輝く笑顔で 後編
「新郎役、到着しました!」
教会の祭壇を上るなりマネージャーが大きな声で言うと、なぜか大人たちからは拍手が上がった。
少しだけ化粧をしてタキシード姿になった俺は、奏美お姉ちゃんの隣りに立つ。タキシードなんて初めて着たが、動きづらくてしょうがない。
それとさっきまで新郎役をしていた人の姿は、もうなかった。
「ありがとな弟さんよ! 緊張しなくてもいいから、お似合いな新郎新婦のようなポーズを取ってくれ!」
カメラマンのおじちゃんはそう言うが、俺は結婚式なんて挙げたことも行ったこともないので、新郎新婦のポーズがどのようなものか分からない。
すると隣に立っていた奏美お姉ちゃんが、俺の顔を覗き込んだ。
「アタシのせいで巻き込んじゃってごめんね。撮影はアタシがエスコートするから安心してよ」
手を合わせながら苦笑いを浮かべる奏美お姉ちゃん。
奏美お姉ちゃんに苦笑いなんて似合わない。なんとかして、いつもの笑顔にさせてあげたくなった。
「全然大丈夫。こういう経験もしてみたかったところだし。へーきへーき」
もちろん嘘だ。本当は大人たちに囲まれながら注目されること自体慣れていないので、今すぐにでも逃げ出したくて仕方がない。
でも奏美お姉ちゃんのためだ。せっかくウェディングドレスが似合っているのだから、今日の撮影がなかったことになるのだけは避けたいと思った。
「それでは撮影始めまーす!」
カメラマンがカメラを構えて宣言すると、奏美お姉ちゃんは俺の腕を両手で掴んだ。俺も奏美お姉ちゃんに身を寄せて、互いの体を密着させる。
そこで何枚かシャッターが切られる。
「奏美ちゃん! もうちょっと自然な笑顔で!」
カメラマンが指示を出したので、俺も釣られて奏美お姉ちゃんの顔を見てみる。
奏美お姉ちゃんはいつもの弾けたような笑みではなく、無理やり笑顔を作っているようだった。
こんな笑顔では、注意されてしまうのも仕方がない。
だから俺は奏美お姉ちゃんの腰に手を回して、もっと密着するように引き寄せた。
奏美お姉ちゃんは驚いたような顔で、俺の顔を見上げた。
「くっついてる方が安心出来るかもと思ってな」
小さな声で言うと、奏美お姉ちゃんは「なにそれ」といつもの笑顔で笑った。カメラマンはその隙を見逃さず、シャッターを切る。
「いいよいいよ! 笑顔いただきました! その調子で笑顔でいこう!」
カメラマンの好感触な反応に、奏美お姉ちゃんは驚いたように目を広げてから、また俺の顔を見上げた。
「瑞稀くんすごい。アタシがどうやったら笑顔になるか知ってるみたい」
「当たり前だろ。まだ数ヶ月しか姉弟やってないけど家族だからな。それくらい分かる」
感心したように「ほえー」と声を吐くと、カメラマンから「こっち向いて!」と指示が出た。
俺と奏美お姉ちゃんは腕を組んだまま、カメラに視線を向ける。
「いいよ奏美ちゃん! でもそろそろ今日一番の笑顔が見たいかな!」
カメラマンがそんな無茶ぶりをする。
カメラに視線を向けているので、奏美お姉ちゃんが今どんな笑顔を作っているのかは見えないが、まだ足りないらしい。
さて、どうしたら奏美お姉ちゃんは笑顔になるのか……そう考えてみてふと、人の感情を大きく変化させることの出来る、魔法の行為を思いついた。
以前に奏美お姉ちゃんと莉愛としたことのある、アレだ。
「奏美お姉ちゃん、ちょっとこっち向いて」
そう声を掛けると、奏美お姉ちゃんは目を丸くさせたままこちらを向いた。
その一瞬の隙をついて、俺は奏美お姉ちゃんの顔に自分の顔を近づけて──キスをしてみた。
顔を離してみると、奏美お姉ちゃんは目を大きくさせたまま、顔を真っ赤に染め上げていた。
あれ? 前に奏美お姉ちゃんとキスした時は、顔が赤くなるどころか照れた素振りすら見せなかったのに……なんで今更……。
それに周りに居る大人たちも、驚いたように目を見開いているのに気が付いた。
やばい。俺、変なことしたかもしれない……。
「な、なんでいきなりちゅーしたの……?」
「前に俺の性欲を引き出すために奏美お姉ちゃんがキスしてくれたじゃん? だから奏美お姉ちゃんの笑顔を引き出すためにキスしたんだけど……やり方違ったかな」
本気でそんなことを聞くと、奏美お姉ちゃんは驚いた顔で固まったかと思えば、いきなり「ぷはっ」と吹き出したように笑った。
「全然違うでしょ。キスと性欲は関係あると思うけど、笑顔とキスは関係ないよ」
「いや、関係あるよ。だって今の奏美お姉ちゃん。すっごく笑顔が素敵だから」
そう言いながら奏美お姉ちゃんの前髪を整えてやると、何枚ものシャッターが切られる。
いきなりのフラッシュに目を閉じそうになるが、俺は奏美お姉ちゃんと目を合わせ続ける。
「アタシ、笑えてる?」
輝く笑顔で問われて、俺は迷いなく頷いて見せる。
「ああ、綺麗な笑顔だ」
俺が首を縦に振ると、奏美お姉ちゃんは体をうずうずさせたと思えば、思い切り抱き着いてきた。
