第六章 息子覚醒

ニュージーランドボーイ

 莉愛にフラれた次の日が休日で本当によかった。

 もしもこのテンションで学校に行かなくてはいけなかったら……と考えただけでも身震いする。


 現在の時刻は午前十一時を過ぎたところ。

 普段ならばとっくに起きて昼食を食べていてもおかしくはない時間だが、俺はベッドから起き上がる気力すら起きなかった。


 今日はもう、ずっと寝てることにしよう。

 何をする気も起こらず、掛け布団を頭まで被る。


「おーい、瑞稀くーん、起きてるのは知ってるんだぞー」


「ありゃあ失恋でやられてるなー」


「瑞稀くん。お昼ご飯」


 目蓋を閉じようとすると、廊下から姉たちの声が聞こえてきた。三人揃って俺の様子を見に来たのだろうか。

 ガチャリと部屋のドアが開く音が聞こえてきた。家族とは言え男の部屋なのだから、ノックくらいしてから入って来て欲しいものだ。でもまあ、姉たちは俺がナニをしないことを知っているからな。ノックをしなくてもいいと思っているのだろう。


「瑞稀くーん! 朝だよー! 昼だよー!」


 この無邪気な声は鈴乃お姉ちゃんだ。


「フラれたからっていつまで凹んでるんだよー」


 この芯のあるカッコイイ声は奏美お姉ちゃんだ。


「瑞稀くん。フラれても大丈夫。私が貰ってあげるから」


 この気だるげな声は衣緒お姉ちゃんだ。

 どうやら本当に三人揃って部屋にやって来たようだ。そしてひとつだけ、姉たちが勘違いしていることがある。


「フラれてはないから! まだあと九日の内に何か出来るかもしれないから!」


 俺は自分に言い聞かせるように、掛け布団の中から勢いよく顔を出した。

 まだフラれてはない。あと十日以内に莉愛のニュージーランド行きをキャンセル出来れば、俺にもまだチャンスは残されている……と信じたい。


 布団から顔を出した俺のことを、姉の三人は不思議そうな顔をしながら見下ろしている。


「だって「ごめんなさい」って言われたんでしょ? フラれたんじゃないの?」


 ナイフで刺すような切れ味の言葉を掛けたのは、長袖でへそ出しという謎のTシャツを来た奏美お姉ちゃんだった。

 その切れ味のある言葉に、俺は呆気なく傷つく。


「それはたしかに言われたんだけどさ……でも莉愛もまだ『両想い』って言ってくれたから。まだ俺はフラれたワケじゃない」


「そうなんだ。残念」


 そしてなぜか残念がる衣緒お姉ちゃん。

 弟の恋なんだぞ。応援してくれてるんじゃなかったのか。


 お姉ちゃんたち三人には、昨日のことは話してある。莉愛にフラれたこと。俺をフッた理由が親の海外進出であること。俺とずっと一緒に居たいと言ってくれたこと。それらをお姉ちゃんたちは、冷やかすワケでもなく真剣に聞いてくれたのだ。


「んで、あと九日しかないのに王子様はお昼まで爆睡ですかー?」


 奏美お姉ちゃんがニヤニヤとしながら、俺の頬をつついてくる。

 鬱陶しいので頬をつつく手を払いながら、奏美お姉ちゃんのことを軽く睨んでおく。

 奏美お姉ちゃんはケタケタと笑いながら、「ごめんごめん」と俺の頭を撫でた。しょうがない。許してやるとするか。


「だって何をしたらいいか分からないんだよ。莉愛の家はすごく金持ちで、ニュージーランドに行くことはもう決定事項らしい。それにもう準備も終わってるらしくて、莉愛が日本に一人で残ることを父親は許してないみたいなんだ。解決策が何も思い浮かばなくて」


 口に出してみると言い訳のようだが、何も解決策が浮かばないのは事実なのだからしょうがない。

 昨日からずっとどうすれば莉愛が日本に居られるのかを考えてはいたが、何も思いつかなかった。むしろごくごく一般的な高校生の俺に出来ることなんて何もないのではと、自信をなくしてしまうばかりだ。


「ニュージーランドボーイが莉愛ちゃんと結婚する前に、瑞稀くんが莉愛ちゃんと結婚するしかないね」


 衣緒お姉ちゃんは無茶なことを真顔で口にする。

 そして莉愛と結婚する予定のニュージーランドに居る金持ちの息子のことを、お姉ちゃんたちは『ニュージーランドボーイ』と呼ぶのだ。まあ分かりやすいからいいけどさ。


「俺まだ高校生だぞ? 働いてもないし、莉愛のことを養って行くのは難しいな」


「むぅ。でもそれくらいしないと、ニュージーランドボーイに取られちゃう。もうあっちは話が進んでると思うし」


「そうなんだよなあ……やっぱりそれくらいしないとダメだよなあ」


「うん。もしも瑞稀くんが莉愛ちゃんを養えないなら、お母さんとお父さんに頼むのもアリ。瑞稀くんが働くようになるまでね」


 衣緒お姉ちゃんはそう言ってくれているが……ここで父さんと母さんを頼るのか。

 父さんと母さんには莉愛の話をしたことがないので、現状を説明するのに苦労しそうだ。


「でもナシではないよね! パパとママなら子供が一人増えたくらい許してくれそうじゃない?」


 鈴乃お姉ちゃんも衣緒お姉ちゃんの案に乗っかった。

 いや、子供が一人増えるって、親からすれば結構な負担になるのではなかろうか。ウチは莉愛の家と違ってお金持ちでもないからな。


「相談してみればいいんじゃね? 相談してみるだけならタダなんだし、ちょうど下にお母さんとお父さん居るし」


 奏美お姉ちゃんも父さんと母さんに頼ることに賛成らしい。

 このままだと両親を頼ることになってしまいそうだが……お姉ちゃんたちが賛成しているのなら、父さんと母さんに話してみるのもアリなのかもしれない。

 もしも父さんと母さんから了承が貰えたら……莉愛は俺たちの家族になるのだろうか。いや、なるんだろうな。


「じゃあ……相談してみるか……?」


 もしも莉愛と家族になった場合、彼氏彼女の関係になれるのか? という疑問はあるが、今は莉愛をニュージーランドに行かせないことが先決だ。

 だから父さんと母さんに相談してみるのも悪くない。どうせこのまま腐っていても、何も思いつかないのだし。


 お姉ちゃんたちはどこか嬉しそうに頬を緩めると、俺のことを強引にベッドから立たせた。


 衣緒お姉ちゃんがカーテンを開くと、部屋の中は太陽の光で満たされる。

 そのまま奏美お姉ちゃんと鈴乃お姉ちゃんに手を引っ張られ、衣緒お姉ちゃんに背中を押されるようにして、ご飯のいい匂いがするリビングへと連行された。

 リビングまでに到着するまでの間、父さんと母さんに莉愛のことをどう話そうかと、必死に考えることとなった。

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