得意技はフグ
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タクシーに揺られた莉愛は、メモ用紙に書かれた住所の場所に到着した。
衣緒から貰った一万円で料金を支払うと、四千円もお釣りが返って来てしまった。この四千円はあとで衣緒さんに返そう。莉愛はそう心に決めながら、タクシーを降りた。
そして目の前にあった建物を見上げて、思わず眉をしかめる。
「ここ……教会……?」
目の前に建っている小綺麗な教会を見て無意識の内に独り言を吐くと、乗ってきたタクシーがどこかへと走り去ってしまった。
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奏美がSPの足止めをしてくれているおかげで、衣緒は特別待合室の扉の前に辿り着くことが出来た。
幸いにも扉の前にSPの姿はない。この扉に鍵が掛かっていなければ、もうこっちのものだ。
衣緒は緊張から深い深呼吸をして、ドアノブに手を掛ける。心の中で「よし」と呟いてから、ドアノブを捻って思い切り扉を開いた。
そこにはイライラを露わにする莉愛のお父さんと、リラックスしている様子の莉愛のお母さんがソファーに座っていた。二人の周囲には、SPが四人ほど居るようだ。
その計六人の視線は、突然部屋に入って来た衣緒へと集まる。
けれどもそれくらいで怯えていては、妹や弟に顔向け出来ない。
「衣緒、入ります」
真っ白になりそうな頭で考えたことを口にしてから、衣緒は堂々とした歩きで莉愛のお父さんへと近づこうとする。しかしこれにはもちろん、SPの人達が黙っていない。
歩き出す衣緒に合わせて、SPの四人が莉愛のお父さんを庇うようにして立った。
あと少しのところで自分と莉愛のお父さんの間に壁が出来てしまい、ご立腹の衣緒はフグのように頬を膨らませて怒りを表現する。
「私も彼女と話がしたいから通してあげなさい」
すると莉愛のお父さんが、抑揚のない声でSPに指示を出した。その指示だけで、衣緒の壁となっていたSPの人達は、一礼をしてからそそくさと部屋の端に散った。
SPの壁がなくなったことで、衣緒と莉愛のお父さんの目が合う。近くで見ると莉愛のお父さんは想像していたよりも普通そうな人だったので、衣緒は戸惑いで何を言おうとしていたか忘れてしまう。
「君は本間瑞稀の義理のお姉さんだね」
衣緒が言葉を詰まらせているのを察してか、莉愛のお父さんが先手を打った。
「義理とか関係ない。れっきとした瑞稀くんの姉だから」
「これは失敬。家族の形は千差万別だからね。今のは私に非があるよ」
自分に非があることを認めているし、丁寧な口調なのに、衣緒はものすごくイラッとした。
普通そうな見た目なのに、莉愛のお父さんは話に聞いていたような人間だったようだ。
衣緒はムッとした表情のまま、話題を本題に切り替える。
「莉愛ちゃんを返して欲しい?」
その衣緒の一言に、莉愛のお父さんの視線が鋭くなる。それだけで部屋の中の空気が重たくなった気がした。
「莉愛は今どこに居るんだい?」
「それは教えられない。だから着いて来て」
「どうして教えられないんだ。私には時間がないんだよ。早く娘を返してくれ」
「だから着いて来てって」
「だからね……君たち姉弟のせいでいくらの金が水の泡になろうとしているか分かるかい? 君は大学生くらいだろうから、お金の大切さは分かるだろう」
衣緒と莉愛のお父さんは、互いにイライラの雰囲気を醸し出す。
またお金なのか。娘の心配よりもお金の心配をするなんて……衣緒は心底落呆れて、「はあ……」とため息を吐いた。
きっとこの男には何を言っても分からないし、話が前に進まない気がする。だから衣緒は、彼の隣りに座る莉愛のお母さんに視線を向けた。
「奥さん。莉愛ちゃんのこと心配じゃない?」
衣緒が尋ねると、莉愛のお母さんは「うーん」と首を傾げた。
「わたしは莉愛が自分で選んだ道なら、なんでも応援できるから心配ではないかな。むしろようやく自由になれて、としても安心しているところよ」
うふふと上品に笑った彼女を見て、衣緒は衝撃を受けて稲妻を喰らったような気分になった。莉愛のお母さんは、お父さんと違ってとても娘想いな人だ。
けれども莉愛のお父さんは、「お前な……」とイライラで貧乏ゆすりまで始めてしまった。しかも縦ではなく、横揺れの貧乏ゆすりだ。
衣緒はその貧乏ゆすりを見て、「お金持ちなのに……」と独りごちる。
「でも莉愛がした選択をこの目で見届けたいかも。あなたに着いて行けば莉愛と会えるの?」
「うん。会える」
「莉愛は自分で自分の道を決められそう?」
「一人では無理かもしれない。けど瑞稀くんが来れば、きっと自分の道を自分で決められる。だから一緒に来て」
自分の気持ちをより伝えるために、衣緒は莉愛のお母さんの手を握った。
この突然の行動にも、彼女は余裕そうに「うふふ」と笑う。
「ええ。それじゃあ行きましょうか。もちろんあなたも行きますよね? 娘が待っているのだから」
顔を覗き込むようにして莉愛のお母さんが言うと、莉愛のお父さんは部屋の中全員に聞こえるくらいの音で、「チッ」と舌打ちをした。これにはまたも、衣緒の頬がフグのように膨らむ。
「分かった。そこまで言うなら行こう。どこへ向かえばいいんだ。私は忙しいんだ。あんまり時間を取らせるな」
莉愛のお父さんは面倒くさそうな顔をしながらも、ソファーから立ち上がってくれた。
その一つ一つの言い方は気に入らないものの、衣緒の役割は莉愛のお父さんを現地に連れて行くこと。だからここは何も文句を言わないことにした。
「もう。素直じゃないんだから」
続いて莉愛のお母さんも綺麗な仕草で立ち上がった、ちょうどその時。部屋の扉がバタンと音を立てて開いた。
そこから入って来たのは、SPに首根っこを掴まれて、部屋まで連れて来られた奏美だった。もう抵抗する気も起きないのか、奏美は苦笑いを浮かべている。
「ごめん衣緒お姉ちゃん。やっぱ男には勝てない」
SPたちに囲まれる奏美は、「てへっ」と舌を出してウィンクをした。
「奏美。怪我はない?」
「ないね。優しく取り押さえられちゃいました」
「そう。よかった。ちょうど今から現地に向かうところ」
「お、説得出来たんだ。さすが衣緒お姉ちゃん」
衣緒と会話を始めると、奏美はSPから解放されて自由になった。奏美は自分の服を整え直しながら、莉愛のお父さんとお母さんをチラリと見た。奏美も二人を見たのは初めてだったのだ。
「さあ。早く案内してくれ。俺はどこに向かえばいいんだ」
莉愛のお父さんに急かすような言い方をされて、衣緒は「むう」と唸った。衣緒は莉愛のお父さんのことを、生理的に受け付けないらしい。
「私の車で行く。私の車は五人乗りだから、乗せられるのは莉愛ちゃんのお父さんとお母さんだけ。あと一人乗れるけど、SPの人達は乗せない」
「なるほどな。ということだお前たち。私が帰って来るまでここで待機してなさい」
莉愛のお父さんがそう指示を出すと、SPの人達は短く「はい」と言って背筋を伸ばした。
ちょっとしたいざこざはあったものの、無事に莉愛の両親を説得することが出来た。
衣緒はそのことに安心しつつ、奏美と並んで部屋をあとにする。その二人の後ろを、莉愛のお父さんとお母さんは何も言わずに着いて歩くこととなった。
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