両親も追う。

 教会の大きな扉の前に、四人で立つ。


「うわあ……めっちゃ懐かしいな。ここ」


 奏美が笑顔のまま、そんなことを言った。


「前にここで撮影したんだっけ」


「そうそう。瑞稀くんが見学に来た日だね」


「その撮影のおかげで、こうやって教会を貸し切れたんだよね」


「教会の人が運よくアタシのこと覚えててくれたからね。顔パスってやつよ」


 誇らしげに胸を張る奏美を見て、衣緒はどうしてか嬉しそうな表情を作った。

 この教会は奏美が撮影で使ったことがある。その時の撮影で瑞稀からキスをされたことを、奏美は一瞬たりとも忘れたことはない。


 奏美はその日のことを思い出しながら、目の前の扉を見上げる。それに遅れて、衣緒も扉を見上げた。

 それからひと呼吸だけ置いて、衣緒は何の躊躇いもなく扉を押すようにして開いた。


 ギギギと音を立てながら、大きな扉が開く。


 そこには無数の明かりで照らされた礼拝堂が広がっていた。中央には祭壇に繋がる通路があり、その横には何列もの長椅子が置かれている。

 その長椅子の最前列に、赤茶髪のハーフアップが目立つ彼女が座っていた。その彼女が、扉が開く物音に気づいてこちらを振り向く。


「莉愛」


 その名前を呼んだのは、莉愛のお母さんだった。

 こちらを振り向いている莉愛は、途端に顔色をパーッと明るくさせた。

 そんな彼女の元に衣緒と奏美が急いで近寄ると、莉愛は椅子から立ち上がった。


「ごめん莉愛ちゃん。少し遅れた」


 奏美が手を合わせてウィンクをすると、莉愛は「いえいえ!」と顔の前で手をブンブンと振った。


「全然大丈夫ですよ。待つのは得意ですし」


「でもスマホも何も持ってないから暇だったでしょ」


「まあ暇は暇でしたけど、教会に入ったのは初めてだったので、教会の中はこんな風になってるんだーって見てるの楽しかったですよ」


 結構な時間待たせてしまったのに、莉愛は「えへへ」と笑顔を作っている。

 なんて優しい子なのだろうか。衣緒と奏美は胸がギュッと締め付けられる思いになる。


「さすがは莉愛ちゃん。瑞稀くんが選んだだけある」と衣緒。


「まじで天使だね。莉愛ちゃん」と奏美。


 好きな人の姉から突然褒められて、莉愛は頭上に無数の疑問符を並べた。自分の性格の良さに気づいていないところも、また天使だ。


「莉愛。こんなところで何をしているんだ。今からでも間に合うから飛行機に乗りなさい」


 姉二人と莉愛とで久しぶりの再開を噛みしめていると、莉愛のお父さんがずかずかと近づいて来た。

 しかしまだ莉愛を渡すワケにはいかない。瑞稀が来るまで、なんとしてでも莉愛を守り抜かなければならない。その思いで、衣緒と奏美が莉愛を庇うようにして立った。


「どきなさい。お前たちのせいで大量のお金が水の泡になろうとしているんだ。これ以上私の邪魔をするなら、こちらも手段を選ばないぞ」


 莉愛のお父さんはその場で足を止めるが、眉尻をピクピクとさせて怒りをあらわにしている。

 だからと言って、衣緒と奏美はその場から逃げない。むしろ奏美は睨みを利かせている。


「どうして娘よりもお金なんだよ。ちょっとは娘の考えを聞いてあげなよ」


「うるさい。この結婚には莉愛も同意していたんだ。なのに君たちが余計なことをするから、こんなことになっているんじゃないか」


「瑞稀くんが助けに来た時に、瑞稀くんの手を取った。それが答えだと思わないの?」


 奏美が睨みを利かせながら言うと、莉愛のお父さんは舌打ちをした。返す言葉が見つからないようだ。

 しかし莉愛のお父さんの矛先は、自分の娘へと向くことになる。


「莉愛。お前はどうしたいんだ。自分の口で言ってみなさい」


 そんな高圧的な言い方をされたら、怖気づいてしまうだろ。こうやって娘の考え方を支配しているのかと、衣緒と奏美はすぐに察することが出来た。


「その言い方はズルい──」


「お前たち姉妹は黙ってなさい。私は莉愛に聞いているんだ」


 衣緒の言葉を遮るようにして、莉愛のお父さんは怒りのこもった声を出した。その声に莉愛は肩をピクリとさせると、黙り込んでしまう。


「莉愛。お前はお父さんの言うことが聞けないのか。私はそんな悪い子に育てた覚えはないぞ。それにオリバーくんに直接結婚の断りを入れたみたいだな。なんて勝手なことをしてくれたんだ。今すぐオリバーくんに謝罪をして飛行機に乗る準備をしなさい」


 莉愛が黙っていることをいいことに、莉愛のお父さんは溜まっていた鬱憤をどんどんとぶつけて行く。

 言いたいことを吐き出して興奮しているのか、莉愛のお父さんは肩で息をしている。

 オリバーを振ってしまった話は、莉愛のお父さんの耳に届いているようだ。もう振ってしまったのだから、それが答えではないのか。そう奏美が言い返そうとすると──


「瑞稀が来たら話す」


 とても小さな声だったが、莉愛がはっきりと自分の気持ちを言葉にした。

 これに衣緒と奏美は勝ち誇ったような笑みを浮かべて、「だってよ」と声を揃えた。

 莉愛のお父さんは悔しそうに歯ぎしりを立てて、何か言い返そうと口を開いた──その時のことだ。

 教会の扉がギギギと音を立てながら開くと、そこには無数のSPを引き連れた茶髪でセミロングの女の子の姿が現れた。


「ほーら! みんなここに居るって言ったじゃん! このばーか!」

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