事後……?
シャワーを浴び終えて、ソファーに座りながら適当にスマホをいじる。
ちょうどいい疲労感のなか、俺はペットボトルのお茶を飲んでいた。
そんなゆっくりとした時間を過ごしていると、ペタペタと足音が聞こえてきた。その足音を聞いて顔を上げると、バスローブを着て、髪を濡らしながら頬を桃色に染める鈴乃お姉ちゃんの姿があった。
「シャワーいただきました」
「おう」
俺が返事をすると、鈴乃お姉ちゃんは照れたように微笑んだ。
さっきまでの硬い表情から一転して、鈴乃お姉ちゃんらしさが戻って来た。
やはり鈴乃お姉ちゃんには無邪気に笑っていて欲しい。
鈴乃お姉ちゃんは俺の隣に座ると、天井を仰いだまま「ふう」と息を吐いた。
バスローブ姿の鈴乃お姉ちゃんの隣に座っている俺は私服を着ているが、どちらもシャワーを浴び終えたあとだ。シャワーを浴びる直前、鈴乃お姉ちゃんは「今はバスローブで居たい気分」と言っていた。
「疲れたか?」
「ううん。そうでもない」
「そっか。よかった」
「瑞稀くんは大丈夫? 汗かくくらい動いたから疲れたでしょ」
「いや、俺もそんなに疲れてない。むしろさらっと体を動かしたくらいの爽快感があるな」
「あー、その感じね。わたしも分かる」
お互いに視線は合わせずに、平常運転な会話を交わす。さっきまでのパニックが嘘のように、鈴乃お姉ちゃんは落ち着きを取り戻してくれた。
「水、飲むか?」
さっきまで冷蔵庫に入っていたペットボトルの水を、鈴乃お姉ちゃんに差し出す。
「ありがとー。飲むー」
鈴乃お姉ちゃんは素直にそれを受け取ると、キャップを開いてゴクゴクと飲んだ。
それからは二人の間に会話はなく、俺は適当にスマホをいじり、鈴乃お姉ちゃんは天井を見上げながらぼーっとするだけの時間が流れた。
「なんか、初めてのことだったから緊張した」
鈴乃お姉ちゃんは天井を見上げたまま、こちらを見ようとはせずにポツリとこぼした。
独り言の声量ではないから、恐らくは俺に話し掛けているのだろう。
「俺相手でも緊張したのか」
鈴乃お姉ちゃんは天井を向いているので、視線は合わない。けれども俺は、鈴乃お姉ちゃんの方を見て話す。
「うん。瑞稀くんだから緊張した」
「俺だから? 弟だからってことか?」
「弟だからではないよ。瑞稀くんっていう人が相手だから緊張したの」
「……ごめん。言ってる意味が分からない」
どうして俺が相手だから緊張するのだろう。
別に鈴乃お姉ちゃんとは恋人同士でもなければ友達同士でもない。血の繋がっていない家族なのに、俺相手に緊張してくれたのか。
俺が「分からない」と素直に白状すると、鈴乃お姉ちゃんはカラカラと笑って、ようやくこちらを向いてくれた。
「ははは。分からないよね。うん。これは分からなくていいことだよ」
「そんな言われ方したら余計に知りたくなるじゃんか」
「ばーか。狼みたいな瑞稀くんには教えてあげなーい」
「狼? またなんのことだよ」
「教えなーい。わたしだけの秘密〜」
「べー」と真っ赤な舌を出す鈴乃お姉ちゃんは、どこか楽しそうにも見える。怒っているワケではないようなので、少しだけ安心した。
それにシャワーを浴び終えたばかりの鈴乃お姉ちゃんはどこか色っぽい。ずっと子供みたいだなと思っていたけれど、この小一時間程で鈴乃お姉ちゃんは色々と大人だなと思い知らされたので、余計に色っぽく感じる。
「鈴乃お姉ちゃんって可愛いよな」
無意識の内に、口から漏れていた。
それを聞いた鈴乃お姉ちゃんは驚いたように目を大きくさせたあと、頬を薄らと桃色に染めた。これはまた「からかってる」と怒られるかなと思ったが、鈴乃お姉ちゃんはくすぐったそうに笑った。
「ありがと。瑞稀くん」
素直にお礼を言う鈴乃お姉ちゃんは、どんな女性よりも魅力的に見える。もちろん莉愛を除いてだけど。
でも鈴乃お姉ちゃんは、間違いなく可愛い。
そんな末っ子のような鈴乃お姉ちゃんが可愛くて、頭を撫でようとすると──ガンガンガンガン! と入口のドアが叩かれた。
鈴乃お姉ちゃんは肩をピクリとさせて、無意識に俺の腕を掴んだ。
