最終章 性欲の赴くままに
笑うしかない
♥
今日、あたしはニュージーランドへと旅立つ。
成畑空港の特別待合室で、お父さんとお母さん、それにSPの人たちと一緒に、フライトまでの時間を過ごしている。
スマホで時刻を確認すると、十一時半を過ぎたところだった。
飛行機に乗らなくてはいけない時間まで、残り一時間を切っている。
瑞稀、ほんとに来てくれるのかな。
特別待合室に居ることは伝えているけど、この部屋には関係者しか入れない決まりがある。
残り一時間で、本当に瑞稀が来てくれるのか。あたしは不安で仕方がなかった。それに、どうやって助けてくれるのかをまだ聞いていない。不安だ。
「莉愛? 顔色悪いんじゃない? 大丈夫?」
ぼーっとしていると、優しい声を掛けられた。
顔を上げてみると、フカフカのイスに足を揃えて座るお母さんが、あたしのことを心配そうな顔で見ていた。
お母さんは茶髪のロングで、普段から美容に気を使っているのでシワがひとつもない。それに首には高価そうなパールのネックレスをしていて、その真ん中には小さなダイヤモンドが光っている。
「あ、うん。大丈夫」
「いつもの元気な莉愛らしくないわね。考え事でもしていたの?」
「まあ、そんなところかな」
危ない危ない。どうやら不安が顔に出ていたらしい。
もしもあたしがニュージーランドに行くのを嫌がったりしたら、両親は悲しむことだろう。だから出来るだけ、あたしは楽しみにしている雰囲気を出さなくてはいけない。その一心で、いつも親に見せている笑顔を作る。
「そっか。気分が悪くなったらすぐに言うのよ? フライトしたらすぐには止まれないんだから」
「うん。ありがとうお母さん。でも大丈夫だよ。ちょっと考え事してただけ」
「えへへ」と笑ってから、お母さんの隣をチラリと見る。そこには足を組んで座るお父さんの姿があった。
あたしとお母さんが会話をしている間も、お父さんは無関心な様子でスマホを弄っている。
お父さんが家族に無関心なのは、今に始まったことじゃない。だから出来るだけ関心を持って貰えるようにと、お父さんの言うことはなんでも聞いてきたつもりだ。
するとあたしの視線に気が付いたのか、お父さんがこちらを向いた。目が合うと、お父さんは目にシワを寄せて笑みを作った。
「どうしたんだい? 莉愛」
そう声を掛けられて、体がピクリと反応した。
お父さんが怖いワケじゃないけど、あたしはまだ家族として距離を感じてしまう。というよりも、お父さんに距離を取られている気がするのだ。
もしかしたら嫌われているのかもと思ったりしたが、さっきも述べたように、ただあたしに無関心なだけなのだと最近になって気が付いた。
「ううん。なんでもない」
あたしは笑顔のまま、ふるふると首を振った。
お父さんは「そうか」と言うと、途端に笑顔を消してスマホに視線を戻した。
そこからは何も話の種が見つからず、あたしもスマホをいじることにした。
スマホには友達からの背中を押してくれるメッセージが沢山届いているが、瑞稀からのメッセージは届いていなかった。
瑞稀、何してるんだろう。
もしかしたらあたしを助ける手立てが考えられずに、諦めざるを得なくなったのかもしれない。
でもその時は、一本でも連絡が欲しいな。
日本を旅立つ前に、瑞稀にお別れの言葉を言いたかった。まだお別れを言えてないから、一言だけでも。声が聞きたい。
時刻を確認すると、フライトまで四十分を切っていた。そろそろ飛行機に乗らなくてはいけない。
スマホに連絡が入らないことを確認して、あたしは勇気を出して立ち上がる。
突然立ち上がったあたしのことを、お父さんとお母さんが不思議そうな顔をしながら見上げた。
「どうしたんだい?」
お父さんに声を掛けられて、また体がピクリと反応する。
きっと「瑞稀と電話をしたい」と言っても、お父さんは良く思わないだろう。だからここは、少しだけ嘘をつかなくてはいけない。
「クラスメイトだった女友達にばいばいの電話してくる」
「そうか。もう少しで飛行機に乗らなくてはいけないから、早めに戻って来るんだぞ」
「うん。分かった」
笑顔で頷くと、お父さんとお母さんも笑顔で「行ってらっしゃい」と言ってくれた。
あたしはスマホだけを持って、SPに案内される形で部屋から出ようとした──その時のことだ。
SPの人が部屋のドアを開こうとする前に、外から怒鳴り声やドタドタという物音が聞こえてきた。SPの人達はその瞬間に、無線で何か喋り始める。
何かあったのだろうか……と呆然としていると、目の前のドアがすごい音を立てて、勢いよく蹴り開けられた。そこに居た人物を見て、あたしの心臓はバクバクと鼓動を早める。
「莉愛! 俺に着いてこい! 約束通り助けに来た!」
ドアを蹴り開けた人物は、服や髪を乱した瑞稀だった。その顔はいつもよりも勇ましく、唇からは血も出ているようだった。
そんな尋常ではない状態の瑞稀の後ろには、部屋の見張りをしていたはずのSPが床に倒れている。
さっきの物音は、瑞稀とSPが揉み合っていた音だったのだろうか。
何があったのかはよく分からないが、あたしを助けに来てくれたことに違いはない。
まさかこんな助け方をされるとは思わなかったので、あたしは後ろを振り返る。
そこにはさっきまでの笑顔からは一転して、眉間に皺を寄せるお父さんと、困惑しているお母さんの姿があった。
「莉愛。戻って来なさい。そんな常識もない男に着いていくな」
今度はお父さんから呼び止められる。
お父さんは立ち上がって、こちらへと一歩二歩と近づいてくる。
きっとここでお父さんの言うことを聞けば、あたしはニュージーランドに連れて行かれてしまう。
もしも瑞稀に着いて行けば……タダでは済まなそうだけど、もっと瑞稀と一緒にいられる。
あたしは後ろを振り返って、瑞稀と視線を合わせる。
「信じてもいいんだよね?」
確かめるように、瑞稀と視線を合わせる。
瑞稀は力強い眼差しのまま、「ああ」と頷いた。
「俺を信じてくれ。一緒に逃げよう」
瑞稀はこちらに手を差し出す。
あたしはその差し出された手を、一片の迷いもなく掴む。
「あたし、瑞稀を信じる」
「ありがとう。こんな乱暴な作戦しか思いつかなかったけど、一緒に逃げよう」
その瑞稀のセリフにワクワクとした。
あたしは心からの笑顔を作って、「うん!」と頷く。
「莉愛!」
背後から父親の怒鳴り声が聞こえて来た。けれどもここで後ろを振り返ると、あたしは恐れをなして瑞稀の手を放してしまうかもしれない。
だからあたしは瑞稀の目を見たまま離さない。
瑞稀はニヤリと楽しそうに微笑むと、あたしの手を引っ張るようにして駆け出した。
背後からは「莉愛!」とお父さんの怒鳴り声が聞こえて来るが、瑞稀は振り返ることなく走る。
瑞稀の全力疾走に着いて行くのは大変だが、心の底から湧き上がるワクワクに、あたしは笑うしかなかった。
♥
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます