可愛いイタズラっ子 後編
夜の公園には俺たち以外に人の姿はなかった。貸し切り状態というやつだ。
「瑞稀くん! 砂場で遊ぼう!」
目に見えてはしゃいでいる鈴乃お姉ちゃんは、砂場に立ってこちらに手招きをした。
この公園には滑り台、ブランコ、鉄棒、砂場の四つの遊具があるのだが、鈴乃お姉ちゃんは砂場をチョイスした。なんというか、夜の公園ではブランコや滑り台で遊ぶのが普通な気がするが……砂場か。
「手汚れちゃうじゃん」
と言いながらも、俺も砂場にやって来た。
持っていた荷物は、全てベンチに置いてきてある。
「甘いね瑞稀くん。手の汚れなんて気にしてたら砂場でなんか遊べないよ」
鈴乃お姉ちゃんはその言葉通り、なんの躊躇もなく砂の中に手を突っ込んだ。
これには思わず「うわあ」と声が漏れてしまう。帰ったら手を洗うのが面倒になるぞ……なんて考えてしまうから、俺は砂場で遊ぶのには向いていないのだろう。
そんな俺のことを察してか、鈴乃お姉ちゃんは砂で山を作りながら、こちらを見上げた。
「ねえ瑞稀くん。握手しよ」
「絶対にいやだ」
「えー、そう言わずにさ。一回握手するだけだから」
「そうやって俺の手を汚して、一緒に砂場で遊ぼうって魂胆だろ」
「そ、そんなことないもん! ただ瑞稀くんと握手したいだけだから!」
図星だったようだ。ってか握手したいだけってなんだよ。
そんな分かりやすい作戦に引っかかるほど、俺は甘くない。
「ねー、握手しようよー。一緒に砂場で遊びたいもん」
早くも白状してしまっているじゃないか。自分で数秒前に言ったことを忘れてしまったのだろうか。
「手汚れるから嫌だよ。爪の間に入ったら大変じゃないか」
「もうわたしの爪の間にはいっぱい砂が入ってるよ!」
「そりゃそうだろうな」
爪の間に砂が入ったら取るのに苦労するんだよな。その苦労が目に見えているので、余計に砂場では遊びたくない。
「ねーねー、一緒に遊ぼうよー。これじゃわたしが一人で遊んでるみたいじゃん」
「一人で遊んでるみたいじゃなくて、一人で遊んでるんだよ」
「そんは寂しいこと言わないでよー。わたし子供じゃないんだよ? 瑞稀くんと一緒に遊びた〜い」
そうやって駄々をこねる姿は子供にしか見えない。なんて言葉が口から出ようとしたが、ギリギリのところで飲み込んだ。きっとそれを言ったら、今度は拗ねてしまうだろうから。
俺は「はあ……」とため息を吐いてから、砂の上に手を置いてみる。冬の夜風にさらされた砂は、ヒンヤリとしていて気持ちよかった。
「ほんとワガママなお姉ちゃんだなー。しょうがないから一緒に遊んであげるよ」
「やったー! 瑞稀くんのそういうところ大好き」
目を細めて笑う鈴乃お姉ちゃんの顔は、街灯に照らされているからか、少しだけ大人びて見える。
「でも砂場で遊ぶって何をするんだ?」
「とりあえず山を作ろ!」
「山を作るのか。おやすい御用だ」
砂場で遊ぶと言われて真っ先に思いつくのが、山を作るか泥団子を作るかだ。
山を作るのなんて、砂をかき集めるだけだ。それくらいなら付き合ってやろう。
熱心に砂をかき集める鈴乃お姉ちゃんを前にして、既に汚れきった自分の手を見ると、自然と砂場で遊ぶ覚悟が決まった。
☆
砂場で山を作り棒倒しで遊んでから、俺たちは手を洗ってブランコに乗った。
ここの公園にはブランコが二つしかないので、高校生の二人が占領していることになる。
こんな時間にないとは思うが、もしも小さい子が来たら譲ってあげよう。
「砂遊びの次はブランコか。小さい頃に戻ったみたいだな」
「そうかな? 今でも公園で遊べるけど」
俺はブランコに座るだけだが、鈴乃お姉ちゃんはゆっくりと漕ぎながら話している。
「もしかして一人で公園で遊ぶ時もあるのか?」
「そんな不審者みたいなことするワケないじゃん! 友達とちょっと公園に寄ったりした時に遊ぶだけだよ」
それでも充分すごいと思う。
俺は人の目を気にしてしまって、友達とであっても公園では遊べない。
きっと鈴乃お姉ちゃんは、自分が楽しければそれでいいのだろう。自分の欲求に素直なのが、鈴乃お姉ちゃんのいいところだ。
「友達と公園で遊んだりするのか」
「うん。まあ大体がベンチに座ってお喋りだけどね」
「女の子はお喋り好きだからな」
「まあねー。お菓子を食べながらお喋りをするのも楽しいよ。今度もわたしの部屋で学校の友達と女子会するんだー」
「女子会かあ。女子会ってどんな話するんだ?」
男が聞いてはいけないことなのだろうかとも思ったが、気になったので聞いてみた。
鈴乃お姉ちゃんはアゴに指を当てて、「うーん」と考えてから口を開く。
「学校のこととか、恋バナとか?」
あっけらかんとした様子で鈴乃お姉ちゃんは言うが、俺は最後の『恋バナ』という単語にピクリと反応してしまう。
