ブラコンシスコン姉弟

 三限目の国語の授業。

 黒板の前に立っている男性教師が、つらつらと漢文を音読している。


 漢文なんて読めなくても、俺のライフスタイルにはなんの支障もない。

 俺は机の上に頬杖をつきながら、ノートにペンを走らせ、一人で絵しりとりをしていた時のことだ。


 ポケットに入っているスマホがブルルと震え、メッセージの受信を知らせた。

 俺は教師にバレないようにと、机の下でスマホを確認する。

 LINEを開いてみると、鈴乃お姉ちゃんからメッセージが送られて来ていた。


 鈴乃『お腹が痛くて保健室〜。つらい〜』


 そんなメッセージとともに、クマのキャラクターの口から魂が抜けていくスタンプが添付されている。


 まじか。お腹が痛くて保健室……きっと鈴乃お姉ちゃんならば、ちょっとお腹が痛いだけなら我慢するはず。

 それが保健室で休むことになるなんて、相当お腹が痛かったのだろう。


 ……心配だ。

 いつも元気な鈴乃お姉ちゃんが体調不良だなんて信じられない。

 今も保健室でお腹の痛みと格闘しているかと思うと、不憫で仕方がない。しかも皆が授業を受ける中、一人でお腹の痛みと戦っているなんて心細いことだろう。


 だから俺は、短くメッセージを打ち込む。


 瑞稀『行きます』


 たった四文字を返信したと同じくらいに、俺は何かを考えるよりも早く立ち上がっていた。


「先生。お腹が痛いので保健室に行って来ます」


 教室に居る全員がこちらを振り向き、教師の音読もストップする。莉愛もペンを片手に持ちながら、驚いた顔でこちらを見ている。

 クラスメイトたちから一斉に視線を集めて、恥ずかしいなんて言っていられない。

 今は鈴乃お姉ちゃんの様態を確認することしか頭になかった。


「あ、はい。分かりました。気をつけて」


 教師は驚いたように目をパチパチとさせながらも、俺が保健室に行くことを許可してくれた。

 俺は「ありがとうございます」と頭を下げてから、勢いよく教室を飛び出した。


 ☆


「鈴乃お姉ちゃん」


 保健室に到着するなり、俺はカーテンを開いて鈴乃お姉ちゃんが寝ているベッドに訪れた。

 真っ白のベッドで仰向けになっている鈴乃お姉ちゃんは、俺の顔を見るなり目を大きくさせた。


「え、ほんとに来ちゃったの?」


「ああ。心配だったから」


「授業は?」


「抜け出して来た。漢文なんか授業聞いても分からないし」


 俺がそう言うと、鈴乃お姉ちゃんはコロコロと喉を鳴らして笑い出した。


「ちょっと。お腹痛いんだから笑わせないでよ」


「別に面白いこと言ってないだろ」


「言ってるよ。なんでお姉ちゃんがお腹痛めただけで授業抜け出してくるのよ」


「それは……鈴乃お姉ちゃんが好きだからかな」


「もー。そういうことは莉愛ちゃんに言ってあげなさい」


 鈴乃お姉ちゃんは人差し指で涙を拭うと、体に掛かっている掛け布団を持ち上げた。


「ほら、そんなところに立ってたら寒いでしょ。ベッド入りな」


 目を細めながら、鈴乃お姉ちゃんは自分の隣をポンポンと叩いた。添い寝をしろと言うことだろう。


「え、いいの?」


「いいよいいよ。瑞稀くんが嫌じゃなければ」


 もちろん嫌なんてことはない。むしろ授業中にベッドで寝ていられるなんて最高じゃないか。


「嫌じゃないよ。じゃあ隣失礼するわ」


 俺は上履きを脱いで、鈴乃お姉ちゃんの隣に寝転がる。すると鈴乃お姉ちゃんを覆っていた掛け布団が、俺にも掛けられる。さっきまで鈴乃お姉ちゃんが被っていたので、掛け布団は人肌の温かさがあった。

