まーぼーなす
「わー! 誰もいない! 屋上なんて初めて来たよ」
屋上のドアを開くなり、莉愛が元気よく外に出た。
屋上は四方が二メートルくらいの柵で囲まれていて、誤って転落する危険もない。
床は灰色のコンクリートで固められていて、一面がちょっとした広場のようになっている。
「風も穏やかでよかったな。これなら安心して飯が食える」
俺は適当に段差になっているところに腰を下ろす。
「えー、なんか初めての屋上なのにテンション低くない?」
「そうか? いつも通りのテンションだと思うんだけど」
「まあいつも通りなんだけどさ。瑞稀って「わー!」みたいなテンションになる時ないの?」
「わー!」みたいなテンションってなんだ。そんなテンション初めて聞いたぞ。でもなんとなくだが、莉愛の言いたいことが分かってしまうのがツラい。
「極端にテンションが上がることはないかな」
「やっぱりそうなんだ。なんか瑞稀っていつもテンション一定だよね」
「それって褒めてる?」
「うーん、どうなんだろ。男子高校生なんだからもっとテンション高くても良さそうだけど、いつも落ち着いてる瑞稀があたしは好きだから」
莉愛はなんの躊躇もなく、俺に「好き」だと言ってくれる。莉愛が俺に恋していることは知っているが、やはり何度『好き』と言われても慣れない。このむず痒さ、伝わってくれ。
「じゃあこのテンションのままでいるわ」
俺がいつもの口調で言うと、莉愛は満足そうな表情で「うん!」と頷いた。
「あたしもいつもの瑞稀がいいからね。瑞稀はずっとこのままで居てよ」
「それは約束出来ないけどな。いつかハイテンションキャラになるかもしれないし」
俺が真面目な顔で言ったからか、莉愛はぷはっと吹き出して笑った。
「それはありえないから。ぜんっぜん想像つかない」
隣りから俺の顔を覗き込みながら、莉愛は楽しそうに笑っている。
ちょっとした冗談のつもりだったのだが、莉愛からしたら面白かったらしい。そこまで笑わせようとは思ってなかったが、彼女の笑顔が見れたから結果オーライだな。
「さあさあ、さっさと飯食おうぜ。こんなことしてたら昼休みが終わっちゃうよ。せっかく莉愛が作ってくれた弁当が食べられなくなるのだけはイヤだからさ」
俺はそう言いながら、可愛らしい青の巾着からお弁当箱を取り出す。いつも莉愛が持ってきてくれる、青色の二段弁当だ。
この二段弁当は、俺に弁当を作るためだけに買って来てくれたらしい。さすがはお金持ちの家の子だ。
「えー、そんなこと言ってくれるんだー。お弁当作った甲斐があるねえ」
莉愛は嬉しそうにハニカミながら、キャラクターものの巾着からピンク色のお弁当箱を取り出した。
「ほんと感謝してるよ。その内に何かでお返しするから」
「何かでじゃなくて告白の返事でお返ししてくださーい」
冗談を言うような口調で、莉愛は「にひひ」と変な笑い声を漏らした。
でも告白の返事か……性欲があったことを話すなら、今がベストなタイミングなのではなかろうか。そう思うや否や、俺は「んんっ」と咳払いをしていた。
「あ、あのさ、莉愛」
ありったけの勇気を振り絞ってみる。
告白の返事なんて二人きりの時じゃないと出来ないし、今しかないと思った。
「どうしたの?」
空気が変わったことに気がついたのか、莉愛はキョトンとした顔で首を傾げた。
俺は何度も深呼吸を繰り返して、乾いた唇を舌で舐める。やばい。めっちゃ緊張するんだが……きっと告白する側はもっと緊張したことだろう。だから告白の返事をするくらいならどうってことない。そう思ったのだが……。
「い、いや……なんでもない。お弁当食べようか」
言えなかった。「性欲があるみたいだから、やっと告白の返事が出来るよ」と言うだけなのに……言えなかった。
俺はどうしようもないチキンだ。莉愛からの告白を保留しておいて、返事をしないなんて最低だ。
俺は一人で凹みながら、自分を責めてしまう。