もしかして鈴乃お姉ちゃんも、好きな人が居たりするのだろうか。いや、もしかしたら、もう既に付き合っている人が居るのかもしれない。
こんなに可愛くて、末っ子のような男心をくすぐる性格をしているのだ。彼氏が居ない方がおかしい。
「鈴乃お姉ちゃんって付き合ってる人居るの?」
気になって気になってしょうがないので、意を決して尋ねてみた。
すると今まで弧を描くようにして前後運動をしていた鈴乃お姉ちゃんのブランコが、段々とスピードを落としてピタリと動きを止めた。
互いに止まっているブランコに乗っているので、砂場ぶりに鈴乃お姉ちゃんと視線が合う。
「え、居ないよ」
「なんでそんな真顔なんだよ。余計に怪しいわ」
「ほ、ほんとに居ないから!」
顔を真っ赤に染め上げて、鈴乃お姉ちゃんは必死に首を横に振っている。
「ほら、なんか慌ててるし」
だからちょっとからかってやると、鈴乃お姉ちゃんは「居ないから!」と突然立ち上がった。
今度はその必死さが、俺を困惑させる。
「えっと、うん、ごめん。ちょっとからかっただけだから。彼氏が居ないのは分かった」
彼女の勢いに圧倒されてしまい、俺は気がつけば謝っていた。
そこまで必死にならなくても、「居ないよ」と言ってくれれば済んだ話なのに。
けれども俺の謝罪では満足しないのか、鈴乃お姉ちゃんの頬はフグのように膨らんでいる。気をつけていたのだが、鈴乃お姉ちゃんを拗ねさせてしまったようだ。
「ちょっと焦っちゃったじゃん」
「な、なんで焦るんだよ」
「彼氏居るって勘違いさせたと思って」
「俺に彼氏が居るって思われたらダメなのか?」
「ダメに決まってる!」
夜の静かな公園に鈴乃お姉ちゃんの声が響いたかと思えば、ブランコに乗る俺に思いきり抱き着いて来た。
俺の頭を抱くようにして抱き着かれているので、鈴乃お姉ちゃんのおっぱいが顔に押し付けられる。
「わ、分かったから……」
「分かってない! 瑞稀くんは何も分かってない!」
俺の頭を抱く力がギューっと強まる。柔らかなおっぱいに顔を押し付ける形になって、息が苦しい。
そんなに彼氏が居ると思われたくなかったのか。それは悪いことをした。だから謝るためにも離してもらいたいのだが、鈴乃お姉ちゃんは俺を解放してくれる素振りを見せない。
「瑞稀くん。ごめんね。わたし、すごく自分勝手」
どういうことだよ。と言おうとしたのに、おっぱいのせいで喋ることが出来ない。
「今ね、わたしの心の中がすごくぐちゃぐちゃになってるから、自分でも何やってるのか分からない。けどこうしてると落ち着くから、もう少しだけぎゅってさせて」
さっきまでの興奮した声色から一転して、今はだいぶ落ち着いたようだ。俺に抱き着くだけで落ち着くならばいくらでもこうさせてあげたいが、俺の息にも限界がある。
だから鈴乃お姉ちゃんの腕をポンポンとタップするが、全然離してくれない。
「わたし、瑞稀くんのことが好き」
ポツリと呟かれた声に、俺の心臓はキュッと締め付けられる。
いつも好きだと言われ慣れていたのに、どうして今の「好き」は特別な言い方に聞こえてしまったのだろうか。
そこで鈴乃お姉ちゃんは俺から離れる。
その頬はまだ赤くて、鈴乃お姉ちゃんは両手を組んだり離したりとソワソワしている。
「俺も鈴乃お姉ちゃんのことは好きだ」
「違う。瑞稀くんがわたしを好きなのと、わたしが瑞稀くんを好きなのは違う」
「どう違うんだよ」と言おうとしたが、鈴乃お姉ちゃんの言いたいことが分かってしまった。
俺が驚きで言葉を失っていると、鈴乃お姉ちゃんに頭を撫でられる。
「でも返事は聞きたくない。聞いたら姉弟に戻れなくなるから。だからその代わりに……」
鈴乃お姉ちゃんは俺の頬を両手で包むと、そのまま顔を近づけて──額にキスをした。
唇にキスをされると思ったので呆気に取られていると、鈴乃お姉ちゃんはイタズラっ子の笑みを作って、俺から離れて行く。
「わたしをからかったお返し! たまにはやり返さないと気が済まないからね」
鈴乃お姉ちゃんは舌を出しながら、荷物が置いてある方に走って行ってしまった。
ああ。なんだ。今のは冗談だったのか。
てっきり鈴乃お姉ちゃんが俺に恋をしているのかと思ったが、とんだ自意識過剰だったようだ。
よくよく考えてみたら、お姉ちゃんが弟に恋をするなんて有り得ないよな。
「全くあの末っ子は」
上手く仕返しをされてしまったが、俺はどこかホッとしながらブランコから立ち上がる。
でもまた心臓に悪い仕返しをされるのは嫌なので、これからは鈴乃お姉ちゃんをからかうのを控えようと考え直す機会となった。
気を抜くと公園での疲れが一気に襲いかかり、俺はため息を吐いてから、可愛いイタズラっ子のあとを追った。
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