今が幸せ

 それからさらに二日が経過した。

 明日は莉愛が旅立ってしまう土曜日。


 クラスでは莉愛のお別れ会が開かれた。

 莉愛はクラスメイトたち全員とフランクにコミュニケーションを取っていたので、別れが寂しくて泣いてしまう人たちもチラホラと見かけた。


 しかし莉愛は泣いているクラスメイトたちを見ては、「もしかしたらまた戻って来れるかもしれないから!」と笑顔で話していた。

 きっとその言葉は、俺への期待の現れだったのかもしれない。


 だからこそ、俺は莉愛を救わなくてはいけない。

 あの父親の元から、なんとしてでも。


 そう心に決めて、放課後。


 俺と莉愛は自然な流れで、一緒に帰宅することとなった。けれども学校を出る前に、莉愛は最後にもう一度だけ屋上からの景色を見てみたいと言ったので、俺も付き合うこととなった。


「うわあ……綺麗……」


 屋上に出ると、赤い夕暮れの空が広がっていた。

 莉愛はその景色に感動しながら、屋上を囲む柵へと走って行った。


「あんまり慌てると危ないぞー」


 そう注意しながら、俺は莉愛のあとを追う。

 莉愛は柵越しに下を見下ろしながら、「うわあ」と感慨深い声を漏らした。

 そんな彼女の隣に立って、俺も下を見下ろしてみる。そこにはアリの群れの如く学校から排出される生徒たちが、四方八方に帰宅していく光景が広がっていた。


「前に瑞稀と一緒に屋上でお昼ご飯食べたよね。覚えてる?」


 こちらを向くなり、莉愛は目を丸くさせながら首を傾げた。


「ああ、覚えてるぞ」


「え、覚えててくれたんだ。てっきり忘れてるのかと思った」


「俺は勉強は出来ないけど、そこそこ記憶力はあるんだ。というか初めて屋上に出た日のことを忘れるワケなくないか?」


「あはは。それもそうかも。一緒にお弁当食べたのも初めてだったもんね」


「そうだな。でも結局、昼休みに莉愛と一緒に飯を食ったのはあれで最後だったな」


「そういえばそうかも。もっと一緒に瑞稀とお弁当食べたかったなー」


 莉愛は夕暮れの風に髪をなびかせ、気持ちよさそうな顔を作っている。

 莉愛が主役のお別れ会も無事に終わったことで、安心しているのだろうか。


「莉愛の作ってくれた弁当、どれもめちゃくちゃ美味かった。ありがとな、いっぱい作ってくれて」


 母さんが弁当を作れない日は、毎日莉愛が弁当を作ってくれた。大体、週に二回は莉愛の弁当を食べていた気がする。

 きっと週に二回も俺に弁当を作るのは、大変なことだっただろう。俺は料理をしないのでその大変さがイマイチピンとこないが、他人のために時間を費やすのはすごいことだと思う。


「どういたしまして。でもあたしがやりたくて始めたことだから、そんなに感謝されることじゃないよ」


「それでもだよ。毎日、すごいクオリティが高かったから、男友達からも羨ましがられたよ」


「あはは。そうだったんだ。あたしの愛、感じてくれたかな?」


 冗談を言う口調で、莉愛は目を細めて笑った。

 風に髪をなびかせながらの笑顔が美しくて、思わず見惚れそうになってしまう。


「ああ。胃もたれするくらい感じたよ」


「あれくらいで胃もたれされてたら、あたしの愛、全部渡しきれないよ」


「まだ愛を隠し持ってたのか。底なしの愛だな」


「あはは。そうだね。底なしの愛だ」


 莉愛は「底なしの愛」という言葉が気に入ったようで、それから噛み締めるように、もう一度だけ呟いた。


 俺たちの間に会話がなくなると、二人とも自然と屋上からの景色を眺める。

 赤く燃える夕日が、雲ごと空を赤く染めている。カラスも家に帰るのか、だだっ広い空を泳ぐようにして自由に羽ばたいている。


 こんな綺麗な光景を、俺と莉愛だけで独占している気分だ。もっとこんな時間が続けばいいのにな、とも思う。


「明日、成畑空港からニュージーランドに行くんだよな」


 視線は夕焼けの空のままで、莉愛の顔を見ずに問う。

 成畑空港から飛び立つという情報は、前に莉愛から聞いていたものだ。


「うん。そうだよ」


「時間は?」


「正午過ぎ。十三時前だった気がする」


「そっか」


 幸いにも莉愛が飛び立つ時間は、早い時間でも遅い時間でもない。

 これなら遅刻することなく、莉愛に会いに行けるだろう。


「お見送りに来てくれるの?」


 莉愛がこちらを向いたのが分かったが、俺は空を見たままでいる。


「見送りには行かない。ただ、待っててくれ」


 俺はそれだけを言ってから、莉愛と目を合わせる。

 莉愛は大きな目をパチクリとさせて、唇をきゅっと結んだ。


「うん、待ってる。あたし絶対に待ってるから」


 両手をぎゅっと握って、莉愛は瞳を潤わせた。

 この一週間の間、俺は莉愛を助け出すことについて本人に何も言ってこなかった。だから莉愛自信も、俺に助けて貰うことを諦めかけていたのだろう。

 そんな心配させるつもりはなかったんだけどな。でも瞳に涙を浮かべているということは、相当不安にさせてしまっていたのだ。

 莉愛に涙は似合わない。その一心で、彼女の頭を撫でる。


「あたし、まだ瑞稀と一緒に居られるの?」


 不安そうな声に、俺の心は揺れる。

 俺もまだ、莉愛を助け出せるかは分からない。むしろ莉愛を助け出せる可能性の方が低いと見積もっている。

 だけどもここで俺が弱気になってはダメだ。これ以上莉愛を不安にさせては、男が廃る。


「ずっと一緒に居よう。莉愛が嫌じゃなければな」


 俺はわざと笑顔を作る。その笑顔を見て、莉愛は瞳に溜めていた涙を拭った。

 そうして莉愛も、いつもの笑顔を作る。


「嫌なワケないじゃん。ずっと一緒に居ようよ。この先もずーっと」


 頭を撫でられて気持ちよさそうにしながら、莉愛は照れ混じりに言った。

 少しだけクサいセリフだが、明日を控えた今の俺たちにはちょうどいい。

 それに赤い夕日が、クサいセリフを言ったことで染まった頬を誤魔化してくれる。


 莉愛の笑顔を見ていると、本当に俺たちはこれからもずっと一緒に居られそうな気がしてくる。


 だってこんなにも、今が幸せなのだから。


 ──第六章 完──

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る