 それと高校生が二人ともなると、ベッドが少しだけ小さい気がする。だから俺と鈴乃お姉ちゃんは出来るだけ体を密着させ、抱き合うような形になる。


「瑞稀くん。布団から体出てない?」


「ああ、大丈夫だ。鈴乃お姉ちゃんの方こそ大丈夫か?」


「うん。わたしも大丈夫。これだけ密着してればね」


 鈴乃お姉ちゃんは枕を使っているが、俺はベッドに直で頭を置いているので、よく彼女の表情が見えない。

 するとそのことに気が付いたのか、鈴乃お姉ちゃんは枕を床に落とした。これで鈴乃お姉ちゃんと目が合う。


「枕使わなくていいのか?」


「うん。瑞稀くんに腕枕してもらおうと思って」


「腕枕?」


「腕枕分からない?」


「いや、分かるけど。そういうのってカップルがやるもんじゃないのか?」


 実際に恋愛映画とかでは、カップルで腕枕をしているシーンをたまに見かける。

 しかし鈴乃お姉ちゃんは口元に手を当てて笑ってから、「もー」とどこか嬉しそうに言った。


「そんなこと言ったらベッドで抱き合ってること自体もおかしいよ。多分だけど普通の姉弟じゃやらない」


「そうなのか? そこの線引きが俺には分からん」


「わたしも難しいことは分からないけどね。でも腕枕して欲しいなー。弟の腕枕〜。腕枕がないとお腹痛いの治らない〜」


 足をバタバタとさせながら、鈴乃お姉ちゃんは「あー」と唸り初めてしまった。駄々っ子モードの鈴乃お姉ちゃんは、ワガママを通すまで折れないことをよく知っている。


 そこまで言うなら仕方がない。それで鈴乃お姉ちゃんの腹痛が治るのなら安いもんだ。


「じゃあ頭上げてくれ」


「やったー。瑞稀くん優しい〜」


 鈴乃お姉ちゃんは素直に頭を上げたので、その下に腕を伸ばす。その腕に鈴乃お姉ちゃんは頭を乗せて、枕代わりにした。

 鈴乃お姉ちゃんの頭は想像の二倍くらい軽く、これなら二時間くらい腕枕をしてあげられそうだ。


「わあ。初めての腕枕だ。腕枕ってこんな感じなんだー」


 鈴乃お姉ちゃんは嬉しそうに、俺の腕に頬ずりをしている。


「鈴乃お姉ちゃん。あんまり動かれるとくすぐったい」


「あ、そっか。ごめんごめん。出来るだけ動かないようにするね」


 鈴乃お姉ちゃんはそう言うと、俺の腕に耳を当てるようにして、こちらに体を向けた。だから俺もなんとなく、鈴乃お姉ちゃんの方に体を向ける。

 腕枕をしてるだけあり、俺と鈴乃お姉ちゃんの顔は近い。お互いの吐息を感じるくらい。


「どうだ? お腹は治りそうか?」


「んー。まだちょっと痛いかな」


「薬とか飲んだか?」


「うん。痛み止め飲んだから大丈夫だと思う。ありがとね、心配してくれて」


「当たり前だろ。大事なお姉ちゃんなんだから」


 お互いに小声で会話をする。

 保健室には俺たち以外誰もいないが、なんとなく小声になってしまうのだ。

 鈴乃お姉ちゃんはニコリと笑いながら、俺の髪を梳くように撫でる。


「瑞稀くんほんとに大好き。瑞稀くんが弟になってくれて本当によかった」


「俺も鈴乃お姉ちゃんがお姉ちゃんになってくれてよかったよ」


 俺も鈴乃お姉ちゃんに釣られて笑顔になる。


「今日はこのままお昼休みまでサボっちゃおっか」


「俺は最初からそのつもりだけど」


「四限は何があるの?」


「体育だな」


「えー、体育行かなくていいの? 男の子って体育好きだよね」


「体育は好きな方だけど、運動か睡眠かどっちか選べって言われたら、迷わず睡眠を選ぶ」


 自信を持って言うと、鈴乃お姉ちゃんは「間違いないね」と笑いながら頷いた。


「じゃ、お昼休みまでおやすみだね」


「そうだな」


 俺が頷いたのを見ると、鈴乃お姉ちゃんは眠たそうに目を擦った。


「わたしはもう眠いから寝ようかな」


「俺も眠いからすぐにあとを追う」


「そっか。それじゃあ先に夢の中に行ってるね」


「おう。夢の中で会おう」


 俺も鈴乃お姉ちゃんの頭を優しく撫でると、彼女はくすぐったそうに笑ってから、すぐに寝息を立て始めた。

 間近で見る鈴乃お姉ちゃんの寝顔は、キメ細やかで見ていて飽きない。


 けれども俺も睡魔に敵うことは出来ず、すぐに鈴乃お姉ちゃんのあとを追うことになった。


 ♥


「お邪魔しまーす」


 三限の授業が終わり、十分休憩の時間。

 体操着に着替えた莉愛は、保健室にやって来ていた。


 保健室の中に先生の姿はなく、カーテンが閉まっているベッドが一つだけあることに気が付いた。

 きっとあそこで瑞稀が寝ている。

 瑞稀が授業中に保健室に行くなんて初めてのことなので、莉愛は心配して授業の合間を縫って様子を見に来たのだ。


「瑞稀ー、大丈夫ー?」


 ベッドを隠すカーテンをゆっくりと開いてみる。

 するとそこにあった光景に、莉愛は思わず呼吸を止めてしまった。


 ベッドでは瑞稀と鈴乃が抱き合うようにして寝ていて、互いの頭を撫でるような格好でいる。しかも鈴乃は、瑞稀に腕枕までしてもらっている。二人は寝息を立てているので、夢の中に居るようだ。

 その光景を見て、莉愛は瞬時にこの状況を悟った。

 あのブラコンシスコン姉弟のことだ。今更何が起きようと、驚くことではない。


 莉愛は何も考えずにカーテンを閉めて、忍び足で保健室をあとにする。


 鈴乃さんいいなー。わたしも授業サボって瑞稀に腕枕されたいよー。

 いつかわたしも瑞稀に腕枕してもらおうと考えながら、莉愛は体育のためグラウンドへと向かうのだった。


 ♥

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