そんな俺のことを見て、莉愛は何かを察したのか頬を緩めた。
「あははー、瑞稀は優しいなー。焦らなくていいよ。何事も自分のペースでね」
そして情けないことに、莉愛に背中をさすられてしまう。
俺はなんて情けない男なんだ。告白を保留している女の子に背中をさすられるなんて……ああ、このままではダメだ。せっかく初めての莉愛とのお昼休みなのに気分が沈んでしまう。
「じゃあ食べよっか。今日は新しいおかず作ってみたからね。食べて感想聞かせて貰いたかったんだ」
莉愛はご機嫌そうに鼻歌を歌いながら、お弁当のフタを開いた。
それを横目で見てから、俺も告白のことは一旦忘れることにして、お弁当のフタを開く。
一段目には鮭のふりかけがまぶしてある白米がびっしりと詰まっていて、二段目には卵焼きやウィンナー、さらにはナスが赤くなったものが入っている。
「なんだこのナスみたいなやつ」
「ふふーん。気づいたようだね。今日は初めて麻婆茄子を作ってみたんだー」
「まーぼーなす? なんだそれ?」
「あ、知らない? 麻婆豆腐のナスバージョン」
「ああ。豆腐じゃなくてナスなのか。こんなの初めてみたわ」
「えー、そこそこ有名だと思うんだけどな。味見もしてあるし、きっと美味しいと思うから食べてみてよ」
「ささ」と莉愛が急かすので、俺はお箸を手にして「いただきます」と手を合わせた。そのまま麻婆茄子に箸を近づけようとすると……。
「あ、ちょっと待って!」
慌てた様子の莉愛に止められた。
いきなりどうしたのだろうと莉愛の方を見ると、彼女は自分のお弁当に入っているナスを箸で摘んで、俺の口元に近づけた。
「これやって見たかったんだよね。はい、あーん」
これ知ってるぞ。よく恋人同士でよくやる「あーん」というやつだ。
今まではただご飯を食べさせ合うだけの行為の何がいいのかと思っていたが、こうやって食べさせて貰うとなると照れくさい。
「恥ずかしいんだけど。あーんしなくちゃダメ?」
「ダメ! 誰も見てないんだからいいじゃんよー」
「誰も見てないけどさ、莉愛が居るじゃん」
「居るね」
「だから恥ずかしい」
正直に恥ずかしいと話すと、莉愛は目をパチパチとさせてから頬を吊り上げた。
「えー、それってあたしを意識しちゃってる感じかなー?」
意識してるに決まってるだろ。
俺も莉愛のことを……なんていうかその……あれなんだから。
「ほっとけよ。そんなにからかうなら食べないぞ」
「あーあー、すぐ拗ねるんだからー。あたしが悪かったから食べてよー。はい、あーん」
さらにナスを俺の口元に近づける。こうなったらもう食べるしかない。
俺は意を決して口を開く。すると莉愛の箸で摘まれたナスが、口の中に入り込んでくる。ちょっと辛みがあるが、ナスの甘みもあって美味しい。
「うわ、うま」
思わずそんな感想が口から漏れると、莉愛は嬉しそうに目を細めた。
「でしょでしょー。ウチで雇ってるコックに教えて貰ったんだあ」
「コックも雇ってるのか……すげえな」
白塚家の経済力に驚きながらも、俺は自分の弁当を掻き込むようにして食べる。莉愛の手料理はなんでも美味しい。彼女は隠し味があると言っているが、何を入れているのだろうか。
俺の反応に満足したのか、莉愛も自分の食事に取り掛かった。かと思えば、何かを思い出したかのようにこちらを向いた。
視線に気がついて、俺も莉愛へと目を向ける。
お互いに目が合うと、莉愛はふっと頬を緩めた。
「待ってるからね。瑞稀」
弾むような莉愛の声を聞いて、俺の心はズキリと痛んだ。
俺に性欲があるのが判明したから、もう返事は出来るというのに、莉愛を待たせてしまっているのが申し訳なくてたまらない。
でも最後の一歩が踏み出せないから、俺も無理やりに笑顔を作って誤魔化した。
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