輝く笑顔で 前編

 念仏のような授業を聞くだけの五日間が終わり、ようやく土曜日になった。

 今日はお姉ちゃんの全員が出掛けてしまうらしいので、俺は家で留守番をしなくてはならなくなる。

 さて、お昼ご飯も食べたことだし昼寝でもしようかな。正午過ぎからフカフカのベッドで昼寝が出来るのは、休日だけの特権だ。


 思い立ったが吉日。リビングから出て階段を上り、自分の部屋に向かっていると──ガチャリとドアが開く音が聞こえた。


「あれ、瑞稀くんじゃん。どうしたの?」


 階段を上り終えると、ちょうど奏美お姉ちゃんが部屋から出てきた。

 シャツとスラックスは黒色で統一されていて、一目でオシャレをしていると分かる。普通ではないファッションセンスに、さすがはモデルさんだと心の中で感心した。


「今から昼寝しようと思って」


「え、せっかくの土曜日なのにお昼寝するの?」


「せっかくの土曜日だから昼寝しようと思ったんだけど」


 逆にどうして土曜日に昼寝しないのかというスタンスで話すと、奏美お姉ちゃんは面食らったように目をパチクリとさせた。

 奏美お姉ちゃんのようにアクティブな人からしたら、土曜日に昼寝をする人の神経は理解出来ないだろう。

 でもインドア派の人からしてみれば、俺の考え方も理解してくれるはずだ。そう。衣緒お姉ちゃんとかな。


「えー、なんかもったいないね」


 やっぱり言われると思った。

 俺は一つももったいないとは思わないんだけどな。


「特にやることもないからね」


「男子高校生ってもっと遊びで忙しいイメージあるんだけど」


「俺はあんまり友達と遊ぶタイプじゃないから」


「あっはは。おいおいー。そこも枯れてんのかよー」


 俺の肩をバシバシと叩きながら、奏美お姉ちゃんは背中を丸めて笑った。それから笑い終えると、何かを思いついたように「あ、」と人差し指を立てた。


「今からバイトに行くんだけどさ、瑞稀くん見学に来ない?」


 首を傾げた奏美お姉ちゃんを前に、俺も無意識に首を傾げてしまう。

 奏美お姉ちゃんはファッションモデルのバイトをしているのは知っている。その見学ということは、奏美お姉ちゃんがオシャレな服を来て、撮影しているところを見れるのだろうか。

 うん。見てみたい。昼寝なんてしてる場合じゃない。奏美お姉ちゃんの晴れ舞台を見てみたいと心の底から思った。


「え、見に行ってもいいの?」


「いいよいいよ。マネージャーにも話しとくから」


「奏美お姉ちゃんの邪魔になったりしないか?」


「静かにして貰えれば大丈夫かな。アタシのモチベーションにもなるし」


 静かにしているのは得意だ。いつもクラスで静かにしているし。


「そういうことなら見学に行きたいな。モデルさんがどうやって撮影してるのかも気になるし」


「お、いいね。そうこなくちゃ」


 奏美お姉ちゃんは嬉しそうに微笑むと、腕時計で時間を確認した。


「それじゃあ五分くらいで準備出来るかな。遅刻しそうだから早めに準備してくれると嬉しい」


「何時までに行かなきゃいけないの?」


「十三時に現地集合だね」


 そう奏美お姉ちゃんに言われて、俺もスマホで現在時刻を確認する。スマホの画面には、『十二時五十五分』の数字が表示されていた。


「え、あと五分しかないじゃん。その現地まではどれくらいで着くの?」


「うーん。車で三十分くらいかな」


「大遅刻じゃねえか」


 奏美お姉ちゃんは時間にルーズだということを忘れていた。

 バイトとは言え仕事なのに、遅刻なんて許されるのだろうか。


「まあまあいいじゃない。頑張ってオシャレしてたんだから。それよりもほら、瑞稀くんが早く着替えてくれないと遅刻しちゃうから早く早く」


 俺を急かすように、奏美お姉ちゃんは走るジェスチャーをした。

 もう遅刻は確定してるんだよなあ……と心の中で呟いてから、俺は奏美お姉ちゃんの分まで焦りながら外出するための準備を始めた。


 ☆


 奏美お姉ちゃんの車に揺られて到着したのは、外観が真っ白で綺麗な教会だった。

 到着するなり奏美お姉ちゃんはマネージャーなる人に連れて行かれてしまったので、俺は礼拝堂にある木の長椅子に座って待つことになった。


 祭壇の上には大きな十字架があり、その下には牧師が使うのであろう小さな木の台が置いてある。その台の辺りでは、三人程の大人がカメラの準備などをしている。

 さらに顔を上げると、色とりどりのガラスが太陽の光を反射させる窓もあった。

 某ロールプレイングゲームで度々訪れる教会そのものだ。


 こんなところで撮影するのか……神々しい教会の雰囲気に圧倒されながらも待っていると、背後にある大きなドアがギギギと音を立てて開いた。


 その音に釣られるようにして後ろを振り返ってみると、そこには数人の大人がタキシード姿の男性とウェディングドレス姿の女性を囲っていた。新郎と新婦だろう。

 その教会にピッタリな集団が祭壇を目指して、中央の道をゾロゾロと歩き出す。


 なんだなんだ、今から結婚式でも始まるのか? と思っていると、ウェディングドレスを来た女性がこちらに向かって笑顔でピースをしている──そこでようやく、ウェディングドレスを着ているのが奏美お姉ちゃんだということに気が付いた。