「莉愛お嬢様! お戻り下さい! 旦那さまがお待ちです!」
入口の方からは、そんな声が聞こえて来た。
俺と鈴乃お姉ちゃんは顔を合わせて、真剣な表情を作る。
「やっぱり莉愛ちゃんのスマホにGPS付いてたんだね」
「そうみたいだな。莉愛には悪いけど、予定通りだ」
「でもまだ十六時過ぎたくらいだから、予想してた時間よりも早く見つかっちゃったね。夜くらいになると思ってたから」
「そうだな。とりあえず衣緒お姉ちゃんに作戦の時間を早めること伝えなきゃ」
「待って。まずはこの状況をどうするかだよね。いつマスターキーで部屋の鍵開けられるか分からないし」
「あー、たしかにそうだな」
こんなピンチな状況でも、俺と鈴乃お姉ちゃんは冷静だった。いや、正確には鈴乃お姉ちゃんは冷静なフリをしている。だって俺の腕を握る手が、少しだけ震えているのだから。
当初の作戦では鈴乃お姉ちゃんが身代わりとなり、少しでも時間稼ぎをして、莉愛の居場所を撹乱させる狙いがあった。GPSを辿った先に居たのが莉愛の変装をした鈴乃お姉ちゃんだったら、アチラ側を混乱させることが出来るかもしれないと思ったのだ。
だからここはどうにかして部屋から抜け出して、外に逃げ出し、少しでも時間稼ぎをしたいところだが──
「瑞稀くんはやらなきゃいけないことあるよね」
鈴乃お姉ちゃんは優しい笑みを浮かべながら、そんなことを尋ねた。
「あ、ああ。大事なものを買いに行かなきゃいけないな」
俺が作戦を思い浮かべながら言うと、鈴乃お姉ちゃんは目を細めて微笑んだ。
「じゃあわたしはここに残る。最後の最後まで時間稼ぎするから、瑞稀くんは買い物に行って来て」
「で、でも鈴乃お姉ちゃんはどうするんだよ。こんなところに居たら、絶対に捕まるぞ」
「いいの。この作戦は瑞稀くんが捕まったら意味ない。わたしは瑞稀くんの足を引っ張ることしか出来ないから、ここでサヨナラでいいよ。それに、素敵な思い出も出来たし」
鈴乃お姉ちゃんは照れたように笑うと、俺の腕を離した。
「ここは二階だから、窓から逃げる時には気をつけてね」
「お、おいおい。まじで俺一人で逃げるのか? 鈴乃お姉ちゃんも一緒に行こうよ」
「ううん。さっきも言ったけど、わたしを連れて逃げたら、絶対に二人とも捕まる。それじゃあ作戦の意味がなくなっちゃう」
「でも……」
「でもじゃない! もう、姉離れ出来ない弟は困っちゃうなー」
鈴乃お姉ちゃんは俺の頭をよしよしと撫でると、またクスリと笑った。
「瑞稀くん。今日はすごく楽しかった。本当に夢みたいだった。さっきみたいなことは、この先では絶対に出来ないから、本当に本当にいい思い出になった。瑞稀くん──いや、瑞稀。贅沢な思い出をありがとう」
初めてお姉ちゃんから呼び捨てで呼ばれて、どうしてかキュンとしてしまった。
俺は「鈴乃お姉ちゃん……」と言うことしか出来ずに、その場で固まってしまう。
そんな俺の背中を、鈴乃お姉ちゃんがバシッと叩いた。
「そら、行った行った。ここはお姉ちゃんに任せて、瑞稀は自分のやらなくちゃいけないことをやりなさい」
鈴乃お姉ちゃんはそう言うと、テーブルに置いていた赤茶髪ウィッグを被った。それだけで、莉愛の外見にぐっと近づく。
「分かったよ、鈴乃お姉ちゃん。また待ち合わせ場所で会おう」
「うん。捕まったら待ち合わせ場所に連れて行かれると思うから、そこで合流だね」
鈴乃お姉ちゃんはソファーに座り直して、「それまではお別れだ」とこちらに手を振る。早く行けということだろう。
俺は覚悟を決めて、財布とスマホをポケットにしまう。
「そうだな。それまではお元気で。鈴乃お姉ちゃん」
「うん。瑞稀も元気でね」
お互いに手を振り合ってから、俺はベッド横にある窓を開いた。運良く排水管が近くにあったので、これを伝って行けば下に降りれるだろう。
もう一度鈴乃お姉ちゃんの方を見ると、こちらに向かって口パクで何かを言った。それが『大好き』だと気付いた時には、俺は排水管を掴んで外に飛び出していた。
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