一万円は大金

 ♥


「あ、瑞稀くんからメッセージ来た」


 衣緒と奏美と莉愛がシティホテルの部屋でゆっくりとしていた時のこと。ずっとベッドで横になっていた衣緒は、スマホの着信音と共に体を起こした。


 ずっと夢とうつつを行き来していた衣緒が突然声を上げたので、奏美と莉愛が何事かと集まって来る。

 先程まで莉愛は奏美に化粧を教えて貰っていたところだったようで、薄らとだが頬や唇に色が出ている。


「なんか問題が起きた感じ?」


「瑞稀からなんてメッセージ来たんですか?」


 奏美と莉愛が興味津々な目を向けると、メッセージを読んだ衣緒は途端に顔をしかめた。あまり見せない衣緒のしかめっ面に、奏美と莉愛は嫌でも胸騒ぎを感じる。


 衣緒は数秒で何かを考えたあと、スマホをスリープモードにして、奏美と莉愛のことを見た。


「鈴乃がSPたちに捕まったみたい。瑞稀くんはホテルから上手く逃げられたらしくて、早いけど今から次の作戦に移っちゃうって。私たちも瑞稀に合わせるよ」


 衣緒お姉ちゃんは淡々と話し終えると、今までのダラダラとした姿とは打って変わって、機敏な動きで立ち上がった。


「アタシらも次の作戦に移るのか」


「そういうこと。奏美は私と一緒に来て」


「はいよ」


 衣緒は持って来たハンドバッグにスマホやら何やらを詰め込むと、奏美も忙しなく準備を始めた。

 いきなり動き始めた本間姉妹を見ながら、莉愛は何をすればいいのか分からずに、ベッドに座ってポカンとするしかなかった。


 そそくさと準備を終えた本間姉妹は、そのまま部屋から出て行ってしまうのかと思いきや、二人とも莉愛と向かい合わせになるようにベッドに腰掛けた。


「莉愛ちゃん。莉愛ちゃんのお父さんが今どこに居るかって分かる? 全然予想でもいいんだけどさ」


 奏美が顔を覗き込むようにして、莉愛に尋ねた。

 つい一時間前くらいにホテルに着いたばかりなのに、もうどこかに向かうのだろうか。もしかしてあたしのお父さんに関する作戦だろうか。と莉愛は色々な想像を膨らませながらも、お父さんが居そうな場所を考えてみる。しかし莉愛はすぐに、お父さんが居る場所に目星をつけることが出来た。


「多分ですけど、まだ空港に居ると思います」


「ほう、それはどうして?」


「あたしのお父さんは何があっても自分では動かないんです。いつも執事だったりメイドに動かせて、自分は何もしない。それがあたしの父親です」


 困ったように眉尻を下げながら、莉愛は「えへへ」と笑い混じりに話した。

 衣緒と奏美はその話を聞いて、呆れすぎて言葉が見つからなかった。


「でもそれがあたしのお父さんなので。もう慣れっこですよ」


 莉愛は父親を庇おうとするが、衣緒と奏美は苦い表情を作ることしか出来ない。

 衣緒と奏美は互いに呆れ顔を見せ合って、同時に頷く。


「でも、動かないタイプの人でよかった。これで私たちも迅速に次の作戦に移れる」


 衣緒はそう言いながら立ち上がり、バッグから手の平サイズの紙を取り出した。


「なんですか? その紙」


 何かのメモが書いてあるようだけど、と莉愛が首を傾げる。


「莉愛ちゃんの行き先が書いてある」


 衣緒から差し出された紙を、莉愛はキョトンとした顔のまま受け取る。

 その紙には、住所だけが書かれていた。


「これ……どこの住所です?」


「それは秘密。行ってからのお楽しみ」


「え、それじゃああたしはどうやってこの住所まで辿り着けばいいんですか? スマホも何も持ってないですし」


 莉愛がそう尋ねると、衣緒は「そうだった」と手をポンと叩いてから、今度はバッグから可愛らしい財布を取り出した。

 衣緒はその財布から、一万円札を抜き取って莉愛に渡す。


「これでタクシーに乗って。少し現地で待つことになるだろうから気長に待ってて」


「え、一万円じゃないですか。こんな大金貰ってもいいんですか?」


 その莉愛の一言に、衣緒と奏美は驚いたような顔を作った。


「えっと……あたし変なこと言いました?」


 おずおずと尋ねると、奏美が目をパチクリとさせてから莉愛の手をぎゅっと握って握手をした。その温かで細い手は、さっき化粧を教えて貰っていた時にも何度も触れ合った。


「全然変じゃない! お金持ちの子なのに一万円を大金だって言ってくれることに感動した」


 奏美はそのまま、莉愛の手をしっかりと握る。

 かと思えば今度は、衣緒が莉愛の手を握った。衣緒の目は感動で大きくなっている。


「そう。一万円は大金なの。絶対に忘れないで」


 本間姉妹から手を握られて、一万円の大切さを教えられる。

 すでに一万円が大金だと認識していた莉愛は、二人の勢いに圧倒されながらも「はあ……」と頭を下げた。

 二人が莉愛から手を離すと、衣緒は時間を確認する。


「もうそろそろ行こ。チェックアウトする時間も考えて、出来るだけ早く出た方がいい」


「そうだね。準備も出来たし行こうか」


 衣緒と奏美は顔を合わせてそう言うと、今度は莉愛の方を見た。


「ってことで莉愛ちゃんとは、ここでバイバイだね」


「現地で会おうな」


 突然訪れた衣緒と奏美との別れ。

 衣緒と奏美の言う『現地』がどういった場所なのか教えられていないが、きっと二人の言うことだから変な場所ではないはず。莉愛はそう思うことにして、メモ用紙と一万円札をギュッと握りしめた。


「分かりました。じゃあまた現地で会いましょう!」


 それに衣緒と奏美の足でまといにも、出来るだけなりたくなかった。ここで駄々をこねて、「不安だから一緒に行きたい」と言うと、二人を困らせてしまうことになると思ったからだ。


 莉愛のよい返事を聞いて、衣緒と奏美は満足そうに頷いた。


「それじゃあ決まり。次の作戦も気を抜かずに頑張るぞ〜」


 衣緒はなんの前触れもなく立ち上がり、拳を作った手を高々と天井に掲げた。

 あまり気合いの入らない。むしろ気が抜けてしまうような言い方だったが、奏美と莉愛も「おー」と拳を掲げて、あとに続いた。

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