 いつものカッコイイ雰囲気ではなく、ウェディングドレスを着てより女性らしくなっていたので気づかなかった。でもやはり、奏美お姉ちゃんはウェディングドレスまで着こなしてしまっている。


「綺麗だ……」


 知らず知らずの内に、そんな言葉が口から漏れた。


 奏美お姉ちゃんと新郎役の男性が祭壇に到着すると、周りに居た大人が慌ただしく用意を始めた。


 かと思えば奏美お姉ちゃんと新郎が腕を組むと、大人たちは祭壇から下り始める。祭壇の上には、新郎新婦とカメラマンだけが残った。

 カメラマンは新郎新婦にカメラを向けると、絶え間なくシャッターを切り始める。

 新郎新婦はポーズを変えながら、楽しそうに写真を撮られている。


 俺はその撮影風景を、少しだけ離れた場所にある椅子に座って見守っている。


 ある程度シャッターを切り終えると、カメラマンが頭を掻きながら大人たちと相談を始めた。

 そしてすぐにカメラマンが、新郎新婦に何か指示を出す。すると奏美お姉ちゃんが、ぺこぺこと頭を下げた。


 なにかミスをしてしまったのだろうか。なんて思いながらも、またも新郎新婦は腕を組んだり抱き合ったりしながら、撮影は開始された。


 しかしすぐにカメラマンは頭を掻きながら、大人たちと相談らしきものを始める。そしてまたカメラマンが指示を出すと、奏美お姉ちゃんが頭を下げる。


 撮影して、大人たちが相談し合って、奏美お姉ちゃんが頭を下げる。そんな光景が何度か続くと、相談をしていた大人たち全員が俺の方をチラリと見た。


 え、もしかして俺が邪魔だったのか……とヒヤヒヤしていると、背の低いメガネを掛けた女性がこちらへとやって来た。


「奏美さんの弟さんですよね?」


 その女性はこちらにやって来るなり、そんなことを尋ねた。


「そうですけど。あなたは?」


「わたくし、奏美さんのマネージャーをさせて頂いている者です」


 この女性は奏美お姉ちゃんのマネージャーだったのか。そう言えばさっきも会った気がする。

 それを聞いて、俺は背筋をピンと伸ばした。奏美お姉ちゃんのマネージャーさんには、失礼があってはならない。


「それでなんですけど、弟さんに一つお願いがあるのですが……」


「俺にですか?」


「はい。弟さんに奏美さんの新郎役をして欲しいんですけど……」


 申し訳なさそうにこちらに上目遣いを向ける女性。

 俺は驚きのあまり、「えぇ?」と変な声を出してしまった。


「どうして俺が新郎役を……?」


「それがですね、奏美さんの最大の武器は笑顔なんですけど……男性の方とツーショットを撮る時だけ、奏美さんの笑顔が硬くなってしまうんですよ」


「え、奏美お姉ちゃんが?」


 あのいつも笑っている奏美お姉ちゃんが、男性と写真を撮る時にだけ笑顔が硬くなる? そんな馬鹿な……と思ったりもしたが、撮影がストップしているところを見ると、事実なのだろうことを察することが出来る。


「いつもそうなんですか?」


「そうなんです。いつも男性の方と撮影をする時は笑顔が硬くて……それでも雑誌に男性とのツーショットを載せてみたら、読者の方たちから『いつもの笑顔じゃない』との声を多く集めてしまって」


 そんなことがあったのか。奏美お姉ちゃんは仕事の話を全くしないから、そんなことがあったなんて知らなかった。

 奏美お姉ちゃんは別に男に耐性がないワケでもなさそうなのに、どうして笑顔が硬くなってしまうのか。


「で、どうして俺に新郎役を……?」


「弟さんが相手なら奏美さんも緊張しないのかなと思ってですね……お願い出来ないでしょうか……? 簡単にポーズを取っていただくだけで構わないのでお願いします!」


 勢いよく頭を下げるマネージャー。

 あの新郎役の男性のように、俺もタキシードを着用して、奏美お姉ちゃんと腕を組んだりすればいいのだろう。

 それだけで奏美お姉ちゃんを助けられるかもしれないなら、お安い御用だ。


「分かりました。やらせてください」


 俺が立ち上がると、マネージャーだけではなく大人たちがザワザワと動き出した。


「ありがとうございます! メイク室は別館にありますので、そちらにご案内します!」


 マネージャーはまた頭を下げてから、外に繋がるドアに向かって歩き出す。

 俺も急いで後を着いて行こうとすると、奏美お姉ちゃんと目が合った。

 奏美お姉ちゃんは両手を合わせながら、申し訳なさそうな顔でウィンクをした。


 だから俺は笑顔を返してから、マネージャーさんの後を追いかけた。

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