その何気ない行為さえも、カメラマンはシャッターを切っていく。
「マジで瑞稀くん大好き。やっぱりアタシの笑顔を引き出してくれる男は違うね」
ウェディングドレス姿の奏美お姉ちゃんが、タキシード姿の俺に抱き着く姿は、幸せ絶頂の新郎新婦にしか見えないだろう。
その証拠として、周りにいる大人たちが俺たちを温かい目で見守ってくれている。
奏美お姉ちゃんに抱き着かれて、周りの大人たちもこちらに温かい目を向けてくれる。
それらのおかげで俺の緊張も解けて来て、リラックスしながら撮影に挑むことができた。
☆
二時間に渡る撮影を終えて、大人たちは撤収の準備に取り掛かった。
奏美お姉ちゃんのマネージャーが大人たちと話し込んでいる間、俺たちには自由な時間が与えられた。
俺はずっと我慢していたのでお手洗いに行ってきた。
スッキリして礼拝堂に戻ると、大人たちの姿だけで奏美お姉ちゃんの姿は見当たらなかった。
ウェディングドレスを着ているので、礼拝堂の中に居ればすぐに分かるはず。
奏美お姉ちゃんもお手洗いに行っているのだろうか。なんて思いながら、礼拝堂の中に居るのも飽きたので外に出てみると、風にウェディングドレスをなびかせる奏美お姉ちゃんの姿があった。
奏美お姉ちゃんは池を見下ろせる高台で、木の柵に体重を預けてたそがれていた。
「奏美お姉ちゃん」
近づいて後ろから声を掛けると、奏美お姉ちゃんは肩をびくつかせてから、こちらを振り向いた。
「ああ、瑞稀くんか。撮影おつかれ」
「奏美お姉ちゃんもお疲れ様」
お互い手短に挨拶を交わしてから、俺は奏美お姉ちゃんの隣に立った。柵の先に広がる池には、沢山の鯉が泳いでいる。
俺と奏美お姉ちゃんは、その鯉を見下ろしたまま話し始める。
「初めての撮影はどうだった?」
「すごくいい経験させて貰ったよ。タキシードなんて初めて着たし、自分がファッション雑誌に載るって思ったら感慨深い」
「あっはは。スタッフさんたちも瑞稀くんイケメンだって言ってたから、間違いなく顔まで載るだろうね」
「ちょっと恥ずかしいけど、これも経験だと思っておくよ」
「ははは。そうしなー」
奏美お姉ちゃんは風に髪をなびかせながら、いつもの笑顔で笑った。
やっぱり奏美お姉ちゃんには笑顔がよく似合う。
それから二人の間にはしばらくの沈黙が訪れた。
風で揺れる草木の音や、鯉が水面を揺らす音だけが耳に届く。
そんな自然に囲まれる中で、隣に立つ奏美お姉ちゃんの姿に目がいった。
「今更なんだけどさ、奏美お姉ちゃん、ウェディングドレスめっちゃ似合ってるよ」
「えー、嬉しい。瑞稀くんもタキシード似合ってる。背高いもんね」
「奏美お姉ちゃんが選んでくれた髪型も相まってな。スタッフさんたちにお似合いの新郎新婦だねって言われたよね」
「あー、いっぱい言われたね。このまま結婚しちゃうのかと思いましたって、マネージャーが言ってたよ」
「あはは。そうなんだ。じゃあお似合いの新郎新婦を演じることが出来たってことで、めでたしめでたしだな」
俺が笑顔で言うと、奏美お姉ちゃんは池を見たまま「ふう」と息を吐いた。それからこちらに顔を向けて、穏やかに頬を緩めた。
「このまま結婚しちゃおうか。アタシたち」
その声色は冗談を言っているようには聞こえなかった。
でも姉弟で結婚なんて、冗談に決まってるだろう。ここで真に受けてしまっては、あとでからかわれる未来が容易に伺える。
「それじゃあ莉愛に愛想つかされたら、奏美お姉ちゃんと結婚しようかな」
だから俺も冗談を返す。
すると奏美お姉ちゃんは瞳をふるふるとさせたかと思えば、眉を下げてくしゃりと笑った。
「やっぱり瑞稀くん。莉愛ちゃんのこと大好きじゃん」
しかしそれを言う奏美お姉ちゃんの笑顔は、どこか寂しそうでもあった。
もしかしたら奏美お姉ちゃんに、変な誤解をさせてしまったのかもしれない。焦った俺は、こんなことを口にする。
「奏美お姉ちゃんも同じくらい大好きだから安心してくれ。まあ『好き』の意味は違うけど」
慌てて言葉を訂正すると、奏美お姉ちゃんは目を細めながら、俺の頭をガシガシと乱雑に撫でた。
「まったく。お前は可愛いなー。別に莉愛ちゃんに嫉妬してるワケじゃないから安心してよ」
奏美お姉ちゃんは俺の頭から手を離すと、「でもまあ」と言葉を続ける。
「アタシも瑞稀くんのこと大好きだから、両想いになれて嬉しいかも。これからもキスしちゃうくらい仲良しな姉弟で居ようね」
奏美お姉ちゃんは柵に体重を預けたまま、今日一番の笑顔を見せた。その笑顔がとても綺麗で、輝いているようにも見えてしまう。
危うく彼女の輝く笑顔に目を奪われそうになったので、俺も柵に体重を預けるようにして、無数の鯉が泳いでいる池を見下ろした。
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