キスマウント
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午後の二十三時半。
衣緒はバイトに行ってしまい、瑞稀は公園で遊び疲れたのかすぐに寝てしまった。
父さんは明日も朝早くから仕事があるので、とっくに夢の中に居るだろう。
衣緒がバイトということは、母さんも家に居ない。
まだ眠くない鈴乃は暇を持て余し、唯一起きている奏美の部屋にやって来ていた。
奏美の部屋は全体的に青色が多いが、ベッドやローテーブルなどは黒色に統一されている。
「ねーねー聞いてよ奏美お姉ちゃん。さっき瑞稀くんと二人でコンビニ行って、それから公園で遊んで来たんだー」
鈴乃はフカフカのカーペットに足を伸ばして座りながら、スナック菓子を食べている。
「なにその小学生の放課後みたいな遊び」
愉快そうに手を叩いて笑いながら、奏美はベッドに腰を下ろしてコーラの缶ジュースをちょびちょびと飲んだ。
「小学生の放課後じゃないから。ちゃんと二人とも高校生ですー」
「そうかいそうかい。それは楽しかっただろうね」
「楽しかったよ! 瑞稀くんにチューしちゃったんだから」
どこか誇らしげにドヤ顔をしている鈴乃を見て、奏美は眉をピクリと動かした。
「ほう……その話、詳しく」
ベッドの上であぐらをかいて座り直し、奏美は珍しく真剣な顔を作った。
いつまでも子供だと思っていた鈴乃の口から『ちゅー』という単語が出てきたことで、奏美の興味は吸い寄せられた。
「自分でもテンパってたからよく覚えてないんだけどね、瑞稀くんに「彼氏居るんでしょ」って感じでからかわれたんだよ」
「あはは。鈴乃は瑞稀くんによくからかわれるよね」
「そうなの! もうほんとにヒドイの! 衣緒お姉ちゃんと奏美お姉ちゃんのことはからかわないのに、わたしばっかり」
「年が近いぶん心を開いてるんだよ。アタシは羨ましいと思うけど」
「なにも羨ましくないよ。今日はからかわれたのを間に受けて焦っちゃったんだから」
「彼氏居るんでしょって言われて?」
「そうそう。普通焦っちゃうよね。好きな人に「彼氏居るんでしょ」って聞かれたら」
鈴乃はスナック菓子をつまんで口に運ぶ。パクパクとスナック菓子を食べ続ける鈴乃を見て、奏美は太らないのかと心配になってしまう。
「まあ、焦るのかな。そんな経験ないから分からないけど」
他人事のような反応をする奏美だが、鈴乃は構わず続ける。
「だから焦って言っちゃったんだよね。瑞稀くんのことが好きだって」
缶ジュースを口にした途端に衝撃的なことを聞いて、奏美は誤って口の中のコーラを吹き出しそうになった。
「はあ? マジ?」
「マジマジ。勘違いさせないように、瑞稀くんがわたしを好きなのと、わたしが瑞稀くんを好きなのは違うってちゃんと言ったから」
「それ、ちゃんと瑞稀くんに意味伝わってるかな。瑞稀くん鈍感なところあるじゃん?」
「うーん。さすがに気づいたと思うよ。ビックリしてたみたいだから」
鈴乃は数時間前の瑞稀の顔を思い出しながら、麦茶の入ったグラスに口をつける。
奏美は鈴乃の積極性に驚きながらも、乾きそうになる喉にコーラを流してから唇を拭った。
「でもさっきまで普通に瑞稀くんと喋ってたよね?」
「うん、そうだね」
もしも鈴乃から告白をされて瑞稀が振ったならば、その後はもう地獄のような気まずさだろう。なのにさっきまで瑞稀と鈴乃は、ごくごく普通に接していた。ということは……。
「えっ……もしかして付き合うことになった……?」
「そんなワケないでしょ」
鈴乃が一瞬で否定したので、奏美は思わず力が抜けそうになる。
「なんだよ。じゃあ振られたの?」
「振られてもないよ。瑞稀くんから返事は聞いてないの」
「告白したのに?」
「うん。告白はしたけど返事は聞きたくなかったからね」
「えぇ……それって告白したって言うの? ただ自分の気持ちを伝えただけじゃね?」
「そうとも言えるね!」
鈴乃の吹っ切れ具合に、奏美は苦笑いをこぼす。
でも鈴乃の判断は正しかったと思う。もしもそこで返事を聞いていたら、今後の家族生活に支障が出てたに違いない。アタシたちが瑞稀くんに告白しても、付き合える可能性はゼロに近いのだから。と奏美は冷静に思った。
「その流れで瑞稀くんにちゅーしちゃった感じか」
「そう! 瑞稀くんのおでこにちゅーしちゃった」
「おでこに? 唇じゃなくて?」
「唇に出来るワケないじゃん! 可愛い弟なんだよ? トラウマ出来たらどうするの……って奏美お姉ちゃんは瑞稀くんと出会ったばかりの時にちゅーしてたか」
瑞稀に性欲があるかを確かめるために、奏美がキスをしていたのを思い出したのだ。
しかし奏美はちょっとだけ考える素振りを見せてから、勝ち誇った笑みを浮かべた。
「それだけじゃないよ。この間もちゅーしちゃったもんね」
「こ、この間!? それっていつよ」
「瑞稀くんがアタシの撮影見に来たって話したじゃん? その時だよ」
「仕事でなにしてるのよ! ま、まさかまた唇……?」
「当たり前でしょ。しかも瑞稀くんの方からちゅーしてくれたからね」
「瑞稀くんから!? ど、どんな不正をすればそんなことが……」
完全に自分の上を行かれて、鈴乃は口をポカンと開きながら放心状態となってしまった。
その鈴乃の反応に満足して、奏美はケラケラと笑いながら腕を天井に向けて伸びをした。
「さ、話の区切りもちょうどいいしそろそろ寝ようよ。今日は一限から講義あったからアタシもう眠くてさ」
「話の区切り悪すぎるでしょ! まだなんで瑞稀くんからちゅーされたか聞いてないんですけど!?」
「さあ、どうしてだったかなー?」
「絶対教える気ないでしょ! もー! 奏美お姉ちゃんのズル!」
そそくさと寝るための準備を始める奏美を見ながら、鈴乃は得意の頬を膨らまして抗議してみせる。
だけど奏美には頬を膨らませるだけじゃ効かない。むしろ愉快そうに笑うので、鈴乃はもっと拗ねて足をバタバタとさせる。
「はいはい。おでこにしかちゅーしたことのないお子ちゃまはもう寝る時間ですよー」
奏美は煽るように言いながら、鈴乃を部屋から追い出そうとする。
「あー! 今絶対にバカにしたでしょ! お子ちゃまじゃないし!」
「はいはい。ばぶばぶ言ってないでおねんねしましょうね〜」
奏美は強引に鈴乃を部屋から追い出すと、「おやすみなちゃい♪」とだけ言って扉を閉めた。
時計の針は日付けが変わるちょっと手前。
本間家には「むきー!」と威嚇するような鈴乃の声が響き渡った。
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